新事実だよ、小エビちゃん

「あら?」

聴診器を稚魚の胸にあてていた女医が首を傾げる

「え?何?小エビちゃん、どっか悪い?」

「ちょっと待ってね………あら。やっぱり…」

女医の長い耳がぴくりと揺れる。

そこ動くんだ。といつものフロイドなら食いつきそうなところだが、稚魚の身体が心配でそれどころでは無い

先生は子ダコの背中にも聴診器を当てたり、カメラで撮影したり、唸ったり頷いたりしている

モーガンは不安そうにそわそわしつつも、何も言わずに大人しくされるがままだ

正式には、本人は大人しくしているつもりだが、足が蠢いてフロイドの腰に吸盤を貼り付けたり手首へ巻き付いたりと忙しなく動いて縋っている

焦れてきたフロイドが

「せんせぇ!」

と少し大きな声を出す。フロイドの膝に収まっているモーガンの身体がぴくりと跳ねた。

「モーガンちゃん、心臓がひとつ無いわね」

現像されたばかりの写真を見つつ、女医はそう言った

「きゅい?!」

「はぁ?!心臓がない?!大丈夫なのそれ?!」

フロイドは稚魚を持ち上げ、先生の前へと差し出す

抱えあげられたモーガンも思わず自分の胸を抑え確認する。なんか少し前にもこんなことをした気がする…

確か、前世の自分の死因は心臓を盗られたせいだと言われた時にこんな事をしたような…嬉しくないデジャブだ

そこも気になるが、心臓が「1つ」ないとはどういうことだろうか。心臓って大抵ひとつしかないのでは?

