グリーンティー

集中していれば周りが見えなくなるのは人間の性であり、事を成し遂げるために必要な行為だ。騒音や環境を無視しながら作業を行うには、いかに集中するかが鍵になる

集中力と僅かな緊張を持たなければ、人は何一つ出来ないだろう

さて、何故そんな話から始まったかといえば、今厨房にて黙々と作業している彼の悩みが関係している

伝説のシェフと呼ばれ四天王でもある彼の集中力はもちろん他人を凌駕し、一種のトランス状態に近いほどではなかろうか

しかし、几帳面で繊細な、悪く言えば潔癖で神経質な一面を持つ彼は他人の気配に敏感だ。わざわざ休日や従業員の帰った後の厨房で作業をするのは、彼らに邪魔されない為だ

時折、従業員が忘れ物を取りに戻ったりすると、集中が途切れて不機嫌不愉快と言った感情を垂れ流しにする彼と対面することになる

調理はもちろん、業務を回す際には頼もしくても、それ以外では極力会いたくないと従業員達が口を揃えるのは無理もない

そんな彼の作業を中断させることなく、いつの間にか真後ろに居たり黙々と紅茶を淹れていたりする唯一の人物…ナガレのことを、実はニンジャではないかとズミは睨んでいる

彼女の出身はジョウト地方のチョウジタウン…同じジョウト地方出身の女性に聞いたところ、そこは別名ニンジャの里だそうだ(女性のニンジャはクノイチと呼ぶことも教わった)

表情が読みにくいのも感情を隠す訓練をしているからで、いつの間にか近くにいても気が付けないのは、彼女が気配を消しているからではないか

そう、ズミは時々真剣に考えるのだ

さて、今もっとも彼の思考を占めている彼女は、いつものようにポットを温めお茶の準備をしていた

茶葉は紅茶と違い発酵していない、ナガレの地方で飲まれるものだ

本来ならポットでなく急須で淹れるのが好ましいのだが、ないものは仕方が無い。雰囲気は出ないが、いつものロゼリアの描かれたポットにお湯を注ぐ

独特の苦味とコクのある香りが湯気とともに広がっていく

「ズミシェフ、少し、休憩にしませんか?」

いつも通りのナガレの声に、ズミはびくりと肩を揺らす。今日も今日とて、声をかけられるまで彼女の存在に気が付いていなかったからだ

お茶の香りを吸い込んで、大きく息を吐き出す。ナガレは不思議そうに目を瞬いている

「今後あなたが天井に張り付いていても、もう驚かない気がします」

「?」



「グリーンティーですか。」

変わった香りがしますね

濾し器を通してカップに注がれたそれを眺めて、エプロンを外しながら彼はそう言った

ナガレはズミがカップを覗き込む様子に、少し口角を上げる

「うちの地方のお茶は、全てグリーンティーと呼ばれますが、今回は抹茶ではなく、緑茶です。急須と湯呑がないので、雰囲気が出ませんね」

「……。」

「紅茶と同じで、入れ方次第では、あまり、渋くないですよ?」

ズミの表情を見て、ナガレは口元を軽く緩ませる。以前、渋みの強いものを勧めた際のことはしっかりと覚えていた

機嫌を損ねて、美味しそうなスイーツが目の前で没収されてしまったことも記憶にしっかり残っている

「カロス地方や、イッシュ地方の方達は、珈琲と同じように、ミルクや砂糖を入れて飲む事が多いです」

お好みでどうぞ。と澄ました顔で甘い蜜の入った小瓶を差し出したナガレを見て、ズミは顔を顰めた

ナガレは露骨に眉間の皺を深くして自分を刺すように見つめる彼に気付かない振りをして、スススと小さなカップも机の上を滑らせて彼に寄せる

中には新鮮なモーモーミルクが注がれていた

小瓶と小さなカップを横目に、些か準備が良すぎやしないかと軽くズミはむくれて見せる。表情の読めない彼女に、子供扱いをされている気がしたのだ

そっと小瓶を机の端に押しやると、ナガレは小さく肩を揺らす

「ナガレ」

「すみません、つい…こほん。緑茶の効能は、様々です。血圧を安定させたり、記憶力を伸ばしたり…脂肪の吸収を、抑える効果も望めます」

「なるほど」

ズミはグリンティーの入ったカップを持ち上げる。

薄く透き通った黄緑を見つめることしばし。緑茶特有の葉の香りを嗅いでから、砂糖もミルクも追加せず澄ました顔で一口

控え目な甘味のあとに微かに渋味が後味として残る

ちらりとナガレを見やると彼女は特に何も気にした風でなく、自分の分の緑茶の香りを確かめた後に口をつけていた。

以前、渋い味には慣れていると彼女が話していた事を思い出す

ナガレには、苦手なものはないのだろうか。好きなものは何となく把握しているが、嫌いなものや苦手なものについては知らないし、本人が口にしているのも聞いたことがない

聞かれたら答えるのだろうが、ナガレが自分のことを自ら話してくれることは少ない

他人の色恋沙汰には鋭いくせに、自分の事となると妙に鈍いらしいズミは、傍にいるのがいつの間にか当たり前になっていた彼女の未知の部分に興味を持ち始めていることにようやく気が付いた

表情の変化の乏しい彼女が、にこやかに過ごす事に少しの優越感を覚えていることにも。

「あぁ、そういえば」

「?」

「そろそろ冷えた頃でしょう」

思考を打ち切り、ズミは思い出したかのように冷蔵庫に向かう。ナガレは不思議そうにズミを眺めていた

ズミがどうぞ、と差し出した黒塗りの小さな器には、コイキングの形をした練切りが置かれていた

今にもびちびちと跳ねて逃げてしまいそうなコイキングは、赤い方はヒメリの実を、黄色い方はオボンの実を練りこんであるのだと彼が説明する

「すごく、可愛いです。そして、今日のもとても、美味しそうです。」

「当然です」

頬を緩ませ、早速目の前の和菓子に夢中になり始めたナガレを横目に、ズミはそっと甘い蜜を手に取る

そして、彼女に気付かれないように緑茶に入れたのであった

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