おやすみ、小エビちゃん

監督生は突然知らされた事実にスペースタコちゃんになっていた

「転生…」

「そう、転生。小エビちゃん、俺の事好き過ぎて戻ってきたの。」

フロイドはご機嫌で子タコを引き寄せ、頬と頬を擦り合わせる。マシュマロみたいでやわやわだ…これ商品化出来ねぇかな…

指で作った輪っかを頬に押し当ててたこ焼き!なんて遊びがあったけど、そんなんしなくてもモチモチ…まじ魅惑のタコちゃん頬っぺ…。

じゃなくてさ

「つかさー、小エビちゃん。なんでタコの人魚?人魚になったなら、普通ウツボじゃね?」

俺の番なんだし。と唇を尖らせつつスペースタコちゃんの柔らかい唇をつつく。やだ、この子…唇もぷにぷに。

我に返った子タコはフロイドに手を伸ばしてすべすべの頬を撫でつつ

「ぎゅるるるる…選べたならウツボにしましたけど、気付いたらタコだったんですもん。無茶言わないでください」

きゅいーと鳴いて抗議した。

あ、選べたならウツボにしてくれんだ。とフロイドのご機嫌は少し直る

番には甘く割と単純なのが人魚の生態のひとつだ。俺の番ちょー可愛い。

アズールは態とらしく肩を竦めてため息をつく。死んだはずの番が戻って嬉しいのは分かるが、いちいちいちゃつかれては話が進まない

というかぶっちゃけ羨ましい!!しばらくは事業拡大やらオークション潰しやらコネ作りやら忙しくしていたから番はまだいいと思っていた。

が、目の前でこうも幸せオーラを浴びせられるとちょっぴり…いやかなり番が欲しくなった。

だってあんなん可愛いじゃないか!ボクだって可愛い恋人撫で回したり、逆に頬っぺたペチペチされて癒されたい。

フロイド1人で堪能しやがって。

いっその事、合コンでも開くべきだろうか。出会いがなさそうなイデアあたりも引き摺って巻き込みたいところだ

ジェイドもフロイドに気を遣う必要が無くなったわけだし、黙っていれば顔がいいのだから良い人の1人2人すぐに出来るだろう。黙ってさえいれば

「あ、タコが嫌って訳では無いんですよ?」

じーっと見つめられ、あわあわ弁明する監督生にアズールは少し目元を緩ませる

そんなこと、別に気にしてないのに。

「話を戻しますよ。今のあなたは転生し、人魚となりました。そこはいいですね?」

「まぁ、はい」

なっているものは否定のしようも無いので、監督生は素直に頷く

「それで、今のあなたは名前も戸籍もありません。出生届も出ていないでしょうね」

オークションでは確か、卵から孵化させ人魚だと紹介されていた。バイヤー共が稚魚の出生届をわざわざ届けているはずが無い

彼らは慈善事業ではないし、稚魚の里親探しが目的ではではない。売れればその後の命がどうなろうと関係ないのだから

監督生はぼんやりとこの世界で戸籍も出生届もないのは前からだったけどなぁと考えつつ口にしなかった。

「監督生さん、今の姿の…人魚のご両親をご存知で?」

そうジェイドが尋ねると、監督生は首を横に振った

「いえ、卵から産まれたら既にバイヤー?の所にいたので…。というか、海の中でも出生届とかあるんですね」

「ありませんよ」

ジェイドは紅茶のおかわりを用意しつつ答えた。ぱちぱちと目を瞬いた稚魚に、フロイドが付け足すように口を開く

「そもそも海にはねぇんだけどね、そーゆーの。無事生まれてもすぐ死ぬことも多いし。でも、陸で暮らすには必要なの。」

入学の時にめんどくせぇ紙めちゃくちゃ書かされて、名前書くの飽きたし。

大袈裟に嫌そうな表情をしてみせたフロイドに、ジェイドはクスクス口元に手を当てて笑う

「途中からボクがフロイドの筆跡を真似て書いていました。懐かしいですね」

「そんなことしてたのか、お前ら…」

アズールは呆れた様子で並んだ同じ顔を見る。昔から面白半分に入れ替わったり互いの真似をしたりと好き勝手していたが、文字まで似せられるとはさすがに知らなかった。

そしてどうでもいい。今後必要ない知識だ。

「とりあえず、陸で暮らす訳ですし、明日は病院と役所に行きましょう。」

健康診断と予防接種とアレルギーテストと…と魔法で取りだしたペンと紙にメモを取り始めたアズールを見つつ、監督生は首をこてんと横に倒す

「海へは行かないんです?」

「あんさぁ、小エビちゃん…小エビちゃんが海になんか入ったら一瞬で食われちゃうよ。だからダメ。」

「きゅぅぅ」

そんな哀れんだ顔でしっとりと言ってくれなくてもいいじゃないか。と監督生は少ししょげる。確かにちょっぴり鈍臭いけど…

アズールは僅かに口を尖らせた監督生をレンズ越しの瞳で見つめ、穏やかに笑う。

「あなたに海は向きませんよ。さて、住所はここでいいとして…親は僕が無難でしょうね」

「親?」

「実の親を探すのも手間ですし、養子縁組します。あなたはタコの人魚ですし、僕の娘にするのが自然でしょう」