このドキドキいっているものは心臓ではないのだろうか。何それ怖い

「そう慌てないで」

女医の表情は全く深刻そうではない。あわあわしている人魚ふたりを眺め、少し微笑む

眺めていた写真をフロイドとモーガンの2人の方へ向けて

「ほらここ」

と指さす

フロイドと稚魚が小さな写真を覗き込む

仕組みはよく分からないが、普通に撮られただけなのに元の世界で言うMRIの様に内臓が透けてみえた

カメラが特殊だったのか、そういう透視の魔法を使ったのか、それはモーガンにはわからない。

「メインの心臓はこれ。本来なら、この心臓の両方に一回り小さな心臓があるのよ」

「じゃあ、小エビちゃんは本当なら3つ心臓があるってこと?」

「そう。」

女医はとんとんと写真を指先で叩く

「タコは足を動かす為にたくさんの酸素が必要で、身体中に酸素を運搬する為に心臓が3つあると言われているわ。この子は生まれつき、心臓が1つ足りないのね」

「それって、なんかヤバい?」

フロイドのオッドアイが不安そうに揺れる

まるで自分のことのように動揺するフロイドと、膝の上に戻された稚魚がそっくりな表情を浮かべている

小さなタコ足がきゅっと巻き付いても、フロイドは当然それを振り払ったりすることなく、真っ直ぐ女医を見つめている

不安がる2人には悪いが、女医は微笑ましくなってしまう。歳の差はあるみたいだけど信頼しあっているのがわかる。

女医はからからと笑って

「あらあら、そんな不安がらなくても大丈夫よ。余程激しい運動をしないなら、日常生活で何も問題は無いわ」

と言い切った。

フロイドが安堵の息を吐き、つがいの小さな身体を自分の耳に寄せて鼓動を聞く

「問題ないってぇ…。良かったね、小エビちゃん」

「はい。運動はもとより得意じゃないですし、あまり前と変わりなさそうで一安心です」

素肌にフロイドの髪が当たって擽ったいのか、くすくす笑いながら番の丸い頭を撫でる

自分の事のように心配したり、一緒に安心してくれるフロイドがとても愛おしい。とても、とても大切にされている

「あらあらあら、」

とっても仲がいいのね。と女医は頬を緩めて触れ合う2人を見つめる

いつの時代も、若い子同士の恋愛というものはいいものだ。医学的にも魔法的にも根拠はないが健康に良い

「100歳若返った気分だわ」

「待って。せんせぇ何歳なの?」



フロイド達は病院を後にし、のんびりと歩いていた。

会計を済ませる頃には時計の短い針は12を過ぎていた。朝早くに行動を始めても、病院は不思議と時間がとられてしまう。

モーガンは心臓が1つない以外は至って健康らしく、血液検査の結果はまだ出ていないがおそらく問題は無いだろうと言われた。

フロイドはポチポチとスマホをいじる。アズールとジェイドは一足先に家へと戻り、昼食の準備をしているそうだ

フロイド達が家に着く頃には美味しい食事が出来上がっているだろう

フロイドとモーガンの髪を風が撫でていく

番の帽子が飛んでいかないように軽く上から抑える。フロイドからは帽子のつばで隠れて見えない稚魚がお礼を言いつつくすくすと笑う

この街はなだらかな傾斜があり、どこにいても海が見え潮風が吹く

たまに洗濯物を吹き飛ばしてしまうイタズラ好きな友人のような面もあるが、この独特の香りの風はとても落ち着くし心地良い

フロイドは何度か潮の香りのする空気を深く吸い込み、長く吐き出す

「…フロイドさん」

「なぁに、小エビちゃん」

「フロイドさん、なんか言いたそうだなって思って」

違いました?と稚魚はフロイドの方へと身を捩って見上げる

「…なんで?」

「ふふふ、私、結構フロイドさんのことわかりますよ。フロイドさんのお口がもにょもにょしてる時は、何かを伝えるかどうか悩んでる時なんです」

もにょもにょってなんだろう。とフロイドは自分の唇に触ってみる。特に普段と変わりない気がするんだけど

稚魚の宝石のような目が細められる。アズールやジェイドと比べれば、彼との関わりは短い。

だけど彼女は番だ。彼らとはまた違った絆があり、フロイドも番にのみみせる一面がある

フロイドは唇に触れていた手を下ろし、稚魚の視線から逃れるように空を見る

「あー……小エビちゃんね、心臓1個ないって言われたじゃん?」

「はい。びっくりしました!」

「その、俺のせいかなって」

「きゅ?」

「あー、あのね、小エビちゃん死んじゃったあとね、俺」

小エビちゃん、食べちゃったの。

フロイドは空を見上げながら、そう言った。

モーガンは目を瞬き、こちらを向かない番を見上げる

「…食べた?」

「うん。小エビちゃんの身体、食べちゃった。」

フロイドはまだ空を見ている。

怖がられたら、拒絶されたら嫌だ。でも、隠しておけないと思った。ずっと疚しい気持ちを抱えて彼女の横にいたくなかった。

「心臓もね、アズールとジェイドが取り返してくれたんだけど、それも食べたの。そのせいかなって。小エビちゃんの心臓、足りないの」

「……。」

「俺の事、怖い?嫌いになった?」

フロイドは下を見れなかった。今、番の顔を見て、その目に怯えが浮かんでいたら…恐怖が浮かんでいたら…

そう思うと柄にもなく少し怖くて、フロイドは空を見つめる

緊張で少し力の入った腕の中、モーガンはしばらく黙って考えこむ。

潮風が吹き、フロイドのターコイズブルーの髪が靡く

空にも海にも似ていて、大好きな色。

モーガンはフロイドのシャツを掴んで、くいくいと引っ張る。オリーブとゴールドの瞳は、少し迷うが空を見たままだ

「フロイドさん、フロイドさん。」

モーガンは自分の方を向いて欲しくて、何度か繰り返し引っ張る。

フロイドは躊躇いがちに、ゆっくりとこちらを向いた

2m近い大男が、今にも捨てられそうな、泣いてしまいそうな目をしている。

モーガンはおもむろに口を開き

「…生で食べたんですか?」

と尋ねた。

稚魚の目は好奇心に満ちていた。怯えも恐怖も緊張も一切ない。

「………は?」

「いや、美味しかったのかなぁって。」

フロイドはオッドアイをぱちぱちと瞬く

「いや、あんま覚えてない」

「そうですか。」

愛しの小エビちゃんが死んだ日。あの時は恋人を奪われ我を忘れていた。

怒りと悲しみと、あとは嫉妬とか独占欲とかドロドロに煮詰めて腐ったような濃い感情が渦巻いていた

番がこれ以上誰かに奪われる前に腹に収めなければという強い衝動で食べた。

この世界に還ることすら許せなかった。独り占めしなければ気が済まなかった。

正直、食レポをしている状態ではなかったし(我ながら考えが病んでいた。)仮に美味しかったとしてもそんな呑気に「美味しかったよ!」等と答えられるはずがない、と、思うのだが…

フロイドは稚魚の予想外な発言に拍子抜けしたというか、呆れたというか…なんだか一気に脱力して地面に座り込む

「いや、つか、小エビちゃんさぁ…怖くねぇの?気にするとこそこ?」

「んー…だって、自覚ないですし。」

モーガンはけたけた笑って、しゃがみ込んで身体を丸めたことにより近くなった番の頬を小さな手のひらで挟み込む

「フロイドさん、海ではお墓がないって言ってましたよね」

海で誰かが死んだ場合、大抵は魚葬…つまりは魚の餌にする

大抵人魚の主食は魚だ。その魚に遺体を食べさせることで自然に感謝し、命を引き続ぐのだ

「まぁ、海ん中じゃ土葬も火葬も出来ないかんね。」

「そうじゃなくって、フロイドさんの一部になったなら、それでいいかなって」

モーガンは微笑む。聖母のように柔らかく、包み込むように

責める気持ちなんて少しも浮かばなかった。自分なりに、フロイドの愛情深さは理解しているつもりなのだ

「私がタコの人魚になった理由、わかりましたよ」

「ん?」

「私の心臓のひとつはフロイドさんにあげちゃったから、」

だから心臓がひとつのウツボの人魚にはなれなくって、心臓が3つあるタコの人魚になったんですよ!

「…なんでそんな誇らしげなのぉ…」

フロイドは稚魚の小さく、それでいてもちもちなお腹に顔を埋める

「ふふふ、私ってば天才です!」

「んんんん、可愛い…。」

何故かドヤ顔で、ない胸を張る。

そんな稚魚にグリグリと猫のように顔を擦り付け

「小エビちゃん、俺の番になってくれてありがとぉ」

とフロイドは少し震える声で告げた

普通カニバリズムなんて畏怖して当然だし、その対象が自分とかもっと怖いじゃんね…なのにさ、そんなこと全く気にならないって言うの…

「小エビちゃん、ほんとにありがとぉ」

フロイドはこの生命が愛おしくて堪らなくて、何故かとても泣きたくなった。

「こちらこそ、とっても大切にしてくれてありがとうございます、フロイドさん」

モーガンはフロイドの髪を撫でる

魔法も使えない非力な女の子だった時も、生まれ変わって稚魚になった今も、何の役にも立てないのにとても愛して優しくしてくれている

フロイドになら食べられたって、文字通りこの身を捧げたってなんの後悔もない。そう思えるくらい好きだから。

2人を潮風が優しく包む。

昼食ができあがりしばらくしても戻らない2人を心配してアズールが車で迎えに来るまで、フロイドとモーガンは幸せを噛み締めるように抱き合っていた

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