少年の憂鬱
「あ、ほら兵長。新入り達ですよー。可愛いー。」

そう言ってクスクス笑う少女を見てリヴァイは溜め息をついた。
少女…と言うには年齢がいっているが、なんせこの童顔だ。誰もが思わないだろう。これで自分と五つ程しか変わらないなんて。
ミラは自分が童顔ということを自覚してはいないのか、「背が小さいから若く見られちゃうんですよー。」と言うが違う。その顔と背だとリヴァイは言いたい。
まぁ、自身の恋人はそう言っても首を傾げるだけだったが…。

ミラは兵士長補佐としてこの兵団に所属している。のほほんとした性格の為か、母親的な存在として今やこの調査兵団には必要不可欠な人物だった。
それは顔面凶器の兵士長の恋人であり、よき理解者であるからなのか、時折姐さんと呼ばれたりしていた。

そんな彼女が毎年新入りを見ては可愛い可愛いと言っているが、今年は違うとリヴァイは思った。
何時にもましてミラの目が優しく、まるで見守る母親のような眼差しだったのだ。


「今年はどうかしたのか?」

「…え?」

「去年よりも優し気に見ているだろう。」

「…やっぱりあなたには分かりますか?」

「一体何年の付き合いだと思っている。」

「ふふ。ですよねー。あら、…?」


ニコニコとミラが笑っていると、新入り指導をしていたハンジがこちらに大きく手を振っていた。

「リヴァイー!ミラー!こっちおいでよー!」

「あら、ハンジ…?」

そう言ってミラがハンジの元へと行くとリヴァイは舌打ちしながらもミラについて行く。

「どうしたの?」

「いやいや、今から対人格闘術の練習なんだけど二人が見えたからさ。せっかくだから参加しない?」

「うーん、私は遠慮しとくわね。…兵長はどうされます?」


そう言ってミラはリヴァイを見た。
他人がいる空間ではミラはしっかりとリヴァイを兵長として扱う。公私はしっかり分ける。そんなミラだからこそ、リヴァイはミラに惹かれ補佐役としても認めているのだ。

「…めんどくせぇ。」

「…ですって。ならハンジがやってあげたらどうです?」

「えー、やっぱり新兵に兵士長とその補佐役の実力ってのをさぁー」
「……仕方ないわねぇ。苦手なんだけどなぁ。」

「やった!さっすがミラは話が分かるー!」

「けど、期待しないでね。」


そう言ってミラは手に持っていた書類をリヴァイに渡し、上着を脱いだ。
その時だ。ザワッと新兵が騒いだのをリヴァイは聞き逃さなかった。


「ヤバイ…。」
「あの顔とあの背でアレは反則だって。」
「やっべ。俺が相手役やりてぇかも。」


そう言った新兵達の無遠慮な視線はミラの胸元へと注がれている。
それはそうだろうとリヴァイは思った。自分も最初は驚いた。まさかあんな背が小さい癖にそこは成熟した大人の女の身体だった。
身体を重ねて確信した。これは凶器だと。
甘い顔にこの身体はギャップが激しい。
更に年若い彼らのこと。目に毒だろう。
そうはわかっていてもリヴァイの目は自然と鋭くなった。

「ハンジ、相手役は誰?」

「あー、じゃあ、そこの君やってみようか。」


そう言ってハンジに適当に指差されたのはミラよりも体格が大きい彼、ジャン・キルシュタインだった。


「え…俺ですか?」ジャンの目はあからさまに動揺している。


「そうそう、君ー。」

じゃ、これでミラ襲って☆と言ってハンジは木製のナイフをジャンに渡した。
ジャンはナイフを持つとミラをみた。
ミラはただニコニコと笑いながら待っている。対するジャンは脂汗が今にも吹き出そうな勢いだ。顔色も悪い。