「えー、アズールが親父になんの?アズールの事おとーさんって呼ぶぅ?やだー」

「誰がお義父さんだ」

アズールの眉間に皺がよる。同世代にお義父さん呼びをされるのはなんか嫌だ。

つか、フロイドが息子とか普通に嫌だ。

ジェイドが歯を見せて笑う

「じゃあ、僕にします?」

「兄弟の娘と番になるのは世間体が気になるところですね」

「ジェイドがおとーさんとかもっとヤダ。」

「しかし、フロイドが父親だと番になれませんよ。」

「げぇ…実質アズール一択じゃん。まぁ、赤の他人に任せるよりかはマシかぁ。小エビちゃん、アズールがパパでもいい?」

心底嫌だけど致し方ないとフロイドが稚魚に確認を取る

「きゅるる、なんか1つ上の先輩がお父さんだなんて恥ずかしいんですけど」

アズール先輩なら大丈夫だと思います。と屈託なく子タコは笑った

「…あなたねぇ。」

「いたっ!」

何故か一瞬の沈黙の後、アズールは稚魚の小さな額にデコピンをした

かなり手加減をしてくれたようだが、それでも脳が揺れるくらいの衝撃に頭がクラクラする

「…無自覚なんでしょうけど、気を付けてくださいよ」

「え?なんですか急に…」

「その若さ…というか幼さで腹上死したくないでしょう?」

「え、ふくじょ……え?」

あなたは、後ろのケダモノがどんな顔してるか…信頼しきって、気が付きもしないんでしょうね。とアズールは少し頭痛を覚える

「もう一度言いますが、せめて10歳まで手を出すなよ。」

「わかってるっての。執拗いと絞めんぞ」

「おやおや」

「では諸々の書類は明日取りに行くとして…名前は前のままでよろしいですか?」

メモを取り終えたのか、ペンと紙が魔法のようにパッと消えた。魔法のように、ではなく魔法だったか。

「はい、今まで通り………あれ?」

「どしたの?小エビちゃん」

監督生は目をぱちくりさせる。フロイドは腕の中の稚魚を見下ろす。

八本の足が力一杯にフロイドの腕に巻き付く。まるで縋るように、鬱血するほど吸盤が張り付く。

「その…」

……元の名前が、思い出せない。

呟くような監督生の声は掠れていた

「へ?」

「私の名前、わからない…なんで?私、…私は…」

「何言ってんの?小エビちゃん…小エビちゃんの名前は……あれ?」

「そういえば、」

「思い出せませんね…」

フロイドもジェイドもアズールも、監督生の名前を知っていたはずだった。なのに、まるで名前の部分だけ黒く塗り潰されたかのように記憶にない

フロイドは気分にもよるが、ジェイドとアズールはかなり記憶力が良い。

学生時代に手に入れた「相談」に来た生徒の名前と弱味と大まかな友好関係も未だに覚えている。なんなら現在の裏垢まで把握している。

なのにだ。彼女の名前だけが思い出せない、なんてことがあるだろうか。

「…恐らくですが、転生した対価なのでは?」

ジェイドがそういえば、アズールが無い話ではありませんね、と繋げる。

「対価?」

「これはイデアさんから聞いた話ですが、名前には魂が宿るそうです。憶測でしかありませんが、あなたの一部分だけ、元の世界に帰ったのかもしれません」

「私の名前が、元の世界に…?」

「小エビちゃんがこの世界に残るために、前までの名前が無くなっちゃったってこと?」

「あくまで憶測でしかありません」

アズールがメガネを押し上げる。

「じゃあ、新しい名前をつけてください!」

空気が少し重くなりかけたが、高い声がそれを平然と打ち破った

「…はい?」

「新しい人生…人魚生?の私の名前です!もう監督生じゃないみたいですし、いつまでもそう呼ばれるのもちょっと恥ずかしいじゃないですか!」

監督生は先程見せた動揺などなかったかのようにカラカラ笑う

ジェイドは暫く目を丸くしていたが、稚魚の笑顔を見て破顔した

「フフフフ。フロイド、あなた本当に良い方を好きになりましたね」

「そーでしょ!」

フロイドは誇らしげに答え、アズールも無意識に力んでいた肩の力を抜いて笑う

フロイドはそっと恋人の旋毛に口付けを落とす。まだ触腕が痛い程腕にくい込んでいたが、それについては何も言わなかった




明日は朝早くから行動するからと解散となった。アズールとジェイドは食事の片付けを引き受けてくれた

子タコもなにか手伝おうとは思ったのだが

「稚魚にできる仕事はありませんよ。」

「フロイドと仲良くしていて下さい」

とキッチンから追い出されてしまった。申し訳ないが、この身体では皿洗いすら出来ない…お言葉に甘えるしかなかった。

監督生の名付けは夜のうちにそれぞれ考えて、朝食の時に意見を出し合うこととなった

楽しみな反面、ちょっぴり怖い。ジェイドにはキノコの名前をつけられそうな気がするし、アズールにはなんかすごい崇高な名前をつけられそうな気がする。勝手なイメージだけど

