お注射嫌い、小エビちゃん

フロイドはご機嫌だった。自分の腕に小さな番を抱え、帽子をしっかり目深に被って家を出る

「車はアズール達が使うから、俺らは徒歩ね。」

「きゅい」

フロイド曰く、片道1時間の所に診療所はあるとのこと。

俺ら、とフロイドは言ったが、地面の上ではノロノロとしか進めない稚魚は当然彼の腕の中で揺られるだけだ

だからといって、泳ぎが早いわけでもないのだけれど。

「フロイドさん、1時間も歩くんです?私、重くないですか?」

「小エビちゃん、変なとこ気にするよね。んなこと気にしなくていーし。それより、ちゃんと帽子被んな。」

心配そうに自分を見上げてくる稚魚の頭に帽子を深く被らせ、その上からぐりぐり撫でる

「きゅるるっ」

「俺らの肌は日光に弱いの。日焼けすると水膨れできるし痛てぇよ?」

日焼け止めの入った保湿クリームはたっぷり塗ってきたが、それでも出来るだけ日光に当たらない方がいい。

水の中で暮らす人魚は紫外線に弱い個体が多い。人間になる変身薬を服用していても直射日光に当たると軽度の火傷状態になってしまうことがあるのだ

稚魚の柔肌が真っ赤に爛れるのなんて見たくはない。

フロイドはモーガンの肌が日に晒されていないか確認した後、ゆっくりと歩き出した

今日は転生してまで戻ってきた可愛い自分の番と初のお出かけ、つまりはデートだ。不機嫌になる要素がない

気のいいおばちゃんに「あら可愛い赤ちゃんねー!タコの人魚なの?珍しいわねー!!べっぴんさんねぇ!」なんて言われて声をかけられるのは既に両手じゃ数え切れない

「わかってんじゃーん。ちょー可愛いでしょ、俺の小エビちゃん」

なんてフロイドは遠慮も謙遜もなくニコニコ返している。だって可愛いもん。俺の番!

国宝級のぷにぷにモチモチほっぺに、宝石のように輝く真ん丸な目、緩くウェーブのかかった髪は細くてふわふわで撫で心地抜群だ

この子が可愛くないならこの世のメスは1人残らず全員ブスだ。そう断言出来るほど可愛い。

番に気安く近付かれるのは気に食わないが、みんな褒めるので満更でもない気分だ

ご機嫌なフロイドに抱えられたモーガンはというと、気まずそうにしてみたり苦笑いしてみたりと落ち着かない様子だ

ボチボチ20歳近い彼女はにとって、やたら声をかけられ褒められるのは羞恥プレイだった。

陸にいる人魚というのは目立つのか、声を直接かけられずとも周りからの視線が痛い。

そして完全に悪意のない赤ちゃん扱いが本当にこう、胸にグサッとくる。手を振るくらいなら良いが、変顔とかいないいないばぁとかリアクションに困るから本当にやめて欲しい。

しかし肉体が生後半年程度の赤ちゃんなのは事実で「あ、私、転生したので、実は子供じゃないんですよぉ」と言う訳にもいかない

そもそも、翻訳機は家に置いてきているので、人魚語しか話せないモーガンの言葉は人魚以外には通じない

「タコの人魚と言うだけでも十分珍しいのに、元異世界人で転生しているだなんて知られたらどうなるか…またオークションにかけられるだけならマシです。面倒事の芽は潰しておくことに限る。ということで、翻訳機は外して行ってください。あなたは能天気ですし、絶対、外で余計な口を滑らせる。」