「さ、何時でもいらっしゃいな。」


そう言って無防備に立つミラにハンジとリヴァイも疑問に思った。
何時もならキチンと構えているのに、と。


ジャンは顔面蒼白のまま、ゴクリと生唾を飲み込むと、ナイフを握り締めた。


「……っ、行きます!」


そう言って地を蹴り、ミラへと襲いかかるが、ミラはすうっと目を細めジャンの足を軽々と払い、倒れ込むジャンからナイフをこれまた軽々と奪いジャンの鳩尾に右脚をガンッと入れジャンの喉元にナイフを突き付けた。


「まだまだ甘いわよ、ジャン。…全く、いつになったら私に勝てるのかしらねぇ。」

「いっ…つぅ、…」

「大体、臆病な癖に調査兵団なんてどうしたの?…それから、相変わらず足が弱いわよ。踏ん張りが悪いからそうなるってわかってる?」

「…え、ミラ…知り合い?」


昨日今日知ったような会話ではないことは一目瞭然。リヴァイもその鮮やかな手付きに息を飲んだ。
漸くハンジが口を開くとミラはあっけらかんと答えた。

「あら、言って無かった?…この子、私の弟よ?」

「…姉貴!」

「もう、そうやって強がる…。昔みたいにお姉ちゃんって呼んでいいのよ?」

「呼べるかよ!ってか足そろそろどけろよ!」

「あら、ごめんなさい。」


忘れてたわ。とミラはジャンから足を離し、ナイフをハンジへと投げた。
軽い放心状態でもハンジはそれをキャッチし、まじまじと二人を見比べた。


「え?ホントに弟なの?ぜんっぜん似てないじゃん?」

「よく言われちゃうのよねぇ。この子、背は高いしがっちりした体格だし…。目つきまでこんなに悪くなって。お姉ちゃん悲しいわ。」

「前二つはいいとして、目つきは仕方ないだろうが!」

「ニコニコしてたら可愛いのに。」

「可愛いくなってたまるか!」

もう、とミラは溜め息をついて上着を羽織った。
ぽかんとした様子の新兵に気付いたのか、ミラは首を傾げた。

「どうして皆呆けているの?」

悲しいかな。生まれてこの方頭にお花畑が咲いているような性格のミラに新兵の反応はとても不思議に感じられた。

「大方、ミラとそのガキが似てないからだろうな。」

やれやれと言った表情でリヴァイはようやく口を開いた。


「あ、なるほどー。」

ミラはミラでリヴァイの言葉に納得し、さすがですね。とニコニコと笑っていた。
そんな姉を見て、ジャンは顔を更に青くした。ただでさえ、脳内お花畑な上なんだかんだで姉には頭が上がらない。素直な性格だからか姉は飲み込みが早いのだ。勉強だって格闘術だって一度見て体感すれば後は自分のものにしてしまうのだ。
だからジャンは常に姉に頭が上がらない。それどころか毒気を抜かれてしまうのだ。ただ、姉が怖いと思うのはその性格故だろう。素直というのは悪い意味で無知なのだ。さらりとジャンの傷口を抉り、さらに塩を塗るかのような攻撃。ジャンはそれに幾度となく泣かされてきた。
だからか、ジャンは姉を見るとつい一歩引いてしまう。姉自体嫌いではない。むしろ優しい姉だと思う。
しかし、今回も姉はさらりと爆弾を落とそうとしている。
どう見てもあれは、姉の隣にいるのは調査兵団の兵士長にして人類最強と呼ばれるリヴァイ兵長ではないか。


