春特有の気だるい空気が駅のホームに漂っている。
 彼はほんの少し身の回りを整理しただけですぐにアパートから出てきた。それしか荷物はないのかと訊ねると、既に殆どの荷物は引越し先に送ったのだと言って笑った。

 自分から初めて好きになった人は、今日、私の目の前でもう私の手では届かない所へと行ってしまう。何か声を掛けようと口を開くが、結局何も言えずに口を閉じる。そういえば、先程から隣りに居る彼も私と同じように一言も発していないことに気付いた。
 彼の乗る電車がもうすぐ来ることを告げる放送がホーム内に鳴り響いた。それと同時に、彼が肩に荷物を引っ張り上げた。

「ねえ、好きだよ」

 言葉が自然と口をついた。彼は私の告白に動じた風もなく、知ってたと答える。
 うか。私の想いは彼にはばればれだったのか。 ホーム内に電車が滑り込んでくる。徐々にスピードを落とし、ゆるりと二人の目の前で電車が停止した。
 彼がボタンを押して扉を開け、電車に乗り込む。早朝という時間のせいか、電車に乗っているのは彼だけのようだった。

「それじゃあ、元気でね」

 何のひねりも無い形式的な言葉を彼に投げかけた。汽笛が鳴り響き、それが二人に別れの時間がすぐそこにきている事を告げていた。

「待ってよ」

 扉が閉まる瞬間、彼が私の手を掴んで車両に引っ張り込む。驚いて彼を見やると、彼が真っ直ぐに私の瞳を見つめていた。

「ねえ、俺も好き」

 一瞬面食らったが、無表情で告白してくる彼を見たら、思わず吹き出してしまった。

「顔と台詞が一致してないよ」
「こういう性分なんだ」

 そうなの、と相槌を打つと、彼が黙って私を腕の中に引き寄せた。

「まだ、さよならじゃないよ」

 ああ、私は幸せ者だ。初めて自分から好きになった人に抱き締められている。この人が、たまらなく愛しいと思う。全身全霊でこの人を好きだと思う。


 そんな、ある春の朝。




2010年03月23日 沢村 詠





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