とアズールの早口に気圧され、机の上に置いてきた。盗まれることは無いだろうが、カリム先輩からお譲り頂いたお高いものなのでちょっと不安だ

結局あのジャミルが立てた三本指がいくらを指していたのか…アズールに尋ねれば答えが得られるだろうが、ハッキリ知りたくないので聞いていない

というわけで、翻訳機がなく話が通じないしどうしようもないので、稚魚は稚魚らしからぬ引き攣った笑いをお返ししている

それでも「まぁにこにこして可愛い!」なんてお言葉を頂戴したが

ジェイドとアズールとは別行動でよかった…と子ダコは内心つぶやく。

他人からの赤ちゃん扱いを見られていたら、後で絶対揶揄われていた。身内には存外優しい彼らだが、おちょくる時は全力なのだ。

そしてこの恋人も、現状を楽しんでる。とフロイドを見上げじどーっと半目で見つめる。

フロイドはわざとらしく

「どうしたのぉ?」

と首を傾げ、番の帽子を持ち上げて額にキスを落とす

顔がいいからって、それで私が絆されると思って!なんて悔しく思いつつ、ついつい頬が緩んで結局なんでも許してしまうから困る

「わかってるくせに、フロイドさんは意地悪です」

「ごめんねぇ?でも、俺の小エビちゃん、自慢したいんだもん。」

「恥ずかしいので、程々にお願いします。」

「わかってるって。」

自慢したいもの嘘じゃねーけど、困った様子の稚魚ちゃん可愛すぎ

ちらちらこっち見て助け求めんの、俺の事信頼してる感があってめっちゃかわいーよね。タコ足めっちゃ巻き付けてくるし。

フロイドは先程から緩む頬をそのままにへらりと笑う

モーガンは結局キスひとつで絆されて、先程以上の文句もなくフロイドに身を任せてきっている

結局病院に着くまで、物珍しいタコの人魚は通りすがりの人に話しかけられ構われ続けた

多少絡みがしつこい人もいたが、そんな時は

「ごめんねぇ。この子、人魚の番だから」

とそっと告げると謝罪してすぐに距離を取るので、フロイドは誰も絞めあげることなく病院にたどり着くことが出来た

「人魚の番って言うと、皆さんすぐに離れますけど、なんなんですか?」

フロイドの腕に抱かれて多少げんなりしている子ダコが、背の高い恋人を見上げつつ尋ねる

フロイドの髪と青空が重なる。眩しそうに目を細める稚魚を見下ろし、フロイドも目を細めてニヤリと笑った

「んー?人魚はちょーー愛情深いし、嫉妬深いからね。人魚の番には手を出すなって、どこの国でも習うんだよ」

「…フロイドさん、今の私は稚魚ちゃんですけど大丈夫なんです?ケーサツに捕まりません?」

「ん?なんで?」

フロイドは心底不思議そうに首を傾げる。

あまりにも無垢な顔で不思議がるものだから、この世界には歳の差なんて関係ないのかしらと、モーガンもフロイドと一緒になって首を傾げる

「いや、赤ちゃんと番宣言は色々不味くないんですか?」

「別に?早いとこメス見つけて成熟するまで囲っとくオスなんて山程いるし。」

それにさぁとフロイドは小エビの頬を軽く突く

「メンダコちゃんとか、ウミウシ先輩とか覚えてる?アイツら絶対先生より年上だったじゃん。種族によっては歳とか有って無いようなもんだし、そんなくらいに気しないって」

「きゅいー…」

モーガンは学生時代の先輩方を思い出す。

リリアもマレウスも何処まで本気だったのかは分からないが、歴史の教科書を見つつ「懐かしい」「これは実際に見た」なんて言っていたような。

なんか誕生日の時も、しれっと「ここ何百年で1番賑やかな誕生日だ」とか言っていたような、いないような…

「まぁ、あまり気にしなくていいってことですね!」

深く考えることをやめたらしいモーガンの柔らかな頬を親指と人差し指でぷにっと潰し、フロイドは肩を揺らす

「うんうん、気にしない気にしない。つか、小エビちゃんってやっぱり能天気だよねぇ」

異種族との恋愛関係は気にしない癖に、年の差は気にするとか変な小エビちゃん。

他種族ですら気軽に触れない人魚の番に選ばれたって言うのに、その感情の大きさに怯えるでも潰されるでもなく当たり前のように受け入れいる

この子は本当に能天気で、警戒心がなくて、あっという間に丸呑みに出来ちゃいそうなおバカさん

「きゅい?なんか馬鹿にされてます?」

「んーん。褒めてんのぉ」

フロイドは稚魚の帽子をぬがし、細く艶やかな髪をぐしゃぐしゃと混ぜた




フロイドは笑いを堪えていた

病院の受付のお姉さんに「モーガン・リーチちゃん」と恋人のファミリーネームで呼ばれた事で、顔を真っ赤にするやら稚魚扱いでむくれるやらでいつも以上に表情豊かなのも見飽きずに面白かったが、目の前の状況が今日イチで面白い