「ああ!そうだわ。…ジャン、こっちにいらっしゃい!」


あああ。やっぱり。姉はにこやかに笑っているが姉の後ろでそのリヴァイ兵長は物凄い形相で睨んでいるではないか。

ジャンはゴクリと生唾を飲み込んだ。
姉は自分に死ねと言いたいのか。

一歩一歩が重い。まるで死刑台に向かう囚人だ。


「兵長、紹介が遅れてすみません。104期生
のジャン・キルシュタイン。私の弟です。


「ジャン・キルシュタインです!以後お見知り置きを!」

そう言って敬礼をすれば、姉はにこやかに笑った。


「そうか。」

たった一言。たった一言だが、とても重かった。

「よかったわねジャン。」

「あ、あぁ…。」

そう言って姉を見ればまだ何か言いた気だ。そうだ。よく考えてもみろ。なんでコレだけで呼ばれた?それこそ、弟なんて書類か何かで確認すればいいだけの話だ。


「でね、もう一つ。…ジャン言ってたわよね?強くてかっこいいお兄ちゃんが欲しいって。」

「あぁ…けど昔の話だろ?」


そう、幼い頃はこんな姉のせいか凄く兄に憧れたのだ。だから両親に兄が欲しいと駄々をこねた記憶も懐かしい。だが、成長するにつれてそれは無理だとわかったし、あんな姉でもいい姉だ。だから別にそれからは兄が欲しいとは言っていなかったが、今でも姉はあの時のセリフを覚えていてくれたのだ。
ジャンはジンっと胸が熱くなった。

「これからはね、もちろん人前じゃダメだけど、二人の時とか私と彼と三人の時は言っていいのよ。お兄ちゃんって。」

「……は?」

「もう、だからお兄ちゃんって呼んでいいって言ってるの!」

「…誰を、なんて呼べと…?」


ジャンは冷や汗をダラダラと流しながら取り敢えず、聞いてみた。
出来れば自分の予想は外れて欲しい。…そう、出来ればこの場に居ない人物であって欲しい。

「もう、恥ずかしがり屋なんだから!」

いや、違う。それは断じて違う。しかし悲しいかな。その声は姉には届かない。


「この人…リヴァイさんに決まっているでしょう?」


そう言ってそれはそれは幸せそうに笑う姉が実は鬼か般若なのかとジャンは本気で思った。

「すみません、リヴァイさん。ジャンったら嬉しさの余り放心してるみたいで…。」

「いや、明らかにちがうだろうな。」

どこまで姉は鬼なのだろう。確かに昔からだ。天然故の凶器は。

「…ジャン、嬉しくないの?」

そう言ってはらはらと泣く姉にジャンはギョッとした。何故、泣く?!
しかも姉の後ろであからさまに今にも殺してやろうか。いや削いでやろう的な視線を向けるリヴァイにジャンは更に気持ち悪くなった。


「い、いや、嬉しいんだよ、姉貴。ただ、嬉しさの余り感極まって…」

「…っく、…ほんとう?」

「ホントホント!ちょー嬉しい!」

ジャンはこの日初めて心からの嘘を付いた。嬉しい訳がない。あんな視線を向けてくる相手と…。

そこでジャンは姉の異変に気付いた。しかし、ジャンはこの異変がどうか杞憂であって欲しいと本気で願った。

「姉貴…その、指…」

ジャンが指差したのはキラリと左手薬指に光る指輪。


「あ、これ?」


何時の間にか泣き止んだ姉は途端に笑顔になった。…嫌な予感しかしない。

「リヴァイさんに…プロポーズされたの。」

その笑顔たるや。確かに可愛い。認める。だが、ジャンはもう泣きたくて泣きたくて仕方なかった。何が悲しくて人類最強が義兄なのだろう。この姉の顔を見る限り返事は最早イエスしかあり得ない。

「そ、そうか…オメデトウ。」

「ジャン…ありがとう。」


この場で心からのありがとうは姉しか言っていないだろう。
姉の肩を抱き寄せ、勝ち誇った顔のリヴァイにこれまた幸せそうに笑うミラ。
放心状態で今にも魂が口から出そうなジャン。
そんなジャンが可哀想だが、兵団の平和のためずっと黙っていたハンジはぽんっとジャンの肩を叩いた。


「…頑張って生きるんだよ。」


その言葉は壁外調査のことか、はたまた目の前でもう世界を作り切り、ハートが飛んで来そうな二人のことか。どちらにせよ、ジャンは思った。自分は長生き出来そうにないと。


















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