一万打記念 | ナノ







「どうですか?兵長。この前頂いた紅茶、美味しいでしょう?」

そう言って笑うミラにリヴァイはいつも通り「悪くない。」と言った。その悪くないが美味しいと言っているのは長年の付き合いでミラは心得ていた。


調査兵団 副兵士長であるミラはある意味有名だ。人類最強であるリヴァイの補佐官であり、巨人討伐の際は実に息の合うコンビネーションを見せる。戦闘のみならず、事務的な事もこなす彼女は調査兵団になくてはならない存在だ。ましてや兵士長であるリヴァイがあの強面だ。ふわふわとした雰囲気のミラに人気が集まるのは自然だった。
そしてミラの持ち前の優しさから調査兵団の母的な存在へとなり、彼女を副長と呼ぶ声のみならず姐さんと呼ぶ兵士もいる。
それは喜ばしい事だし、リヴァイ自身兵団のためにもいいと思っている。
彼女だからこそ頼める事もある。新兵が壁外へ行き帰って来れるのは五割と言われている。じゃあ、帰って来た新兵が無事かと言われたら無事ではないのだ。仲間の死を目の前に新兵は過度のストレスにより体調を崩す者から精神を病む者までいる。そんな彼らを支えるのもミラの仕事の一つだった。
体調なら寝て回復するのを待てばいい。このご時世だ。薬は高価な上にウォール・シーナに住む貴族らが大抵薬の買占めをしているためこの兵団でも薬不足には悩んでいる。
薬に知識のある兵士が有志で薬草の栽培を行っているが確実に足りないのだ。
その有志達をまとめているのもミラなのだ。一体一人でいくつ仕事を受け持つつもりなのかと聞いたら「無理はしてませんよ。」と笑って言うのだ。彼女に無理するなと言うのが無理なのか。人類最強と呼ばれる男の目下の悩みの種である。


「オイ、ミラ…」

「はい、この報告書ですね。」

「ミラ、」

「はい、朱肉ですね。」

「………、」

「はい、コーヒーですね。」


そう言って立ち上がるミラの手を思わずリヴァイは掴んだ。
白くて細い、頼りない手だ。


「…兵長?」


他の兵士よりも一緒にいる機会が多いミラとリヴァイ。
仕事だって普段二人で行うのが多いせいか最近ではオイやコレで伝わる程だ。
そんな働き詰めの彼女の手を煩わせるのは何だか申し訳ないような気がしたのだ。


「…兵長?」

「俺が淹れて来る。」

「まぁ、いいんですよ?私がやりますから兵長は座っていて下さい。」


「何だ俺が茶の一つも淹れられないって思ってんのか。」


そう言って睨みつけてもミラはクスクスと笑うだけで座ろうとはしない。


「いいえ?ですが兵長のお手を煩わせるわけにはいきません。私はあなたの補佐官ですよ?何でも言いつけて下さい。」


また、その目だ。
リヴァイは態とミラに聞こえるように舌打ちをした。
これだってミラはきっと態とだと分かっているし、リヴァイがなぜ自分でコーヒーを淹れるのかも察しているのだ。疲れているだろう自分を労って上司が部下のために茶の一つくらいは淹れてやろうと言う心遣いすら。
だが、ミラはそれをやんわりと断ったのだ。それも仕事なのだと。

リヴァイはそう言ったミラの目を見た。
灰色のその目は幼い頃に掛かった伝染病の後遺症らしい。ミラの住む村はもうない。
それはその伝染病が蔓延したことによるとミラは言っていた。
ミラはその目を余り気に入っている様子は無いが、リヴァイは好きだった。その目はミラに似合っているし、なによりその目は自分の汚い感情すらも包んでくれそうで。
しかし、同時に彼女のその目が何もかもを見透かしている様な感覚になる時がある。それが今だ。
その目に見つめられれば嘘も虚勢も意味を為さない。


「ほら、だから兵長は座っていて下さい?」


そう言って何とか座らせようとするミラの手を自身の目の高さまで持ってくる。
白くて細い指だ。だが、指はかさつき所々に肉刺が出来ている。ささくれだって酷い。


「……、すみません、兵長…」

「あ?……違えよ。」


申し訳なさそうに謝るミラを見て、直ぐに合点がいったリヴァイは即座に否定した。
恐らく手荒れが酷いのをリヴァイがよく思ってないと勘違いしたのだろう。
それは違う。彼女の手が汚いとか醜いとかそう思う訳はない。むしろ細くて柔らかくて、触れていて気持ちいいと思う。そんな事、口が裂けても言えないが。


「あの、兵長…?」


そう言って珍しく分からないと言った表情のミラにリヴァイはそれでも手を離すことは無かった。どうやったら、何と言ったら目の前の女は休もうとするのか。
いや、それ以前にどうしてリヴァイがこんなにもミラを少しでも休ませようとするのかに何でミラが気付かないのか。
他の小さな事にまで機敏に反応するのに自分に向けられる好意に何故ここまで気付かないのだろうか。
ミラの事は頼れる補佐官として、信頼出来るパートナーとして信じている。そして女としても、彼女を愛している。
しかし、なんでここまで気付かないのか。やはり主従関係だからか。はたまたは自分を男として見ていないのか。後者なら最悪だ。
ならば、と。リヴァイは目の前で未だに首を傾げるミラの手を握るとそのまま力強く引き寄せ、肩をしっかりと掴むと先ほどまで作業していた机にミラを押し倒した。


「…きゃ、へ、兵長?!」

「さすがのミラでも予想出来なかったか?」

「え?…なんで…え?え?」


どうしてと言って目を白黒させるミラにリヴァイは溜め息しか出なかった。なんという鈍感さだろうか。


「オイ、ミラ。」

「はい?……ひぅっ!」


名前を呼ばれ、素直にこちらを向くミラの首筋にキツく吸い付けばなんとも色気の無い声を上げた。


「オイ、」

「は、はい?!」

「いい加減に気付け。この鈍感娘。」

「は、え?……んぅっ、」


そう言って荒々しく唇を奪えばまだ少しは色気のある声がした。


「っ、は、」


ミラの柔らかな唇を離すと顔を真っ赤にして呆然とするミラがそこにいた。



「俺が帰って来るまで少しはその足りない頭で考えてろ。」


「…へ、いちょ、…」


今にも湯気か出そうな程顔を赤らめたミラを見てリヴァイはふっと鼻で笑った。
そうだ、この顔が見たかったのだと。
完璧な補佐官ではなく、信頼出来る仲間ではなくただの女であるミラが欲しいのだ。

スルリとミラの手を離し、扉へと向かうリヴァイをただぼうっと見ていた。どうやら今度こそ行ける様だ。


「いい子で待ってたら褒美をくれてやる。」


そう言って部屋を出れば直ぐに部屋からミラの声にならない声が聞こえた。
そうだ。少しは悩めばいい。自分はその倍悩んだのだから。

コーヒーを淹れながらリヴァイは笑みを浮かべた。
さて次はどうやってミラを手に入れようか。
しかし部屋に入ったらまずはもう一度あの柔らかな唇を奪うとするか。
リヴァイは一人そう決意し、再び部屋へと戻った。
恐らくコーヒーは冷めてしまうだろう。しかし、リヴァイの足取りは軽く晴れやか顔をしていた。
























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