めっちゃ動画撮りたい。

「きゅいいいい!違うんです…違うんですぅ!ぎゅるるる!ぎぃ!その、フロイドさん…ぎぃぃぃ!」

「んっふふ、ごめん。その、小エビちゃんの本能と理性の戦いが…んっふふふふ、無理…」

タコは一説によると足の1本1本に脳を持つらしい。そのおかげで切り離された足は長い時間動き続けるし、八本の足がこんがらがることも無い

アズールは持ち前の向上心と努力でそれぞれの足を全て自分の思うように動かせるが、稚魚であるモーガンにそのような芸当はできない

それに加え、今の彼女は肉体の制御が上手く出来ない。無意識にきゅるきゅる鳴いたりフロイドにペたぺた張り付いたりしている

そんな彼女は今、注射器を目の前に大暴れしていた。

正式には、彼女の足が全力で抵抗していて、本人は必死にそれを押さえ込もうとしている

フロイドの言った通り、注射が怖くて逃げたい本能と大人しく注射を受けてさっさと終わらせたい理性が衝突してしまっているのだ

「小エビちゃん、そんなに注射苦手だったの?」

フロイドは笑いを我慢しすぎて出てきた涙を指で拭きつつ、膝の上の番を見下ろす

人間の子供を注射する際は、親の膝の上に乗せて太ももで子供の足がバタつかないように固定し、動けないように抱え込む

フロイドもそうしろと言われて一応固定したものの、八本の足はするりと太ももの間を抜けて先生の手首を締め上げたのだ

そして、フロイドの笑いを誘うのが

「ぎゅいい!!その…、ぎゅるるる!!足と喉が勝手に…ぎぃぎぃぃぃ!!!」

情けない本人の声と対照的な活きのいい威嚇鳴きだ。意図せず出てくる威嚇が必死過ぎて可愛い。

「せんせぇ、ちょっと落ち着くまで待って。本人がめっちゃ焦ってる」

フロイドが人魚語のわからない医師にそう伝える

「あらあら、お注射初めてだもんね」

フロイドが希望した女性の先生がニコニコ微笑んだ。医師とはいえ異性に触れさせたくないので、女性に限定したのだ。

彼女はマレウスのように耳がピンと尖っている。これは妖精族の特徴だ。

彼女は若く見えるが御歳数百歳…とても経験豊富な医師だ

今まで数々の子供を見ており、爪を立て牙を剥くなど当たり前。ちょっと吸盤が絡み付いたくらいはなんの痛手にもならない

妖精族の子供に前髪を燃やされたとてニコニコ笑顔を崩さない彼女は、この海辺の街のほぼ全ての子供を診ていると言っても過言ではない人気な名物ドクターなのだ

しかし、そんなことを知らないモーガンは迷惑をかけてしまったと落ち込むやら情けないやら申し訳ないやら…ただでさえ小さな体を縮こませる

ようやく先生の手首から離れた足もクルクルと身を守るように自分に巻き付く

「フロイドさん……きゅいぃ…ごめんなさい…」

「小エビちゃん、注射めっちゃ嫌いじゃん」

フロイドは羞恥と申し訳なさで涙目になっている番を長い腕で抱えてよしよしと撫でて宥めてやる

「…だって、針が刺さるんですよ?」

「まぁ、俺も注射嫌い。痛てぇし。小エビちゃん、俺にギューって出来る?」

「こう、ですか?」

「足も全部、ギューってして。」

フロイドの指示通りに番の腰に八本の足を伸ばす。細身だが消して華奢ではないその腰周りは案外がっしりしている

両腕を伸ばしても、背中の反対側まで届かない。筋肉質でちょっとかたくて、でも暖かい。落ち着く…

稚魚の身体のせいか、それとも全力で暴れたせいか、モーガンは若干の眠気を覚える。八本の足も恋人にしがみつく事に集中しているようだ

フロイドは小さな恋人の髪を優しい手つきで撫でる。慈愛に満ちたその目はまるで聖母のようだ

「あらあら」

エルフの女医は思わず微笑んでしまう。人の姿をしているが彼も多分人魚だろうと長年の経験と勘でわかった。

慈愛の中にみえる強い執着と仄暗い何か…人魚特有の愛情は深く深く、全ての生き物が溺れてしまう程だ

「せんせぇ、これで注射出来る?」

「うんうん、大丈夫よ!モーガンちゃん、そのままパパにぎゅっとしててねー」

「せんせぇ、パパじゃなくて、俺の番。そこ間違えないでよねぇ」

フロイドが少しムッとしつつ訂正する。

「あらあら、ごめんなさいね」

1000年以上生きていると噂のあるエルフの女医にとって、フロイドも幼子同然だ。多少凄まれようと何も応えた様子はない

ちぎりパンのようにムチムチな腕を手早く消毒し、針を刺す

稚魚はギュッと目を閉じてフロイドの腹に顔を押し付ける。針が肌に刺さっているのを直視したらもう全部無理。怖い。嫌い。

フロイドは腰周りが擽ったくて仕方がなかったが、全てを受け入れる。

俺の番isキュート。俺に縋ってくるの最高だよね。頼られていると実感すると、喜びで胸が震える。

「…はい、おしまいよー!」

「はーい、良かったねぇ、小エビちゃん」

「きゅるるるる…」

腹の虫のような、力ない鳴き声が返ってきて、フロイドは思わず破顔してしまう

「さて、今のは採血だから、次はワクチンを打ちたいんだけど」

「ぴぎゃっ!!」

やっと終わったと思ったのに、まだ刺される予定があるのかと子ダコの身体が跳ねる

「んぐっ、んっふふふ。せんせぇ、動画撮っていい?」

「ぎゅいいい!!ぎいぃぃ!!ぎぃぃ!!」

「あらあらあら、ダメみたいね」

「んっふふふ、ごめん。ごめんて、小エビちゃん。」

またビチビチと動き始めたタコ足と、ツボに入ってしまったらしく笑いが止まらないフロイドが落ち着くまで10分ほどかかり、なんとかワクチン接種も終えることが出来た

すっかりご機嫌斜めになってしまったモーガンとは対照的に、番の可愛い一面をたっぷりと堪能したフロイドの肌は心做しかツヤツヤしていた


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