薄皮一枚、その下に。
いつからなのか、なんて分からない。

あの人の助けになりたい。初めは確かにそう思っていた。汚れた私を助けてくれた貴方に返せるのは空っぽの私には献身しかないと思っていたから。それがいつからか変わってしまった。
貴方の隣に立ちたい。貴方に触れたい。貴方に、愛されたい。



「オイ、ミラ…ミラ?」

「あ、いえ。どうされましたか?兵長?」

「クソメガネがまだ報告書を出しやがらねぇから尻叩いて来いっつたんだ」

「まぁ、ハンジさんったら。早めに出すように”お願い”してきますね」


その”お願い”は決して可愛らしい内容ではない。笑顔で「研究室潰されたくなければ大人しく報告書出しましょうねー?じゃないと次回の壁外調査で私うっかり生け捕りにした巨人頃しちゃいそうなの」と言うのだから。
そんなミラにガタガタと震えながらミラ監視の下ハンジは必死になって報告書を仕上げる。それはもう調査兵団の日常と化してした。

さらりとそう言うのも全てはリヴァイのため。彼女、ミラの行動の全てはリヴァイに繋がり、リヴァイを中心にして動いている。


「なら兵長、ハンジさんのとこに………ぁ、」

「あ?」

「い、いえ…」


ふと立ち上がった瞬間に見えたリヴァイの指に思わず声を上げたミラにリヴァイは手を止めてミラを見た。
ミラはすぐさま目を逸らしたが一瞬の隙もリヴァイは見逃さなかった。
ミラの見つめた先にチラリと視線をやれば、そこは自身の右手。
思わず右手を目の高さまで持ち上げる。そんなリヴァイの行動にミラは次第に顔を赤くしその場を立ち去ろうとするミラの手を振り向く事なくリヴァイは慣れない左手でミラの手首をガシリと掴んだ。


「なんだ、右手に何か付いてたか?」

「い、いえっ!な、なにもっ!」

「だったら何で見た」

「深い意味はありませんからっ!」

「だったら尚更言えるだろうが」

「無理ですっ!黙秘しますっ!」


嫌々と子供の様に首を振り、リヴァイの手から離れようとするが所詮は女の力。リヴァイの片手の力に敵うはずもなく、ミラは無駄な抵抗と感じつつも何とかリヴァイの手から離れようと必死になっていた。

そんなミラを尻目にリヴァイはマジマジと自身の右手を見ていた。
別段何ともない、普通の右手。確かにリヴァイの性格故か爪は綺麗に切り揃えられているが、それ以外はなんら変わった所は見受けられない。むしろ少しかさついていて、肉刺も酷い様な気もする。そんな右手を見て何を思ったのか。


「オイ、ミラ……っ!」


そう言って振り向きミラを見上げれば今にも泣きそうな顔をしながらも真っ赤になっているミラの姿。

「………やっぱり吐け。何を見たんだ」

「嫌ですっ!墓まで持っていきますぅぅ!」

「……そうか、」



溜め息一つつき、するりとミラの手を離すリヴァイに今まで嫌々としきりに抵抗していたミラは動きを止めた。


「ミラなら俺に包み隠さず全てを捧げてくれていると思っていたんだが、どうやらそれは俺の思い過ごしのようだな」

「…へ、へいちょ、う?」

「いや、思い上がり、か。…すまなかったな、ミラ。嫌がる事ばかりを強いて」



そう言ってほんの少し寂しげな顔をしてミラに背を向ける。


「………っ!兵長!違うんです!私は兵長に全てを捧げるつもりです!この気持ちに嘘偽りはありません!」

「いや、いい。ミラ…無理をしないでくれ」


そう言って左手で顔を覆うリヴァイにミラは泣きそうな顔をしてその背中に縋り付いた。


「違います!無理なんて今までしたことなんて……っ!」

「無理してる事に気付けないくらいに無理をさせてたって事になるな。…すまなかった」


そう言ってうつむけばミラの目にじわりと浮かぶ涙。
そっとその背中に額をつけ、か細い声で違う違うと言う。

ミラは気付いてはいない。まさかその左手に隠された先には意地の悪い笑みを浮かべた男がいるなんて。


「違う、んです。…本当に、ただ本当に下らない理由なんです…」

「……そうなのか?」


そう言って振り返り、ミラの顔を見る。そこには不安と寂しさが入り混じった顔があった。今にも零れ落ちそうな涙を浮かべるミラの顔は何も知らなければなんと艶めかしい女の顔だろう。
しかし、リヴァイはまだ手を緩めない。ここでもまだ気落ちしたような顔をしてみせればポロリと涙を一つ零し、ポツリポツリと話出した。



「兵長の、手が……きれい、だから…」

「……?肉刺だらけだろうが」


そう言えばふるふると首を振り、そっとリヴァイの右手を取りミラはその手を優しく包み込む。


「皆を、人類を守る優しい手です。部下を導いて、時には心を鬼にして。…こんな私を拾ってくれた、やさしい、手です。だから、この肉刺も、硬さも気になりません」


そう言って愛おしそうにリヴァイの手を頬に充て、すりつける。

なんと可愛らしい事を言うのだろうか。この生き物は。


「だから私の身も心も全て兵長に捧げます。心臓を兵団に捧げたのならそれ以外の全てをあなたに捧げます」


うっとり、と。蕩けそうな笑みを浮かべてそう言うミラにリヴァイは眩暈がした。
自然と空いた左手がミラの頬に触れるがミラは嫌がる素振りも見せずリヴァイの手を受け入れる。


なんということだろうか。
じっくりじっくりけど確実に自分好みの自分専用に育ててきた女がまさかここまでの破壊力を持つとは誰が予想出来ただろうか。


「……先に仕掛けたのはミラだからな」

「……?」


本当は手を出すのはもう少し先の筈だった。
まだミラが恋心云々の余裕なんてないのは知っていたし、ミラがリヴァイに抱いているのは恋慕の情より尊敬だ。そんな相手を抱くわけにはいかない。
何年もかけて築き上げたこの信頼すらも失いかねないのだから。
しかし、あんな可愛らしいことを言われてしまったらもう我慢しろなんていうのは聞き入れられない。

ふにゃりと笑うミラを抱き締め、膝に乗せて意地悪く笑う男に首を傾げるも時すでに遅し。
純真な女を見上げる男の目はお世辞にも尊敬の眼差しを向けられる人間のものではない。
知らぬが仏。ミラの心が変わってしまわないことをただただ祈るしか無かった。






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