能天気だね、小エビちゃん

「念の為に聞くが、お前、本当に監督生なんだな?」

「はい、そうですよ!」

ジャミルの問いに、タコの人魚はコクコクと深く頷き、ポコポコ泡を吐いて呑気に笑う。

その仕草にすら覚えがあるものだから、ジェイドはほんの少しだけ鼻の奥がツンとした。

オークションでフロイドの名を呼んだのは、やはり聞き間違えじゃなかった。本能で分かっていたが、大事な片割れの番が帰ってきたのだ

こんな喜ばしいことはない

自身の身体で日陰を作ってやりつつ

「小エビちゃん、自分がどうなったか、どこまで分かってる?」

とフロイドが尋ねる。目元はまだ赤いままだが、涙は既に止まったらしい

「どこまで?」

監督生は首を傾げる。監督生が既に死んでしまっていることを知っているフロイド達は緊張で身を固くする

そんな様子に気が付かない呑気な子蛸は軽くきゅるると唸った

「んー…。普通に学校で過ごして、寝て、起きたら人魚の卵になってました。としか、言い様がないですかね?」

「…そっか。痛くも、怖くもなかったんだね」

フロイドは簡易水槽ごと監督生を抱きしめる。監督生は心臓を抜き取られたことも、自分が死んだことすらも知らないようだ。

「よかったね、小エビちゃん…」

監督生は何故フロイドがまた泣き出しそうになっているのか分からなかったが、愛しい番の頬に手を伸ばす

水の膜を抜けて、よしよしとフロイドの頬を撫で、顔にかかる前髪を退けてやる

「ふふ、小エビちゃんの手、冷たいね。ホントに人魚じゃん」

「フロイドさんは熱いくらいです。」

監督生は番の髪をサラサラと撫でて微笑えむ。

ジェイドもジャミルも余計なことは言わず、少し安心したようにホッと息をついた。苦しまなかったなら何よりだ

ちなみに感動の場面ではあるが、この時カリムとアズールは監督生の値段について揉めていた。正式には、アズールが一方的に捲し立てている。

妙に暖かな空気と視線にキョロキョロと辺りを見渡し始めた監督生が、急になにか思い至ったようで、恋人に顔を寄せる

「きゅるる。あの、フロイドさん」

「なぁに、小エビちゃん」

「ハンカチとか、借りられませんか?」

「え?なんで?」

フロイドは監督生の腕を浮遊する水槽へと戻してやりながら首を傾げる。監督生は眉尻を下げて

「あの、下らないんですけど」

と前置きする

「さっきまで気にならなかったんですけど、その、知り合いの男の子に囲まれて、ちょっと恥ずかしくなっちゃって…」

モジモジと八本の足が絡まる。そのうちの一本を抱き枕のように抱えて少し頬を赤く染める。

フロイド同様に首を傾げていたジェイドが、急にハッとしてポケットチーフを片割れへと差し出す

「フロイド、フロイド」

「何?ジェイド」

「監督生さん、裸です。彼女は元が人魚ではありませんから…」

「………あ。」

人魚は基本裸で過ごす事が多い。そもそも服を着る文化がないのだ。

水の中で暮らす彼らにとって、衣類や余装飾品は抵抗力が増し泳ぎの邪魔になるだけだ

岩場に引っ掛けたり海藻と絡まったり、動きを制限される危険性も増す

海の中は弱肉強食。鮫に襲われた際にお洒落な格好をしていて泳げませんでした、では話にならない

メスの人魚は一応胸当を使用しているが、哺乳類と違い乳首がないし特に隠す必要は無い。ただのファッションだ

身の危険を冒してまでファッションにこだわる必要はないのでは?と問われれば、答えは否。

オシャレは命。ファッションは魂。逃げづらくとも長い髪を海水に靡かせるのは乙女に欠かせないステータスなのだ

陸で例えるなら、人間の女の子が寒い中、素足を晒してでも可愛いミニスカを履くような感覚に近いのかもしれない

閑話休題。

フロイドは番が少し赤い頬で申し訳なさそうにする姿に、胸がきゅっと痛む

「その、稚魚ですし、隠す必要がないと言えばないんですけど…」

「ダメダメダメ!!隠す必要あるよ!小エビちゃん、ごめんね!俺、気が付かなくって…」

フロイドは慌ててジェイドから受けっとったポケットチーフを稚魚の身体に巻き付けてやる

鰓の上を覆ってしまうと呼吸が出来ないので、そこを避けて胸部を覆い隠す。監督生の羞恥心は大分軽減された

欲を言うなら下半身も隠したいのだけど、タコの触腕が収まるパンツを想像して首を振る。なんか、UFOみたいな形になりそう…

等と考えていると、フロイドが自分のポケットチーフを取り出しパレオのように巻いてくれた。

フロイドは人間の頃の小エビちゃんが1度だけ披露してくれた水着姿を思い出し、下半身も隠したいだろうと気を利かせたのだ。

これには監督生もにっこり惚れ直す。やっぱフロイドさん、優しくて素敵

ほかのメスならひん剥かれようが全裸で転がってようがどうだっていいが、大切な番に対しては出来るオスでいたい。それが男心というものだ

つか、待て。俺の小エビちゃんの全裸、大勢に見られてね?と、フロイドは番を見下ろし、すっと無表情になる

「………小エビちゃん、今から俺、オークションの奴ら皆殺しにしてくるわ。」

「……なんで?」

ちょっとコンビニまで行ってくるね。と同じくらい気軽かつ急に告げられた物騒な発言に、監督生はきゅくるるると喉を鳴らし、こてんと首を傾げる。

「大丈夫、恥ずかしい思いさせてごめんね?5分で終わらせてくるから待ってて」

なんか返事が噛み合っていないのは、恐らく気のせいではない

言うが早いか、マジカルペンを取り出し肩をゴキゴキ鳴らし始めたフロイドに気が付き、アズールがギョッとする

先程オークション会場で番を取り戻そうと暴れ出そうとしたフロイドを止めたばかりなのに、また乱闘騒ぎ等御免被る!

