「ほら、ミラ掴まれ。」
「すみません、リヴァイさん…。」
そう言ってリヴァイの手を取り、立ち上がるミラ。
その時、周りにいた兵士たちが息を呑んだ。
基本的にミラはリヴァイの部屋から出る事はない。それは一人の力で歩き回る事が難しいこともある。いくら左足が無事とはいえ、右脚にはもう力は入らないし、片足だけでは限界がある。
だから食事ですら基本的にはリヴァイの部屋で二人で食べる。それはリヴァイ自ら部屋へ食事を運び片付けまでしてくれる徹底振りだ。
だが、時折ミラが食堂で食べる事もある。それはミラが頼み込むか、リヴァイの機嫌が最高に良い時に限られるが。
しかし、ミラは一人の力で立ち上がれても、歩けない。しかも兵団内はバリアフリーな訳も無い。手摺りさえあればミラも少しは動き回れるが、そうはいかなかった。
だからこそ、リヴァイが手を貸すのだ。
リヴァイが手を取り、身体を支え歩いていく。階段はミラを抱きかかえ、乗降するのだ。
だからだろう。皆が口を揃えて言った。兵長も人の子なのだと。だが、しかしそれすらもリヴァイの思惑通りだった。
ミラは最早自分無しでは生きていけない。一人で用を足す事も、食事すらままならない。
もし、片足だけでもミラが一人で兵団内をうろつくようなら左足すらも斬る覚悟だった。
しかしミラは利口な女だった。
もし万が一、何処かで一人で戻れなくなったら、立ち上がれなくなったら。そう考えたらリヴァイの迷惑にしかならないとわかっていたのだ。だからこそ、頼める事はリヴァイに頼み、差し当たりない事やリヴァイの目の前でならある程度一人でこなす事もあった。
つい、この間夫婦になったとはいえ、彼には仕事がある。
だからこそ、ミラは必要以上に部屋から出る事はしない。彼の迷惑になる事は嫌だったから。…それがリヴァイの狙いだと知るはずもない。
そんなある日、エレンはリヴァイに用があり、部屋を訪ねた。
「リヴァイ兵長、エレンです。先日の壁外調査の件なんですけど…」
「エレン君?…ちょっと待っててね。」
よいしょ、と言う声が聞こえてしばらくしてから扉が開いてエレンは目を見開いた。
「ミラさん、一人だったんですか?!」
「え、ええ。リヴァイさんは会議なのよ。」
「でしたら自分が開けたのに!」
足の不自由な彼女に無理をさせてしまった事にエレンは真っ青になった。しかし、そんなエレンをミラは笑った。
「扉に鍵をかけていたのだからどちらにせよ、私が開けなくちゃいけないから大丈夫よ。」
それに少しは自分でやらなきゃ。とミラは笑った。
その時、ふとエレンは部屋を見て疑問に思った。
「ミラさん、車椅子とか松葉杖とか無いんですか?」
それはエレンのみならず、皆の疑問だった。
リヴァイは何かと忙しい人だ。ミラだけにかかりきりな訳にはいかない。
そんなエレンの疑問に、ミラは困ったように笑った。
「車椅子は廊下で移動するのに邪魔になるし、松葉杖はリヴァイさんに反対されたの。肩を悪くするからって。」
「…え?」
「リヴァイさんがそう言うのだから仕方ないのよ。」
それは可笑しいとエレンは思った。車椅子は確かに狭い兵団内では邪魔になるかも知れないが、松葉杖くらいはあった方がいいに決まっている。
リヴァイがいない時のが多いのだ。ならば、少しは彼女を補助する何かがあった方がいい。
「えっと、書類なら渡しとくよ?」
「あ、いえ。報告なんで自分で行きます!」
「そう?…なら、いいけど…。」
そう言ってミラはなら部屋で待つ?と聞いたが、エレンは勢いよく首を横に振った。
リヴァイがミラをどれほど愛しているのか。それは馬鹿な新入りですら知っている程だ。
愛妻家といえば聞こえはいい。しかし、相手はあのリヴァイだ。例えミラに何もしなくても相手の男になら容赦はしない。
前に一度、彼女に声をかけた男がいた。
それはなんら差し障りのない、普通のやり取りだ。ハンカチが落ちていたから拾っただけの。しかし、それはリヴァイの目には普通に映らなかった。
確かにその男は言っていた。人妻っていいと。
けれど、彼はミラがリヴァイの妻だと知っていたから決して手を出すつもりも無かったのだろう。
しかし相手はあのリヴァイ。男はその日の内に呼び出され、制裁を受けた…らしい。
らしい、というのはその男がいないから。
その男が制裁を受けたと知ったのは同室の友人が言っていたのだ。リヴァイ兵長に呼び出されたきり戻らないと。
その事があってから、ミラとは皆一定の距離を保っていた。
変に近付いて勘違いされ、制裁を受けたらたまったもんじゃない。
だからこそ、エレンは断ったのだ。決して誤解されないために。…生きるために。
ミラと別れ、リヴァイを会議室前で待つと、暫くしてからリヴァイは現れた。
こちらに気付いたリヴァイに駆け寄り、口頭で報告をすれば、そうかの一言で終わった。
その時、ふとエレンは疑問に思ったことを聞いてみた。
「そういえば、最初兵長の部屋に行ったんですけど…」
「…あ?」
そう言われ、向けられた視線はとても鋭くそれだけで人が殺せそうだった。
「い、いえ…部屋を少し見ただけなんですけど、ミラさんっ松葉杖とか無いんですか?兵長が居ない時とかミラさん大変じゃないんですか?」
「あぁ、それか。」
そう言って、リヴァイは目を細めた。
それはとても満足気に。
「ミラには俺だけが居れば充分だ。そうだと思わないのか?」
「…え?」
「本来なら部屋からなんて出す気にすらならんが…ミラに泣かれるからな。たまにはああやって出してやっているだけだ。」
そう言ったリヴァイにエレンはゾッとした。
この人、愛妻家なんかじゃない。そんな生ぬるいものでは無かった。
この人はただ彼女を飼い殺してるだけだと。
自分の所有物をただ誰にも触れさせる事無く、自分だけのものにしようとしているだけだ。
「話はそれだけか?」
「は、はいっ!」
そう言えばクルリと振り向き、部屋へと向かうリヴァイ。
その背中が見えなくなって、漸くエレンは深々と息を吐いた。
きっと自分が知るべき話では無かったのだ。
あの目は本気だ。本気の狂気が潜んでいる。
自分に出来るのはただあの二人を見守る事だけだろう。下手に近付いたら殺されかねない。
エレンはもう一度、リヴァイが去った道を見た。
どうか彼女が笑っていられる未来があるようにと、願うことしか出来ないのだから。