お腹ぺこぺこ、小エビちゃん
監督生の購入代金をチャラにしてニコニコ微笑むカリムと呆れ顔のジャミルと別れる
今は人魚語しか話せない監督生の首には
「言葉が通じないと不便だろ?」
とカリムからの好意で頂いた翻訳機がかけられている。当然の様に防水やら防魔法やら色々ついているらしい。
その際、恐る恐るジャミルを見たら、細くて長い綺麗な指をスッと無言で三本立てた
「ひぇっ」
その指が表したのは30万マドルか、300万マドルか…まさか3000万マドルとは言わないよね?
貧乏性な監督生は、元の世界で2万円で買った時計を嵌めることすら壊しそうで躊躇っていたのに、稚魚の自分の首へかけられたものの価値の重さで潰れそうになる
「その、いつかしゅっせばらいしますから…」
恐れ多くてぴえぇと泣き出してしまいそうな監督生にカリムは心底不思議そうに首を傾げる
ジャミルがなにか耳打ちすると、カリムは稚魚の頭をぐりぐりと乱暴に撫で
「あぁ、お前が戻ったお祝いだと思って受け取ってくれ!次この国へ時は盛大に宴をやるからな!必ず来いよ!」
とからからと笑った。監督生の目には、カリムから後光が差すのが見えた。神さま仏さまカリム様…
思わず両手を合わせて拝むと、堪らずフロイドが噴き出した。なにしてんのこの子。ウケる
そんなこんなで、またな!と元気よく送り出され、アズール一行は適当な路地裏へと入る
オークション会場の下見も済んだし、運良くフロイドの番も(転生はしたが)無傷で帰ってきた。
用事が無いなら、この人魚の肌には合わない強過ぎる陽射しの国で長居するつもりも無い
人気がなくてある程度の空間がある場所を見つけ、アズールは持っていたステッキで軽く地面を叩く
「この辺りでいいでしょう。」
「小エビちゃん、多分酔うから目ぇ閉じてな」
フロイドにそう指示され、監督生はぎゅっと目を閉じる
一瞬の浮遊感を感じたと思ったら、繰り返す波音とカモメの鳴き声が聞こえはじめた。
先程までの熱を帯びた空気も、砂埃の気配もない
「…海?」
監督生が目を開けると、目の前に広がったのは遥か彼方に見える水平線の青だった
アズールが唱えた魔法により、監督生一行は熱砂の国からアズール達が現在拠点としている国へと転移したのだ
「好きな場所へ移動する」転移魔法はかなり難しく、それこそ闇の鏡のような特殊な道具が必要となる
しかし「元いた場所へ戻る」転移魔法は事前に準備さえしておけば案外簡単だ(あくまで「好きな場所へ移動する」転移魔法よりは、という話ではあるが)
熱砂の国へ行く前に、アズール達はきちんと帰るためのポインタを定めていた。
「俺らの巣へようこそ、小エビちゃん」
マジカルペンを降り、監督生が収まる簡易水槽を消し去る。
直接フロイドの腕に抱かれた監督生は、無意識にその筋肉質ながら細身の腕に八本の足を絡めた
無条件で信頼されていることを感じ取り、フロイドは小さく歓喜に震える。はぁまじ可愛い。俺の番、間違いなく天使だわ。
冷たい質感の肌も、痕にならない程度の弱い吸盤の吸い付きすら愛おしい。
もう二度と会えないと思っていた恋人が、離れていた反動からか可愛さをグレードアップさせて帰ってきた
可愛すぎ…せっかく貰ったチャンスだ…今度こそ一生守る…とフロイドは胸に誓いを刻み付ける。
そんなフロイドの誓いなど知る由もなく、呑気な監督生は目を瞬き、ぐるりと辺りを見渡す
巣。…あ、家?あれ、フロイドさん達って人魚だし、海の中に住んでいたのでは?海の中に今から入っていくつもりなのだろうか…
「監督生さん、あちらです。あれが僕達の家です。」
キョロキョロの方を海を見つめる子ダコの様子にクスクス笑いつつ、ジェイドが指差す
ジェイドの指さす方へくるりと首を回すと、海へ突き出すようにして立っているリゾートホテルかペンションのような建物があった
てっきり海の中へ飛び込むのかと思ったら、想像もしていないような豪邸を示された事に、監督生は小さな口をあんぐりと開ける
海へ突き出すというか、半分海の中にあるというか…どうなってるんです?あの家
「僕が設計したんですよ。どうです?人魚でも暮らしやすいように家の中にも水路や水槽があります。もちろん、直接海へ出ることも出来ますよ。」
海水は侵食が早いから防腐と防水の魔法を固定するのに苦労しただとか、嵐の日にも問題ない仕組みがあるだとか、得意げなアズールの話が耳を滑っていく
「ふふ。結果的には、ですが…あなたにも過ごしやすい家だと思いますよ」
ジェイドがアズールを押し退けつつ笑う
今だポカンと口を開けている監督生を見下ろし、ゆで卵入りそーとフロイドも少し肩を揺らした。
ウツボの求愛と似た表情だが、求愛と言うにはちょっと間抜けすぎる顔をしている。
「学園へ戻るんじゃないんです?」
「詳しくは後で説明しますが、僕達はもうナイトレイブンカレッジを卒業したんですよ」
アズールが稚魚の頭を軽く撫でつつ言う
監督生は頭の上に疑問符を沢山飛ばす
「まぁ、食いながら説明するから。さっさと飯作ろ」
スタスタと長い足でフロイドは歩き始める
「小エビちゃん、何食いてぇ?」
「フロイドさんのご飯なら、何でも食べたいです!」
「じゃあ、色んなのいっぱい作ったげるね!」
可愛い番の頬に自分の頬を擦り付ける。
監督生も小さな手のひらを添えて、フロイドに応えるように擦り寄る
