まだ何も知らない、小エビちゃん
「…い……痛い…」
さてこちらはまだ何も知らない、フロイドがオンボロ寮を訪れる数時間前の監督生。
朝起きたら子宮を握られているかのように痛いわ頭はガンガンするわ身体は重いわの最悪の三拍子が待っていた
とりあえずトイレに行こうかと立ち上がると、ドロリと嫌な感覚が股を伝っていく
「うぅぅ……」
監督生は思わず気持ち悪さに呻くような声を漏らす
それはこの世界に来てから初めての生理であった。
慣れない環境でのストレスか、食欲旺盛な同居人との金欠から来る栄養不足か、何が原因かはわからないが、数ヶ月遅れてやってきた
なので「あぁ、自分にはこんな厄介な月一イベントがあったのだったなぁ」と監督生はぼんやりと考える
そしてふと気が付いた
「どうしよう、何も準備がない」
ここが自分の家であったなら、替えの下着もナプキンもすぐに手に入る。
しかしここは男子校にある寮、今まで1度だってナプキンが使われたことが無い場所である。オンボロ寮の中を探したとして、必要なものは何も出てこないだろう
今すぐミステリーショップに駆け込むか?と考えるが、すぐに諦める。ここからミステリーショップまでは案外遠い
体調も悪いし、到底歩いて行ける気がしなかった
それにたどり着いたとして、男性店員であるサムに生理用品を見られるのも恥ずかしい
そもそもここは男子校だからと、自分の性別は男と偽って隠しているのだ。なんと言って購入するんだ
オンボロ寮の古い階段を軋ませながら、一階へと降りる。
寒い、眠たい、痛い、不安だ、どうしよう。そんな思考が、まるで小さな水槽に入れられた魚のようにクルクル回る
グルグル、くるくる、止まることの無い不安をどうにか考えないように頭の隅へと追いやって、監督生はとりあえずトイレを済ませることにした
その際に、現実を直視したくないかのように、異常にゆっくりと下着を確認し、全てを諦めた顔でため息を吐く
血の汚れは中々落ちないのに…もうこれはどうしようもないや。諦めよ
変なところで思い切りのいい彼女はトイレットペーパーを折りたたんで股に当たる場所に敷いて立ち上がった
用を済ませた後、洗面台で手を洗い冷たい水で顔を洗う
鏡を見ると、酷い顔色だった。真っ青で、夜に会ったらお化けだと勘違いしそうな女がこちらを見ている
顔色を誤魔化せるような化粧品も持っていないし…と無表情で鏡と見つめ合うことしばし
「…とりあえず、今日は休もう」
誰に言うでもなく、言い訳っぽく呟いた。だって頭痛いし。お腹も痛いし。とにかく寝たい
談話室の方へ移動すると、監督生の気配に気が付いたゴースト達が、どこからか姿を現す
「おはよー、みんな。」
なんとか笑顔を作り挨拶する。表情筋を少し動かしただけで、こめかみの辺りに鈍い痛みが走った
「おはようさん……あれ?大丈夫かい?」
「おや、どうしたんだい?顔が真っ青じゃないか」
ゴースト達はいつものように挨拶しようとして、監督生の顔色の悪さに気が付き心配そうに目尻を下げる
彼らは最初こそイタズラばかりで困ったものだったが、いつの間にかすっかり保護者が定着して世話を焼いてくれるようになっていた
周りをくるくる浮遊しながら監督生の様子を観察する彼らに、ほんの少し悩んでから
「ちょっと、その…体調が良くなくて…」
と、生理のことは濁して伝えた。
保護者のような彼らにあまり嘘は吐きたくないけど、余計な心配させたくないし…正直に伝えたところで何か改善する訳でもないので
「だから今日は学校休もうと思ってて…グリムのご飯だけ作ったら寝るね」
ゴースト達は、吹けば飛ぶような窶れた様子の少女を見下ろしてから顔を見合わせる
監督生は無意識にか、お腹を抑えて撫でている。痛いのだろうか…心配かけまいと我慢しているんだろうとゴーストは思わず眉を八の字にする
この子はなんでも1人で抱え込んでしまう。いつも自分たちの間には見えない壁がある。遠慮がちで、弱みをあまり晒したがらない
恐らくただの体調不良ではない気がしたが、あまり踏み込むと警戒して心を閉ざしてしまうといけない
「……あぁ可哀想に!!」
「グリ坊のご飯はオイラたちが作っておくから、早く休みなよ」
「食欲が出たら食べられるように、お前さんのも作っておくからのぉ」
