イランイランのフレーバードティー
待ち人は、待ち合わせ時刻のぴったり10分前にズミの前に現れた。
普段上げている髪は下ろされ、毛先はふんわりとゆるく内側にカールされている。前髪は空色の花があしらわれたヘアピンで左側だけ留められていた
控えめなフリルの淡い水色のワンピースは、透明度の高い淡水を思わせる。
スワンナの羽根のように軽やかなホワイトのサンダルが日に焼けていない足元を飾っていた。控え目で清楚なナガレの雰囲気によく合っている
職場で毎日のように顔を会わせているが、プライベートで会うことは少なかった為、見慣れない私服姿の彼女は全く知らない女性のように見えた
飲みかけのコーヒーをソーサーに戻し、店員に案内されて来たナガレに
「とても清楚で可愛らしいですね。そのワンピース、あなたにとても似合っていますよ。」
と澄ました顔のまま、ズミが素直な感想を述べる
完璧に不意を突かれたらしいナガレは
「…ご冗談を」
と顔を真っ赤に染めて口元を押さえながら俯いてしまう。
出会い頭に、どストレートに褒められるとは流石に予想していなかった
普段しない化粧も頑張ってチャレンジしてみたものの「いつもと雰囲気が違いますね」と言ってもらえたらそれで充分だと思っていたのに、変な期待をしてしまいそうだ
何か言わなければと口を動かしてみたものの、あまりの動揺に声の出し方すら忘れたかのように、何一つ出てこない
予想外の新鮮な反応に、ズミはほんの少しだけ目を丸くして彼女を見つめる
ズミがよく関わる女性…パキラなら「当然でしょ」と胸を反らして笑っただろうし、マーシュは職業柄慣れているため「おおきに」とニッコリ受流しただろう
ナガレは見つめられたことによりさらに耳まで真っ赤にして顔を俯けてしまう
「ズミシェフ、その」
すみません。と何故か謝罪して、椅子に腰掛ける
そのまま10分は二人とも黙り込んでしまい、カフェの中で異様な雰囲気を漂わせていた
コーヒーを嗜み時間を潰すことしばし、ようやくいつもの雰囲気に戻り始めたナガレに
「ジョウト地方に、とにかく誰にでも料理を振舞う習慣なんてありませんよね?」
とズミは唐突に尋ねる
「はい?」
質問の意図がさっぱり掴めず、思わず裏返った声で返した彼女に、ズミは目元を少しだけ和らげて説明を始めた
彼の話を要約するとこうだ。
ズミの友人であるジムリーダーのザクロが、ジョウト出身のパティシエールにローカロリースイーツを振舞って貰っているそう
無自覚ながら彼はパティシエールに気があるのではないかとのこと(というより、気があって欲しいとのこと。いい加減ポケモンとスポーツ以外に気を回せどうこうとズミの説教が入った)
パティシエールもローカロリースイーツを振舞うくらいにはザクロのことを想っているのではと睨んでみたものの、その真意は本人に確かめていない以上予測を立てるしかない
そのパティシエールはどういう意図でザクロと接しているのか…もしかしたら同じ地方出身のナガレに聞けば何かしらの情報が得られるかもしれないと考え、今回お茶に誘ったとのこと
ズミ曰く、人を見る目は自分もザクロも養っているし悪人でないことはわかっているが、友人としてパティシエールの本心が知りたいんだとか
丁寧に説明してくれているズミには悪いが、ナガレは違う点が気になって仕方がなかった
どこかそわそわとしながら
「あ、あのズミシェフ…?」
と両手で紅茶のカップを包みながら彼を見上げる。
「なんですか?」
「その、パティシエールの方は、前にズミシェフに、レシピを渡したという…」
「あぁ、ナガレは知りませんでしたか。」
ズミは特にナガレの様子を気にした風はない。軽くコーヒーに口をつけ、ひと呼吸おいてから
「そうです。元はザクロが糖分を過剰摂取するのでローカロリーのスイーツについて教えてもらえないかとマーシュに相談し、パティシエールの彼女を紹介してもらいました。こういうことは女性の方が詳しいことが多いですからね」
ミアレにあるリストランテ ・ニ・リューで見習いとして働いているそうです
「先程も言いましたがあなたと同じジョウト出身の方で、名をスグリと言います。」
「…マーシュさんも、確か、ジョウト出身では、なかったですか?」
「あれはアテになりません」
ズミは、何故かきっぱりと食い気味に言い切った。ほんの少しの呆れと、何を思い出したのか憂いを含む目で無意味に窓の外に目をやる
「そ、そうですか…?」
「マーシュに料理をさせるのは、腹太鼓をしたベロベルトに大爆発を指示するようなものですよ」
「………。」
それは大惨事ですねと笑うことは出来なかった。ズミの遠い目は、その惨状の悲劇を物語っている
ナガレはしばらく目を瞬かせていたが、苦笑いして話しを元に戻す
「んー…少なくとも、その様な習慣は、ありませんが…」
ナガレは一瞬だけ言い淀んだ。
スグリと言う見知らぬ女性について勝手に推測してしまうのを申し訳なく思ったのが少しと、そこに混じってしまう自分の本心を話してしまっていいものかという迷いが少し
「参考になるかは、わかりませんが、少なくとも嫌いな人に、料理を振る舞いはしません、かね?」
「では、好意は持っていないと?」
「美味しいと褒められれば、何度でも、作りたくなるものです」
ナガレは、ほんの少しだけ表情を緩ませる。眩しさに目を細めるように、奥歯で甘味を噛みしめたように
「シェフも、パティシエールも、そして私も、『美味しい』と褒めてくれる方には、優しくなるもの、ですよ」
例えるなら、それは
「イランイランのフレーバードティーの、香りを、飲み込んだように、なってしまうのです」
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