――……ちゃん、亜紀ちゃん
どこからか自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。亜紀がうっすらと目を開けると、教室の中は半ば暮れかかった夕日が窓から差し込んで二つの影を長く伸ばしていた。
「おーい。亜紀ちゃーん」
声のした方をぼんやりと見ると、淳平がこちらを見つめていた。
「――?!」
「お目覚め?」
なぜこいつが自分の顔を覗き込んでいるのかとか、今まで何をしていたのかとか、聞きたいことはたくさんあったが、ふと考える。
いつもと変わらない笑顔で自分に話しかける淳平を見て、亜紀は教室に居残っていた理由を思い出した。目の前のふざけた笑みを浮かべる奴に謝罪する為だ。
「あ…さっきはごめん」
「さっきって?」
「三限の時…言い過ぎた」
瞬間、淳平は目を瞠り、ふっと笑顔になった。その表情の変化を見て、亜紀は自分が許されたのだろうと思った。
「駄目」
「……えっ?」
「俺のガラスのハートは亜紀の仕打ちで粉々になったんだし。許さん」
「えっ、えっ?駄目なの?!」
「うん、駄目」
「えええー…」
笑顔で拒絶されてしまった。ずきりと痛む心が亜紀の気持ちを重くする。ではどうすれば目の前の男は自分を許してくれるというのか。
「パフェ」
「へ」
「またあそこの店のパフェ食べに行こ。それで許す」
項垂れていた頭を上げると、淳平がいつか見たような、何かを企んでいる笑顔をこちらに向けていた。
ああ、自分はこの笑顔に弱いんだよなあ。何でかこの笑顔を見せられると、抵抗する気が失せてしまうのだ。
「はいはい、わかりましたー」
「二人で半分こにすんだからねー」
「はいは……嫌だ」
「亜紀さんに拒否権はありませーん」
「うるせーお前と間接キスなんて死んでも嫌ですー」
「何言ってんのー素直になりなさいよー」
「うざい」
ひでえ、と泣くふりをする淳平を尻目に、言葉とは裏腹に頬が緩むのを亜紀は抑えられなかった。なぜかは分からない。しかし、今朝淳平に感じていたような不快感は亜紀の心から消え去っていた。
まだ、少女はその気持ちの名を知らない。
(Scene1 end)
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