フロイドはそのまま「小エビちゃん」って名前にしてきそうな気もする。タコなのにエビとはこれ如何に。

「俺の部屋はここねー。小エビちゃんは、身体が乾いちゃうから水槽で寝てね」

「…すごい、水族館みたい…」

「いいでしょー!いつでも泳げるし、魚も泳いでんの。腹減ったら食ってもいいよー」

フロイドの部屋は、壁の一面が海になっていた。揶揄ではなく、入って真ん前の壁に水が満ちている。

揺れる海草に、水面に散らされて控えめな光、鮮やかなサンゴの影には魚も泳いでいる

「この水槽は外には繋がってないから、サメとか危ねぇ生きもんは入れないから安心してね」

「この水槽はってことは、他の部屋もこんな感じなんですか?」

「うん。水槽からアズールとジェイドの部屋にも行けるよー。あとで行ってみな」

「うわぁ、すごい…」

「蛸壺は明日買おうね。今日はこれしかないから、これ使って」

フロイドがバケツを水槽へと投げる

どういう仕組みなのか、ガラスなどは無いらしく、バケツはどぷんと水音を立てて海へと入っていった

監督生はフロイドの部屋に隣接しているこの巨大水槽で寝ることとなるらしい。

そのうち物置と化している部屋をひとつ片付けて監督生の部屋にしてくれるそうだが、稚魚のうちは心配だからフロイドと一緒の部屋らしい。

一人部屋を貰えるのは何年後だろうか

「そろそろ乾燥してきたし、1回水ん中入んな」

フロイドがそっと監督生を床に下ろしてやる。八本の脚が恐る恐る床の上を進み、水槽に触れる

「不思議…壁がない。」

「水だけ通さない魔法。すげぇでしょ。でも対象は水だけだから、たまにミスった魚が部屋に飛び込んでくんの」

「んっふふ、ちょっと見たいです、それ。」

たぷんと水の中へ身体が入る。ふよふよと浮き上がり、フロイドと視線を合わせるくらいまで浮かんで止まる

「フロイドさんと同じ身長ですよ!あはは、不思議!」

稚魚ははしゃいでクルクルと水槽の中を泳ぐ。こんなに広い場所を泳ぐのは初めてだ。

フロイドははしゃいでいる稚魚をしばらく床にあぐらをかいて眺めていたが、ねぇ、と声をかける

「なんですか、フロイドさん」

「小エビちゃん、大丈夫?ショックだった?人魚になったの、嫌?」

「…ふふ、フロイドさんには隠し事出来ませんね」

水槽からひょっこり顔を出し、恋人に手を伸ばす。フロイドはその小さな身体を引き寄せ、抱き締める

いつの間にか死んでいた事も受け入れ難いが、知らぬ間に転生していた。

そう伝えられ、気にしてないように振舞ったが、監督生は正直ショックを受けた

本人はなんかの魔法で卵にされたと思っていたし、まぁまたそのうち元の体に戻れるだろうと楽観的に考えていた

しかし転生してしまっているなら、この身体で生きていくしかない。

いつの間にかこの世界から消えてしまった自分の名前だって、もう戻ってこない

対価として払ってしまったなら、名前はもう二度と誰も思い出せない

この世界にいた「異世界から来た少女」は跡形もなくなってしまったのだ

人魚が嫌いな訳では無いし、急に親しい人と別れて元の世界へ帰される心配もなくなった。魔法だって使えるかもしれない