番の愛しさを噛み締めつつ、フロイドは意気揚々と家に入りキッチンへと向かった
「アズール、傍から見ると誘拐犯に見えるのですが大丈夫でしょうか?」
「あまり外でイチャイチャさせない方が安心でしょうね」
後ろにゆっくり続くアズールとジェイドが苦笑いしていることなど、フロイドと小エビは知る由もなく幸せそうに触れるだけのキスをした
キッチンではフロイドがご機嫌で料理をしている。少し遠くで聴こえる鼻歌と、リズミカルに何かを炒める音。
グツグツと鍋が煮える音も聞こえ、漂ってくる空腹をさらに促すいい香り…。複数の料理を同時に作っているらしい。
番の戻った彼は今、まさに絶好調。しばらくご飯の味も安定することだろう
ご機嫌ななめの時の料理はそれはもう筆舌に尽くし難いものだ…
下拵えに飽きて皮付きの野菜と切りもしない肉の塊が入っている程度ならまだ可愛いもので、
気まぐれにぶち込んだ調味料が喧嘩するどころか大乱闘を起こし、1口食べた瞬間に「最悪腐ったものでも食える」と豪語していたあのラギーが吐いた程だ
それでも何故かリリアのお気には召したようだったが
一方、ご機嫌なフロイドの料理の味しか知らない監督生は、頬を膨らませちょっぴりムッとしていた。
「あの、これ、イヤです…。」
「ふふふ、しかし今のあなたでは僕たちと同じ椅子には座れませんよ」
「あっはっはっ!よく似合ってますよ、監督生さん」
「ぎぃぃ…」
稚魚の喉から思わず不満そうな鳴き声が漏れる
2人して可笑しくて仕方がないとばかりにスマホのカメラを起動しパシャパシャやりながら言うものだから、監督生は本格的にむくれてしまった
その仕草は今の見た目に合っていて、ゲラゲラ笑うタコとウツボにはたいへん可愛らしく微笑ましいものだ
アズール達が住んでいる家(彼らは卒業してからも三人一緒に暮らしているらしい)の近くには、モストロラウンジ2号店があるそうだ
そこからアズールとジェイドが拝借してきたのは、レストランでよく見るお子様用の椅子…ベビーチェアだ
ちょこんと座らされた稚魚は、本来なら2本の足が出る部分から4本ずつ触腕を垂らしている
監督生の機嫌を損ねているのはこのベビーチェアだけでは無い
彼女の前に並べられているのは、プラスチックでちゃちな作りをしたピンクのお花柄スプーンとフォーク、これまたプラスチックで妙にニコニコしたカニのイラストが描かれた深皿…誰がどうみてもお子様セットだ。
飲み物を入れる容器など、両側に取っ手がついて、倒しても零れないストローと蓋の着いたアレだし…流石に子供扱い…というより、赤ちゃん扱いが酷いのではなかろうか
「たしかに身体は生後半年ほどですが、中身は大人ですよ!」
監督生が抗議の声を上げる
プンスコ怒っている姿が駄々をこねる子供そのものにしか見えず、アズールは破顔する
もとより彼女は感情豊かな方で顔に出やすいタイプだったが、稚魚になったことでそれが際立つというか…とにかく可愛い
もう既に庇護欲も保護欲も掻き立てられまくっている様子のタコとウツボ…要するに、メロメロだった
その内何処ぞのハートの寮長のようにウギィー!!と癇癪を起こしてやろうかと考えていた時、フロイドが両腕に大皿を乗せてテーブルへと運んできた
「おまたせー♪サラダとカルパッチョ、パスタにオムレツ、唐揚げにー、スープもあるよー」
「フロイドさん、フロイドさん、このふたりが私をいじめるんです!赤ちゃん扱いするんです!」
監督生が番にそうぷりぷり怒りながら訴える。
フロイドは膨らんだ頬っぺたがたこ焼きみたいで齧りてぇという欲求を飲み込み
「小エビちゃん、これ持ってみ?」
と自分たち用のフォークを持たせてやる
稚魚は言われるがままフォークを手にするが、持っていられずがちゃん。と机の上に倒してしまう
その様子をジェイドはしっかりと動画で撮影していた。
アズールがあとで送ってくださいとジェイドのスマホを覗き込みつつ言う。それ、あとでこっそりオレにも送れよ?
もう一度フォークを持ち上げるが、上手く支えきれずまたがちゃんと倒す。
「…ぎゅるる。」
「重くて持てねーでしょ?」
「………きゅい。…もてないです…。」
「身体は稚魚ちゃんなんだから、今は無理しちゃダメ。ね、小エビちゃん。しばらくはこれで我慢しよーね?」
「ぎゅいぃー」
宥めるようによしよしされ、監督生は不満ながら仕方なくお子様待遇を受け入れることにしたようだ
フロイドはまだ納得していない様子の可愛い番の額に口付け、料理を少しずつ取り分ける
「小エビちゃん、はいどーぞ」
「ありがとうございます!」
プラスチックのちゃちな食器は気に入らないが、久々のフロイドの料理だ。嬉しさに自然と顔が綻び、先程までむくれていた稚魚はあっという間にご機嫌になる
最初にサラダを食べて、次に唐揚げ。一番好きなオムレツは最後まで手をつけない
嫌いなものから食べて、好きなものを取っておく。小エビちゃんの変なクセ。
親しい人の前だけでやる変わらない食べ方に、フロイドも席に着き唐揚げを口に入れつつ頬を緩める
「おいしー?」
「はい!美味しいです!」
監督生が幸せそうに笑えば、フロイドも噛み締めるように笑った
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