放課後、陸上部に所属する亜紀は、競技場の100メートルのスタート地点に立っていた。ゴール地点には、麻美が亜紀よりも緊張した面持ちでストップウォッチを持って立っていた。
 「位置について」の声で、亜紀が一礼してスタートブロックに足をかけ、体勢の微調整を終えてスタートの合図を待つ。

 一瞬、静寂が辺りを包む。その静寂を打ち破るピストルの音が鳴った瞬間、亜紀は既に走り出していた。
 まるで風のように駆ける亜紀がゴールを走り抜けた瞬間、麻美が素早くストップウォッチのボタンを押していた。
 肩で息をしている亜紀の元に、麻美が駆け寄って行ってタイムを見せる。

「……こないだより、0.2秒落ちた」
 ひゅっと息を吐き出して、トラックに寝転ぶ亜紀を見て、麻美が険しい顔をする。

「亜紀ちゃん、あまり焦らないで」
「…そんなこと言われたって焦るよー…。次の大会で記録出しておかないと来年も出せないじゃん」
「とりあえずダウンしてきて。その後アイシングして。終わる時間までちょっと早いけど、今日はもう走っちゃダメ。モチベーション落ちてるまま走ったって良い記録は出せないよ」
「分かった分かった、そんな怒らないで麻美…」

 亜紀は麻美に追い立てられるようにトラックから起き上がり、ジャージを羽織ってスローペースでトラックの外にある芝生を走り出す。
 ゆっくりと走って体の火照りを鎮めながら亜紀は考えた。
 次の大会まであと一週間を切った。そこで県大会に進めなければ、先輩達は引退となる。そうなれば、自分達の学年がチームを引っ張っていかねばならない事になるのだ。
 他の部員がどうかは知らないが、少なくとも今の自分ではチームを引っ張っていくだけの力量がないと言い切れる。だから、まだ先輩には引退して欲しくないのだ。

「よっ」

 つらつらと考え事をしていると、隣から聞き慣れた声が聞こえたので振り向いてみると、学校帰りらしい佐倉が競技場のフェンスからこちらを覗いていた。
 それを見た亜紀が露骨に嫌な顔をするのを見た佐倉が傷付いたように顔を歪ませる。

「ええー酷いよその顔。そんなに俺のこと嫌い?」
「うん、すっごく」
「そんなに力込めなくてもいいじゃん…」
「や、ごめん冗談。嫌いじゃないから何しに来たか言え」

 佐倉がしょげ返る姿が何とも可哀想に思えたので、亜紀は思わず声を掛けた。あくまでも上から目線でだが。

「ん、亜紀あとどんくらいで終わる?」
「えーっと…あと30分くらいだと思う」
「ん?じゃ、ここで待ってる」

 そう言って座り込んだ佐倉を亜紀が訝しげに見ると、佐倉はからからと笑った。

******

 部活が終わって片付けと着替えを済ませると、七時になるところだった。亜紀が佐倉の元へ行くと、佐倉はおとなしく芝生に座って待っていた。

「お、来たね。じゃあ行くか」
「どこに?」
「俺んち」

 『俺んち』。その言葉を聞いて亜紀の頭が一瞬フリーズする。

「……今、なんて?」
「え?俺んち。」
「……何でお前んちに行かなきゃなんないんだよ…」

 頭を抱える亜紀を見て、佐倉がからからと笑う。部活をした後なので反抗する気力も無い亜紀は気だるそうに佐倉を見上げる。

「…で、何で?」
「ああ、さっき近所のおばちゃんからホールのケーキ貰ったんだけどさ。俺一人じゃ食い切れないから亜紀を呼びに来たわけ」
「二人で食べるのだってなかなか勇者だと思うけど」
「亜紀は部活の後だから甘いものするするとお腹に入るって。ホールくらい何てことねーよ」

 亜紀はからからと笑う佐倉を見て、部活で疲労していなければこの男をぶん殴ってやるのに、と思った。



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