ゴースト達はわざとらしいオーバーリアクションで、外国のホームドラマのように大袈裟に嘆いてから監督生の背中を押して部屋の方へと向ける
ちょっぴり驚いた様子の監督生が
「そんなに顔色悪い?」
と尋ねれば
「わしらの仲間になっていしまいそうだ」
と豪快に笑ってひょろ長いゴーストが答える
「それはまだ早いよ」
「そうなったら困るから、早く寝ておいで」
「ふふっ、ありがとう」
とんだブラックジョークも混じえつつだが、心配されるのは嬉しいらしく、監督生はちょっぴり笑った
そしてゴースト達のお言葉に甘えて、バスタオルとゴミ袋を抱えて部屋へと戻った
ベッドの上で、相棒はまだ呑気に寝息を立てて幸せそうにしていた
「親分、起きてよ」
ふかふかの毛皮を堪能しつつ、大きな猫のような相棒を揺り起こす
「んー、まだ眠いんだゾ」
「ゴースト達が朝ごはんを作ってくれてるよ」
「朝飯!!」
青いお目目がぱっちりと開く
バネのようにびよんと飛び起きたグリムは背中からしっぽまでをぐっと大きく伸ばす
その姿は、やっぱり猫に似ている。本人は否定するけれども
「おはよう、グリム」
「おはよう子分!……ん?お前、顔色悪くねぇか?」
「はは、やっぱり?ゴースト達に仲間入りしそうだって言われたよ」
「とんでもねぇ冗談だな」
「悪いけど、今日は学校休むね」
そう伝えれば、グリムはオレ様も休む!と言うかもしれないと思っていたが、親分は監督生の予想に反して
「俺様がお前の代わりにしっかり勉強してくるからな!後で教えてやる!」
と元気よく答えてくれた
魔獣であるグリムは本能で、大まかな体調不良は嗅ぎ分けられる。監督生の体臭がいつもと違うことにも気が付いていた
顔色だって真っ青だし、話している途中に痛みを堪えるように顔を顰めるのだ、他人のことなんぞ無頓着なグリムとて流石に心配になる
予想外な返事に目を丸くした監督生は
「頼もしいなぁ。よろしくね、グリム」
と破顔した。まだまだ問題ばかり起こす自分本位が目立つわがまま親分だが、少しづつ気遣いを学んでいるようだ
「あ、そうだ。エース達にはただの風邪だから大丈夫だって伝えて欲しいな。うつすと悪いし、お見舞いは来ないでねって言っておいてくれる?」
「お見舞い断るのか?!きっと、美味いもん貰えるのに?」
きゅるんきゅるんの真ん丸お目目で見上げられ、監督生は苦笑する。
先程育ってきた情緒に感心したばかりだが、まだまだ食欲には勝てないらしい。
果物の盛り合わせとか、食い物いっぱい持ってくるんだろ?と、どこから聞いたのかちょっと贅沢めのお見舞いの話をされる
「大怪我で入院した訳じゃないんだから、そんな贅沢なもの貰えないよ。貰えたとして、ちょっとしたお花くらいじゃない?」
「なんだ。じゃあいらねぇんだゾ」
「ゴーストの仲間入りしそうな顔、見られたくないし…頼んだよ、グリム」
血だの生理だのに気付かれたくないしね。とは口にしなかった
しかし、なんとなく思うところがあるのか、グリムは監督生の目をじーっと見てから
「仕方ねぇなぁ」
と、大袈裟に腕を組んで頷いた。
「じゃあ朝飯食ってくるんだゾ。しっかり寝てろよ」
と部屋から元気よく出ていく。
「…気を遣わせちゃったみたいだなぁ」
体調が落ち着いたら、ちょっぴり豪華な晩御飯を作ろ
布団にゴミ袋とバスタオルを敷いて、ベッドへと横になる
身体が冷えてきたのか、先程より鈍く痛むお腹を抱えるように丸くなって枕に顔を埋め、ため息ひとつ
目が覚めたら全て上手くいっていたらいいのに。なんて心の中で呟いて、自嘲気味に笑う
突然やってきたこの世界。自分の常識が通じなくて、自分が異世界から来たという証明は、自分の記憶という曖昧なものしかなくて…
この世界に来てすぐの頃は、布団に身体を丸め込んで、目が覚めたら元の世界に戻っていますようにと願いながら眠っていた
最近は少しここにも慣れてきて、仲のいい友達も出来て、助けてくれる先輩もいる。日の出ているうちはやることが多くて、楽しいこともある
だけどやっぱり、静かなオンボロ寮の自室でベッドに入ると元の世界を思い出してしまい、日中に遠ざけた寂しさや不安が戻ってくる
その度に、都合のいい祈りを、願いを呟いてしまう
目が覚めたら、全て上手くいっていたらいいのに
