「……そっか」

 ショックだった。自分でもなぜこんなにショックを受けているのか解らない(というか解りたくない)のだが、佐倉の言葉を聞いた瞬間に、頭の中が真っ白になってしまって、うまく答えられなかった。そんな亜紀の顔を佐倉はじっと見つめている。

 何か、彼に言葉をかけるべきなのだろうが、しかし肝心の言葉が出て来ない。亜紀は、普段とは違う真剣な眼差しの佐倉から逃れるように、食べかけのケーキに視線を落とした。
 沈黙が二人の間に降り立つ。閑静な住宅街なので、辺りはひっそりと静まり返っていて、重苦しい沈黙を破るものは何もない。

「……帰る」
 亜紀がそれに耐え切れなくなり、鞄を手にして立ち上がると、佐倉がそれを見つめる。

「ケーキご馳走様」
「うん」
「……じゃ、」

 亜紀はそのまま、佐倉の目も見ずにアパートを後にした。


******

 亜紀は自室のベッドの上に倒れこむようにして寝転んだ。帰宅してすぐに母親から夕飯の催促が来たが、それを無視して自分の部屋に上がってきた。

(そうか、佐倉には好きな人が居るのか)
 奴は自分に話があるといった。好きな人が居るというところまでしか聞かずに部屋を出てきてしまったのでわからないが、その先の言葉はあったのだろうか。
 何か、奴が本当に言いたかったことはこれだけではないような気がする。

(佐倉の好きな人って、どんな人なんだろう)
 のろのろと部屋を出て浴室に向かう。再び母親の声が飛んできたが、それにも曖昧に相槌を打って脱衣室に入る。
 佐倉の言葉を聞いた瞬間の胸の痛みが今もちくちくと痛む。それは洗い流せば治るとでもいうように、亜紀は熱いシャワーを浴びた。

(好きな人が居るくせに)
 わざと大きな水飛沫を上げて湯船に浸かる。

(好きな人が居るくせに)
 苛々と濡れた髪を掻き毟り、勢いよくお湯の中に潜り込む。

(好きな人が居るくせに)
 お湯の中で息を吐き出せば、ぶくぶくと泡が浮き上がる。水圧で頭が圧迫され、お湯から頭を突き出す。

(何で、あんなことしたんだよ)
 部屋に自分を呼んだり、一緒にケーキを食べたり、ほっぺを引っ張ったり(この件で亜紀は熱さのせいではなく顔が火照ってきた)。
 それらを全部、その好きな人とやらとやればいいではないか。自分には関係ない。

「…むかつく」
 初めに受けたショックが怒りの感情へと変わり始めた頃、母から三度の夕飯の呼び出しが来て、それにははっきりと食べる意思を伝えた。

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