「待て待て待て!!」

「フロイド、落ち着いて!!!」

「俺の番の裸見た奴を生かしておけねぇし…全員瞬殺するから安心してね、小エビちゃん」

「何を安心したら良きです?!」

「今はやめろ!ここを潰すための下見だろうが!!今暴れたら計画がパァですよ!」

「おやおやおやおや?!」

2人がかりで両腕を掴んで止めるが、フロイドはそんなことは全く意に介せずズンズンと前進して行く

ジェイドの「おや」がやたら多い気がするが、あれは多分フロイドの突飛な行動に追い付かない思考がNow Loading状態になっているせいだ。

「おい監督生、止めろ!お前が止めれば何とかなる!」

ジャミルに焦った様子でビシッと指さされ、監督生の肩がびくっと震える。いくら番でも、稚魚には荷が重いのでは?!

未だ状況が飲み込めていないがとりあえず止めなきゃまずいと、カリムもフロイドの背中に抱き着き後ろへと引っ張る

しかし、男3人を引き摺ってなお、フロイドは歩みを止めなかった。

ズルズル引き摺られるアズール達はかなり踏ん張っているし、地面が抉れて靴の上に土が盛り上がっていく。

どれだけ怪力なんだ。監督生は慌ててどうにかしなきゃと必死に考える。稚魚の自分の力では、巨人のように大きなフロイドを物理的に止める術はない

考え過ぎて脳を使った為か、おへそが無くなったお腹がぐぅーと鳴いた。

「………監督生」

「え、えへへへ」

この状況でよくそんな呑気に腹を鳴らしたな。と言いたそうなジャミルの視線に耐えきれず、誤魔化すように愛想笑いを浮かべる

そういえば、売られる緊張と恐怖で忘れていたが、今日はまだ何も食べていない。

朝から無理やり魔法で眠らされて、そのままオークションに売り出され…そもそも食事を与えてもらっていない。

小さな番の大きな腹の虫の音を聞き、フロイドが少し足を止めて振り返る。ぽぽぽと監督生の頬が赤くなる。

カリムがフロイドの背中を引っ張りつつ

「腹減ったのか?」

と尋ねると、監督生はコクコク頷いた。

「…フロイドさん、私、今日、まだ何も食べてなくって…。久々にフロイドさんのご飯食べたいなぁ。」

ジャミルが監督生の入った水の玉を操作してやり、フロイドの顔の前へ持っていく

アズールとジェイドが手を離しても、フロイドは足を止めたままだった

「オレのご飯?」

「はい!私、ココ半年間、ずーっと魚とワカメしか食べてないんです…。あの、海鮮以外のものが久々に食べたくって」

「キノコ料理にしましょう」

「お前は黙ってろ。」

すかさずキノコを勧めようとするジェイドをアズールが止める。お前はちょっと黙ってろ。

「出来ればフロイドさんに作って欲しいけど、ダメですか?」

「……はぁ…」

こてんと稚魚が可愛らしく首を傾げると、フロイドはその場に屈みこんで長ーーーいため息を吐く

俺の番、死ぬほど可愛い。稚魚じゃなかったら食ってた。俺じゃなきゃ耐えられなかった。感謝しろよ、小エビちゃんめ…

「いいよ…。もう疲れたし、帰ろ。」

フロイドはマジカルペンをポケットへ戻し、ふらふらと歩き出す

アズール達はそんな様子に番の偉大さを感じつつ、ほっと安堵の息をついた



「あ、待って。お前ら全員、小エビちゃんの裸見てんじゃん。絞める」

「待って」

「記憶失うまで絞められるか、記憶失うまで頭殴られるか、好きな方選んでいいよ」

「フロイド、待って。」




ちなみに、監督生のお支払いはカリムの奢りになった。よかったな、アズール。

友人の番の為とはいえ、セレブが集う住宅地近くのお高い土地にモストロラウンジ3号店、4号店を立て続けに建てられる位のマドルを用意するのは中々キツいものがある

ジャミルも薄らとそうなる気はしていたが、想定通り過ぎてもはやなんの感情も出てこなかった。もうどうにでもなれ。

「そっか、監督生、帰ってきたんだな…。魂が愛しい者のところに戻るのは当然のことだぜ…。ずびっ。
すぐに宴を!と、言いたいところだが、監督生はフロイドの飯が食いたいんだもんな。
わかるぜ!俺もそういう時はジャミルの飯が食いたくなるんだ!今度は是非ご馳走させてくれ!腕によりをかけて作るぜ!ジャミルが!
ん?お金?出世払い?そんな事しなくても、お前に払わせるわけないだろ?…なんだよジャミル、折角監督生が、戻ってきたんだぞ?これくらいはお祝いだと思って受け取ってくれ!
借り?あ、じゃあ珊瑚の海との輸入を考えてるんだ、その口利き頼むぜ!それでいいだろ?アズール。ジャミルもいいだろ?
またいつでも俺ん家に遊びに来いよ!その時は弟たちと一緒に踊ろうな!!
…よかったな、監督生。またな!」


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