楽しみなことだって沢山ある。

けど、元の世界と繋がっていたであろう身体と名前を失ったというのは、やはり辛いものがあった

「人魚は嫌じゃないです。ただ、この姿では両親に会えたとしても、」

私だと、気づいて貰えないだろーな。なんて考えちゃって

「元の世界の名前も身体も失って…多分二度と、帰ることは、出来ないんだろうなって…」

「……小エビちゃん…。」

稚魚らしからぬ寂しげで大人びた表情に、フロイドの胸が締め付けられる

ぎゅっと抱きしめる力を強めると、監督生はちょっぴり困ったように笑う

「あぁ、違うんですよ?フロイドさんとお付き合いした時と気持ちは変わっていません。」

フロイドが告白してくれた際、監督生は元の世界へ帰らないと決めたのだ。

他の人には気紛れだけど、実は寂しがりで優しく一途な人魚を置いては行けないと思ったから

ただ例外として、フロイドと一緒に里帰りできるならするつもりだとも言っていた

「いつか、フロイドさんを両親に紹介したかったなって、ちょっと思っちゃっただけです。」

きゅるるるる。と喉を鳴らして、フロイドに頬を寄せる

人魚の肌に、フロイドの体温は熱いくらいだ。この人はいつも指先まで温かい

「半年間まともに会話もなかったし、少し…いえ、かなり、寂しかったんです。人恋しくなっちゃいました。私ってば甘えてばかりのわがままちゃんですね」

「そんなことないよ、小エビちゃん。」

フロイドは立ち上がり、適当に服を脱ぎ散らかして水槽へと飛び込んだ

咄嗟に目を閉じた監督生がゆっくりと瞼をあげると、本来の姿に戻ったフロイドがいた。

大きくて逞しい、ウツボの人魚だ

「小エビちゃん、これからいっぱい幸せになろうね。今度は絶対に守るから、俺とまた番になって?人魚の寿命は長ぇし、いっぱいいっぱい楽しいことしよ?」

「ふふふ、私は前からフロイドさんの番ですよ」

「これからも?」

「これからも。」

「あっは!小エビちゃん大好きっ!」

「私も好きですよ!」

フロイドは子タコを抱えて水槽内を泳ぎまくる。怯えた小魚がちりじりに逃げる

フロイドの泳ぎは水の抵抗なんて感じさせなくて、まるで自由に空を飛んでいるみたいだ。

夢みたい。と監督生は少し笑う。

「…泳ぐの飽きた。もう寝よ。色々あったし、疲れたでしょ」

「実はもう、私の稚魚ちゃんボディーの眠気は限界です…」

「何それ、ウケんね」

フロイドは海底の砂の上へ身体を横たえる。陸のベッドもいいけど、砂もふかふかで結構気持ちいい。あと水中のいい所は、寝惚けて落ちるということが無い

「今日は俺もこっちで寝よー。ギュッとしてもいい?」

「きゅいー。タコになったからか、ギュッとしてもらうと狭くて落ち着きます…。」

子タコの脚がフロイドの腕に絡まる。胸へと頭を預ければ、トクトクと一定のリズムの心音が眠気を強くさせる

「おやすみ、小エビちゃん」

穏やかな優しい声に包まれる。

稚魚はあっという間に夢の国へと落ちていった


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