恋に恋した
「よろしくね、エレン」


そう言って差し出された柔らかい手のぬくもりと柔らかな笑顔にエレンは一瞬、母の面影を重ねてしまった。
もう二度と会えないと思っていた母の面影をチラつかされエレンは泣きたくなった。もう、自分は子供ではないのだから泣いている場合でないと自分を叱咤しても彼女、ミラを見るとやはり泣きたくなるのだ。

ミラという女性は兵士ではない。兵団お抱えの医師であり、薬師だ。同時にリヴァイ兵士長の恋人だ。
そう教えてくれたのはペトラ達リヴァイ班のみんなだった。
ミラはその柔らかな性格と確かな腕を買われリヴァイ班と共に古城へと移り住む事が決まったのだ。未だに不確かなエレンの体調管理とハンジの巨人実験に協力するようにという上からの命令でミラは古城へと来る事が決まったのだ。
初めてミラと会ったのはあの審議の後だった。リヴァイにやり過ぎなくらいにやられた後、ミラが優しく笑って言ったのだ。


「よろしくね、エレン。私がミラ。何か不調があったらすぐに言ってくださいね。」



そう言って差し出された柔らかい手のぬくもりは忘れられない。彼女の目はエレンを化け物とも実験体としても見ていなかった。その優しい目にはしっかりとエレンを一人の人として見ていたのだ。
その優しい目は今は亡き母を思い出させた。
そして彼女を知れば知る程に彼女に惹かれる自分をエレンは止める事が出来なかった。
今だってそうだ。今日も扱きに近い訓練の後彼女は優しく手当てをしてくれている。後ろにリヴァイという監視付きで。


「オイ、ミラ。手当てごときでんな近付く必要あんのか」


「ならもう少し手加減してあげなさいよ。ねえ、エレン?」


「手加減なんかしたら訓練にならないだろうが」


「ならこうやって近付くのも仕方ないじゃない」


ねえ、エレン?と言って笑うミラに対してエレンは苦笑いを浮かべるしか出来なかった。
憧れにも似たこの感情は恋と呼ぶべきかそうではないのか。エレンは時々悩んでいた。
彼女に触れられて嬉しいと思う反面、安心するのだ。ドキドキしないわけがないが、それよりも安心する。心が安らぐような、泣きたくなるような複雑な気持ちだ。
今でもそうだ。手当てと称して彼女に触れられて安心している自分がいる。彼女の指先は何時でも冷たい。きっと冷え症なのかもしれない。何時も指が冷えると言っていたから。
しかし、ミラの後ろから突き刺さるような視線を送るリヴァイは正直めっちゃ怖い。



「…そこまで来たら当てつけか?」


「別にー?何処かの誰かさんはこんな可愛いことしてくれないですし?」


「…俺に可愛い反応しろってか」


「いいえ?ただ少しでも気持ちを素直に出す大事さを知るべきではないですか?」


「ならお前にも言えるだろうが」


「まぁ、聞いた?エレン。自分は棚上げで私にこう言うなんて」


「は、ははは…」



もう笑うしかない。というか好き好んで好きな人とその恋人の痴話喧嘩に巻き込まれる人なんていないだろう、


「大体、んなのはクソメガネにやらせろ。泣いて喜ぶぞ」


「エレンが可哀想じゃないですか。ハンジさんのいい実験体にされますよ」


「どうせ腕も生えるんだろうが」


「エレン…可哀想…」


そう言ってよしよし、と頭を撫でてくれるミラに何とも言えない気持ちになった。



「私はあなたの味方よ、エレン」



ふわりと笑ってそう言う彼女は本心からそう言ってくれているのだろう。それは彼女の全てから伝わって来た。



「んな気休めはいいからさっさとしろ。明日も早いぞ」


「はぁーい。……じゃあね、エレンまた明日ね」


そう言って手元のガーゼやら消毒液やらを片付けるミラ。何時の間に手当てが終わっていたのだろうか。手当ての痛みも何も感じなかった。


「あの、ミラさん……」


「うん?」


「また、明日……」




『また明日』そう言ってくれた彼女の優しさに甘えているのは分かっている。けれど、この優しさをまだ手放せる程エレンは大人ではなかった。


「ええ、また明日ね。」



そう言って手を振って去る彼女に小さく手を振った。先に行ってしまったリヴァイの姿を確認する事は出来ない。だが、あの口ぶりからするに一緒に寝るのだろう。以前、ペトラ達が言っていたのだ。リヴァイはミラと同室なのだと。あの潔癖性がミラと部屋を同じにしているというだけで驚きだったのに、二人の様子を見て納得してしまったのだ。
互いに支え合って、互いに助け合っている。だからこそ、あの二人なのだろう。
完全にミラの姿が見えなくなり、手を下げるとガチャリと重い音がした。
それは手枷の音か扉を閉める音か。あるいは自分の心だったのか。
どれかわからないが、エレンはただ俯いてそっとミラが手当てしてくれた頬に触れた。






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