「俺んちすぐそこだから。歩いて3分くらい」
「え、そんなに近いの」
「だから一番近い亜紀に助けを求めたんじゃん」
佐倉宅への道程を二人で並んで歩きながら、亜紀はふと疑問に思ったことを口に出す。
「ねえ、家族と一緒に食べればいいじゃん。そうしたらあたしを呼ぶ必要だってないでしょ?」
「ああ、俺ね、一人暮らしだから」
「はっ?」
亜紀は佐倉の思いもがけない言葉に閉口する。佐倉はそんな亜紀の様子に構わずに淡々と話を進める。
「ちょっと色々あってねー。親から勘当された感じで家出てきたんだよねー。だから今は一人暮らしで家族は居ない」
さらりと重い言葉を吐き出す佐倉に、亜紀が言葉を掛けられずにいると、くるりと佐倉が亜紀の方を振り向いて、突然吹き出した。
「ちょっ、何その顔、そんなに深刻そうな顔して!」
「……いや、何て声を掛ければいいのか…」
「いいよ気にしてないから。大変だけど一人暮らしも楽しいもんよ?」
そう言っていつものようにからからと笑う佐倉を見て、亜紀も内心ほっとした。
「じゃあ、家事とかも全部一人でやるわけ?」
「うん、そう」
「料理とか出来るの?」
「まぁ大体はねー。美味いかどうかは別にして」
「やば、似合わなくてウケる」
「ええ、ひどくね?」
話をしているうちに、佐倉のアパートの前まで来ていた。本当に競技場から近い所に住んでいるのだなぁ、と亜紀は思った。すると、先に佐倉が階段を登ってこちらに手招きしていた。
「ここだよー」
佐倉の部屋は、階段を上がって初めから二番目の部屋だった。佐倉に招かれて部屋に踏み入ると、殺風景で広めの部屋が亜紀の目に映った。
「結構綺麗にしてるんだね」
「はは、俺、そこらの主婦に負けねえ位綺麗好きだかんね」
「そんなに?」
おうよ、と言いながら佐倉がリビングにケーキを持ってくる。それは苺のショートケーキで、少し小さめのホールに生クリームと苺がたっぷりと盛り付けられていた。
佐倉がケーキを皿に切り分けて亜紀の前に出す。それを一口運んだ亜紀の顔がぱっと輝いた。
「何これ超んまい!どこのやつ?」
「んーっとね、駅前のケーキ屋さんみたい」
「ええ、あのいつも並んでるとこ?おばさんナイスじゃん」
「だねー。あとさー、さっき部活でタイムが伸び悩んでるみたいだったけど、どうしたの」
「げ、見てたの?」
「まあね」
「…最近調子悪くてさ。ベストを越えらんなくて」
「ふうん。じゃ、こうすりゃ伸びるんじゃない」
そう言って、突然佐倉が亜紀のほっぺを引っ張った。
「ちょっ、何すんの!」
「これでタイム伸びるかなーと思って」
「そんなんで伸びたら苦労しないから」
亜紀は、そうかあ、と間抜けな声を上げる佐倉の方をまともに見ることが出来なかった。
今更ながら、並んで座った二人の距離が近いことに気が付く。それに気付いた途端、抑えようのない高揚感が亜紀の身体を支配する。顔が火照り、手に汗までかいてきた。
この感情を、胸の高鳴りを、亜紀は知っている。しかし、それを認めることはしたくなかった。
ただ、吃驚しただけだ。佐倉がいきなり触ってきたりするから驚いただけのことだ。
そう自分に言い聞かせながら、亜紀は落ち着こうとした。
「でさ、話あんだけど」
そんな亜紀の様子を気にした風もなく、突然佐倉が切り出した。いつものようなふざけた雰囲気がないので、亜紀がちらりと佐倉を見やると、佐倉は何でもないことのようにさらりと言った。
「俺、好きな子が居るんだわ」
佐倉の口から零れたその言葉を聞いて、亜紀は後頭部を思い切り殴られたかのような気持ちになった。
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