自分が1番知っている。……そんな都合のいいこと、1度だって起きやしなかったのにね
どれくらい眠っていただろう。もう昼頃だろうか
監督生はぼんやりと目を開ける。お腹の鈍く重たい痛みに目が覚めてしまった
もう少し眠っていたいのだが、喉が渇いている
水だけ飲んで、また寝よう
監督生はノロノロと身体を起こそうとして、視界の端に見慣れない色があることに違和感を覚え動きを止める
「………?」
ぼんやりと滲む景色に、何度か瞬きしてピントを合わせる。
部屋で見なれないターコイズブルー。少し緑みがかった青の髪。
監督生はぼんやりとその髪の持ち主を見る
向かって左側に垂れる黒いメッシュと、優しそうなタレ目。
向かって左の片目は金色で、もう片方は金目より緑みがかって見える
自分を小エビちゃんと呼ぶ、背の高くてちょっぴり怖い人…フロイド先輩だ
なんで彼はここに居るのだろうか。
ゴースト達が許可したのか、それとも無理やり押し入ったのか…
気まぐれな彼は後者の方が可能性が高そうだが、それにしては静かだったと思う。ぐっすり寝過ぎて気付かなかったのだろうか
フロイドは監督生の勉強机から引っ張ってきた椅子に腰かけ、スマホをポチポチと弄っている
こうやって見ると、優しそうで整った顔をしているなぁと観察することしばし
現実逃避を続けても何も解決しないので
「あ、あの…」
と声をかけてみる。口渇のせいか寝起きのせいか、カスカスに掠れて空気の盛れたような声しか出なかったが、フロイドは気が付いたようだ
「あ、起きたぁ?よく寝てたねぇ。おはよぉ」
スマホから視線を上げ、甘い声でそう言って、フロイドは柔らかく微笑んだ。
自分が小エビにほんのちょっぴり怖がられている自覚があるので、極力優しく見えるように努めている
男なら脅してビビらせて遊ぶのは面白いし、どう思われようがどーだっていい。
仕返し出来るもんならやってみろよ、それを押さえ付けんのも楽しーし!と瞳孔ガン開きで泣く子も黙る凶悪威圧笑顔を披露するところだ
が、小エビちゃんは女の子だと判明した今、ビビらせたくない。今の小エビを怯えさせるのは、海のギャングとて不本意である
「えと、あの」
「小エビちゃん、お風呂行っておいで」
戸惑いつつなにか言いかけた監督生をあえて遮る
「お風呂?」
「小エビちゃんが気になってること、ちゃんと後で話すから」
「え、」
後で話すと言われても…、と眉尻を下げて困った顔になってしまった少女に、フロイドはちょっぴり焦れったくなった
オレが助けようとしてるんだからちょっとくらい信頼してくれてもいいのに。なんて自分勝手なことを考える
普段の行いは棚に上げるどころか、振りかぶってぶん投げている自覚はあるが、それはそれとして全く頼られないのは多少プライドが傷付く
仮にこれを言ったのが監督生がよく懐いているリドルやトレイだったら、すんなりと頷いていたかもしれない。
そう思い至ってしまって、フロイドは小エビにバレない程度に奥歯を噛み締めた
まだなにか言いたそうな小エビをじっと見下ろす。怒らせてしまったと思ったのか、ビクリと少女の肩が跳ねる
このまままごまごされんの、すこーし面倒くせぇな…
フロイドはスマホをポケットに入れ、マジカルペンの一振で小エビを布団でくるんと包んでやった
「わぁ!」
首から下をすっぽりと布団に巻かれ、身動きがとれなくなった小エビがうごうごしている
「あっはぁ♪エビフライみたい」
「で、出れない」
目を白黒させている小エビを横抱きにし、魔法で扉を開けてさっさと歩き出す
下着とか気持ち悪いだろうし、山ほど買ってきたものをさっさと渡してやりたいので、お風呂へ強制連行する
「わ、わ、あの、フロイド先輩?!」
「ウツボタクシー、発車でぇーす。お風呂行こうねー」
突然のお姫様抱っこに顔を真っ赤にして羞恥に塗れる監督生に、先程傾きかけたご機嫌が持ち直す
小エビが自分の行動で表情を変えるのが楽しい。
あとまぁ、これは内緒なのだが、お姫様抱っこで近くなった赤い顔が、なんだかすんごく可愛く感じられた
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[mokuji]
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