鏡とヴィル

「ちょっとそこのジャガイモ!アンタ、鏡持ってないの?」

背後から急に呼び止められ、グイッと襟を引かれる

首が絞まった監督生は

「んぐぇ…」

とカエルのような呻き声あげた。

「あ、こんにちは、ヴィル先輩」

「こんにちは…じゃないのよ!寝癖でボサボサ!ネクタイも歪んでる!」

ヴィルは呑気に挨拶したハルトを見下ろし、テキパキと身嗜みを整えていく

ネクタイを直す際に首を絞めるのもお約束。監督生は再びぐぇ…と鳴いた

ヴィルの知る監督生は、見た目は地味だがもう少し小綺麗にはしている

「少しはマシになったわね…。それで?今日はどうしてそんな小汚い格好をしていたわけ?」

「小汚いって…その、鏡が見れなくって…」

「はぁ?」

「顔が、ちゃんと映らないんです…」

「……はぁ?」

全く予想していなかった方向からの回答に、ヴィルは国宝級の顔を歪め眉間に皺を寄せる

「自分だけじゃなくて、映る人が全部黒い影に見えるんです。」

鏡だけじゃなくて、窓とか水面でもアウトでした。と監督生は疲れた様子で続けた

ヴィルはポケットからコンパクトミラーを取りだし、監督生の肩を掴み、2人で自撮りをするように鏡に姿を映す

鏡には妙に引き攣って緊張した顔の監督生と、いつも通りのヴィルの顔が収まっている

「…アタシには、いつも通りのアンタが見えているけど」

「やっぱり…エースとデュースにも馬鹿にされたんですよ。見間違いじゃないかって」

「でもアンタには今、自分の姿も、アタシの姿も、真っ黒な影にしか見えないと」

「はい。」

ヴィルは鏡越しにハルトを観察する

ハルトも鏡越しにヴィルを見ているのだが、どうも目が合わない。

どうやらこのジャガイモは嘘を吐いていないらしく、本来目がある辺りを見ようとしてか視線がさ迷っている

「鏡って、昔から不思議な力があるって言うし…正直怖いんです。」

だから余計に見れなくって…

「ふーん。」

ヴィルはほんの少し考える仕草を見せてから、パタンとコンパクトミラーを閉じた。

「ハルト、アンタ、しばらくポムフィオーレに来なさい」

「え、なんで?!」

「こんなだらしのない格好で毎日登校されると思うと、それだけでストレスだわ。」

身嗜みをしっかりと叩き込んであげる。とヴィルは美しく微笑む。

圧のある笑みに監督生は

「ひぇ…」

と情けない声を上げる

「もちろん、生活もポムフィオーレに合わせてもらうわよ。間食は禁止、夜は21時に就寝。あぁそう、洗顔やケアの方法も教え込まないとね」

「うぅ…お世話になります」

ヴィルは押しが強いというか、そもそも口に出したことは決定事項なのだ。

監督生はさっさと諦めてぺこりと頭を下げる

自分がいない間に、グリムが戸棚の中のおやつを食い尽くしてしまわないようにこっそりと祈った



かくして、監督生のポムフィオーレ生活が始まったわけだが

「アンタ、意外に化けるわね。」

「ありがとうございます。」

鏡が見られない(見ても影しか映らず自分の姿が認識できない)監督生に代わり、身嗜みと簡単な化粧を施したヴィルは、悪くないわ。と笑った

「地味で冴えないと思っていたけど、磨くと光る…ネージュタイプの顔ね」

「うーん、その人選に喜んでいいのか悩ましいですね」

「アイツの事は好きじゃないけど、見た目を客観的にみれば可愛らしくて悪くないと思うわ。好きじゃないけど。」

まぁ、素直に褒められたと思っておきなさい。と軽く肩を叩かれる

「ふふ、ありがとうございます」

ハルトはちょっと困ったように笑った

ポムフィオーレ寮の中は煌びやかで、庶民的な監督生は正直少し気疲れしてしまう

エペルがよく文句を言っているのもわかる気がする。

どこを見てもキラキラ眩しいし、落ち着かない

あと、身嗜みを気にする生徒が多いためか鏡の設置数が多い

これが原因で、不意に鏡越しの影を見る事が増えてしまった

「怖いから見たくないんだけどな…」

思わずポツリと漏らした呟きを拾い、ヴィルはハルトの肩を思いっきり叩く

バシン!と大きな音がすると、近くで気配を殺していたエペルがぎょっとする

「鏡が見られないのは、あんたにも多少は原因があるのよ、ハルト」

ヴィルに見下ろされ、ハルトは痛む肩を抑えつつ首を傾げた



朝、監督生はパニックになり部屋から飛び出した

自分が影になっていたからだ。鏡に映っていた影に。

鏡を覗き込んだ時、普段通りの自分の姿が見えたから元に戻ったと思ったのに、見下ろした手が真っ黒に染まっていた

部屋を飛び出したハルトはヴィルの自室の扉を叩く

「ヴィル先輩!ヴィル先輩!開けて!ボク、影に!」

「すぐ開けるから落ち着きなさい」

扉が開く。監督生は息を飲んだ。

「影…影だ…」

ヴィルの部屋から出てきたのも、鏡に映っていた影だった。

「失礼ね。誰が影よ。美しいアタシの顔が分からないなんて可哀想なジャガイモ」

影は監督生の手首をつかみ、自室に招きいれた

「ヴィル先輩、なんですよね…?」

「そうよ」

影は平然と答えて、監督生の手を引く

そして、大きな姿見の前に立たせた

「何が見える?」

「鏡の中には、いつも通りのボク達が映っています…」

「そうね。アタシにもそう見える。」

ヴィルの声は落ち着いていた。

「ねぇ、ハルト。アンタには今、アタシの姿も影に見えているのよね」

「はい」

「でも、アタシだと分かった。何故?」

「何故って、声とか、話し方とか、雰囲気とか?」

「そうね。」

ヴィルは姿見に映る監督生を見つめる

「人は見た目より中身が大切、なんて綺麗事は言わないわ。でも、見た目が全てという訳でもないの」

ヴィルは鏡の中の人物を睨みつける

「アンタのやっていることは無意味よ。わかったら、返しなさい」

ピシリと、鏡にヒビが入る。そのヒビはあっという間に鏡全体に広がって、大きな音を立てて崩れるようにして割れた

「戻ったかしら?」

ヴィルに尋ねられ、我に返った監督生は自分の手を見る

しばらく明かりに透かしたりクルクルと回して見たあと

「戻りました」

とちょっと泣きそうな声で答えた

「そう、良かったわね。「うつされる」前で」

ヴィルは淡々とそう言って、朝の身支度へ入る

監督生のポムフィオーレ寮生活はこの日で終了となった



オンボロ寮に帰ると、戸棚のお菓子は全滅していたし、ツナ缶の空き缶が積み上がり、大掃除の時に見つけたオシャレなアンティークの鏡は粉々になって床に落ちていた

「はぁ、誰が代わってほしいよ…」

そんな呟きが思わずこぼれてしまうのは仕方がないのかもしれない。



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