夜の事情
ナガレは海を見つめていた。寄せては返す波の音を聞きながら、流木に腰掛けてため息をひとつ
昼間の賑やかさとは違い、月明かりでキラキラと硝子のように輝く砂浜には彼女を除いて誰もいない
それでいいのだ。ナガレは静けさを求めて夜な夜なここに訪れているのだから
ナガレは周りを軽く見渡してから、ポケットから取り出したハイパーボールを砂の上に投げる
「出ておいで。」
『 ―――!』
赤い光を纏ってボールから飛び出たのは、自らの甲赫を鎧のように身に纏う、灰色がかった白色の巨体
「今日もご苦労さん、グソクムシャ」
『 ―――!』
グソクムシャと呼ばれたポケモンは、大きく体を揺すって伸びてからナガレに抱きついた
その少し硬い頭部を撫でてやりながら、ポケットから好物のポケマメを取り出して手のひらに乗せる
「今日も負けさせてごめんね... 」
嬉しそうにポケマメを小さな前脚で受け取ったパートナーを見上げて、またため息ひとつ
ナガレは接待バトルのトレーナーをしている。所謂、わざと負ける役なのた
企業に雇われ、別企業の上役とバトルをし、気持ちよく勝ってもらう。そのまま機嫌よく契約して頂こうという算段なのだ
わざと負ける。と言っても、適当な技を受けて一撃でやられるだけではいけない。見るからに八百長試合をしてしまえば、先方も萎えてしまう
たとえ自分より格下の、レベルの低い相手とでも何度か技を撃ち合い、接戦してからギリギリで相手を勝たせ無ければならない。
普通に勝利を掴むよりも精神をすり減らし、自分のポケモンと相手のポケモンの技の威力や相性、HPを把握し管理しながらバトルを進行させなければならない
しかし、ため息の理由は精神的疲労だけではない。人間のエゴのために、パートナーを負ける為のバトルに付き合わせる事に気を咎めているのだ
かつて島巡りをしていた時は数々のピンチを共に乗り越え、常に勝利してきたというのに...わざわざ負けを目指す仕事をすることになろうとは、過去の自分もパートナーも考えても見なかっただろう
「次の休みにまたポニ島までバトルをしに行こうね」
流木から立ち上がったナガレは臀部を叩いて砂を落とす。グソクムシャは嬉しそうに鳴いてから、波打ち際まで寄って海の先を見つめに行った。休みとバトルを待ちわびている様だ
アローラ地方は、いくつかの島で成り立っている。彼女がいるメレメレ島を含めて、大きくわけて4つ
メレメレ島の中で本気のバトルをするのは、本来の実力が対戦相手にバレてしまう可能性があるため、許されないのだ
しかし負けてばかりでは鬱憤が貯まる。その為、休日にはポニ島にまで出かけることが多い。
ポニ島までは、船を乗り継ぐか、水ポケモンや飛行ポケモンの力を借りなければ辿り着くのは難しいし、野生ポケモン自体のレベルが高いのでそもそも人口が少ないのだ
一時期とある事情でポニ島を拠点をしていたこともあり、彼女らにとって第二の故郷のようで落ち着く場所でもある
グソクムシャの隣まで歩み寄り、ナガレは足先を濡らしながら大きく伸びをする
「明日も早いから、そろそろ帰ろっか...。ん?グソクムシャ?」
『 ―――?』
見上げたグソクムシャは自分とは反対側を見下ろしている。
ナガレの視線に気がつくと、ちょんちょんと見ていた方を指した。パートナーの巨体の向こうを、促されながら覗き込む
「ん?あぁ、また君か」
グズマ君。と、ナガレは困った様に笑いながら、いつの間にかグソクムシャの腕にしがみついていた少年の名前を呼んだ
グズマと呼ばれた彼は、少し不貞腐れた様な顔でナガレの方を睨む。グソクムシャは少し困った様にパートナーと少年を交互に見やる
この砂浜で彼と会うのは、1度目や2度目ではない。何やら家庭の事情が複雑らしく、夜な夜な出歩いているらしいのだ
「また1人でお散歩?」
「暇だから話を聞きに来てやったんだよ」
「もぅ帰るところだったんだけどなぁ...」
知り合いである子供を一人にもしておけず、ナガレはパートナーに好きにしておいでと声を掛ける
手を離されたグソクムシャは、軽く頷いてから海の波に呑まれていく。ひと泳ぎしに行くようだ
さきほどまで腰掛けていた流木までグズマを導きながら
「前はどこまで話したっけ?」
と尋ねる。グズマは不満そうな表情のままではあったが、すぐに
「アブリーの群れに襲われたとこ」
と答える。彼が満足して帰るまで、暇つぶしがてら旅の話をしてやることにもナガレはもぅ慣れたし、グズマも楽しみにしているらしい
「あぁ、試練の時の...そのあとねぇ」
ナガレは、素直に腰掛けたグズマに少し笑ってから話し始める
小さな事情のある二人の夜は、はじまったばかり
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