セパレートティー

ナガレは、厨房の片隅で若干不服そうに口を結びながら淡々と紅茶を準備していた

今日の紅茶は、脳の活性化に役立ち閃きを産むセパレートティー。茶葉は柑橘系の香りを引き立てる様、少し甘めのブレンドだ

グレープフルーツを半分に切り、搾り器に押しあてて果汁を搾り出す。

その手つきは普段のナガレと比べていくらか感情任せで乱暴であり、グリグリと力任せに手首を捻る姿はどうみても八つ当たりだった

その原因であるスイーツを作る背中は、作業に夢中で一切ナガレの様子に気が付いていない(正式には、ナガレが居る事すらまだ気が付いてはいない)

…と、言うより本日レストランは休業日であり、物好き以外は少ないそれを満喫している筈なのだ。

物好きとは当然、数少ない休日にわざわざ新メニューを開発しに来た彼と紅茶の在庫確認をしに来た彼女のことだ

ズミはもとより休日にもレストランに通いつめているが(四天王の一角も担っている彼は忙しく、少しでも時間があれば料理に時間を割いている)例のレシピを受け取った日から低カロリースイーツを作ることが多くあった。

レシピを真似ていることもあれば、自分でアレンジを加え工夫していることもあるが、スイーツばかり作っているのは珍しい。

それ程レシピを作った顔を知らぬ女性のスイーツが刺激になったということであろう。それは、単純にスイーツとレシピの出来の良さを評価されているということだ

よくよく思い出せば、あれ程作り込まれたレシピを用意するくらいには、ズミに気があるのかもしれない…だなんて、ナガレの答えの出ない想像は広がり始める。実際その想像はかなり見当違いであるのだが…

レシピを彼に渡した人物はもとよりマメな性格をしている

少し頼りない友人を持っていることもあってか良く言えば気が回る。悪く言えば少し世話焼きな部分がある女性であり、例え相手が伝説のシェフで無かろうと同じクオリティのレシピを用意していただろう

もちろん、そんなことを知らないナガレの脳内は暴走を始め、勝手なイメージが見知らぬ女性とズミの関係を深めていく

レシピを渡したことがきっかけで良くスイーツについて語り合ったり果ては一緒に作ったりスイーツ関係なしで話すようになりプライベートも共に過ごしそして…

『---!』

ナガレの思考を、ケロマツが現実に引き戻す。若い割に妙に達観しているケロマツは、ナガレの脳内でズミがライスシャワーを浴びている姿が浮かんでいるところまで把握できていた。空き缶を大量につけたオープンカーもおそらく用意されているだろう…この地方にその習慣があるのかは知らないが

ケロマツとしばらく視線を合わせたナガレは

「………、」

結局何も言わずに頭を左右に振る。白いタキシードの似合うズミを脳みそから追い払うのは中々に難しいらしい

早々に諦めたか、スッキリしない妄想を追い出す代わりにさらに手に力を込めて果肉を押しつぶす

実はほとんど潰れて、所々薄くなりひしゃけた皮が無残に手のひらに張り付く

焦燥感がぶり返すのを抑えながら、グレープフルーツの果汁をカップに移す

残りの半分は、スプーンで果肉を削ぎ軽く解してポットへ

いつもの調子で作業する様子を見届けてか、ケロマツはすでに厨房の掃除をはじめていた。

沸かしていた鍋の温度を確認しながら、温めておいたポットの中の少し冷めた湯を捨てる

「ズミシェフ、少し、休憩にしませんか?」

ナガレは、いつものように声をかける

ズミは少しだけ驚いた様子で目を丸くしたが

「えぇ。」

といつものように返した



エプロンを外して畳んでいるズミに、ナガレは言うまいか少し悩んでから、ゆっくり口を開く

「ズミシェフは、最近、スイーツばかり手掛けてますね」

それとなく様子を窺いながら、ナガレはカップにセパレートティーを注ぐ。湯気とともに、柑橘系の甘くも酸っぱい爽やかな香りが広がる

「えぇ、まぁ」

ズミは性格を表すかのようにきっちり裾を揃え、皺を伸ばしてからエプロンを椅子に置いた

その上に何度も捲られ角がよれてきているレシピを指で弾いてから投げる

「この前も話したかもしれませんが…友人達にこれを振舞ったところ、普段より喜ばれたのです。」

ズミはむすっとして腕を組む。

彼曰く、彼女の手掛けるスイーツの方が優れていると言われた気がして少し不満に思い、改めて低カロリースイーツの勉強を始めたとのこと

女性客の需要もあるだろう為、店のメニューに加えられるものの開発を行っているとのこと

ナガレは、表情を変えずに少し安堵した。ズミシェフはあくまでスイーツに興味があるだけで、パティシエールに興味はないらしい

というより、そもそもズミという男が料理とポケモンバトル以外に興味を持つ事など、一撃必殺技を10連続で当てる確率と同じくらい少ないのだ

恋は盲目、とは言ったものでナガレの思考はそこまで至らなかったのだが

「なるほど」

ズミシェフ程の人でも、そのように思ったり、するのですね。とナガレは軽く口元を押さえて笑う

ズミは至極当然だと言いたげに眉間の皺を濃くする。完璧を求めるためには、理想を追い苦悩するものだと彼は日頃から考えている

悩み、努力なくして打開される事柄はない

「このズミとて人間ですから」

「伝説のシェフでも、ですか」

「当然です!」

「それは」

私には、不思議です。

ナガレは、少し表情を堅くしたズミに苦笑する。言い方がまずかったのか、機嫌を損ねたらしい

どうにも、自分の考えを伝えるのは苦手なのだ。昔からポケモンばかりと一緒にいたせいかもしれない

ズミはセパレートティーに口を付けながら、読みにくいナガレの表情を見つめる。彼女が何か言い淀んだらしいのがなんとなくわかったからだ

ナガレが本心をちらりと見せる時の無意識の癖を、ズミは気配で察して自身の口を閉ざす

「ズミシェフは、何でも出来て…小さな事で躓かずに、あっというまに解決すると、思ってました」

料理を作れば当然焦げたりせずに完璧に見た目も美しく出来上がり、ポケモンバトルにおいても尻込みしたり怯えたりせず勝利だけを見据えて指示を出す

ナガレの目からだけでなく、世間から見ても完璧、理想に近い存在。まさしく雲の上の人物にすら悩みや不満があると言うのだ

彼が未完成品と呼ぶ料理を試食させてもらうことが多いが、ナガレには正直何がダメなのかさっぱりわからないことの方が多い。彼の中では、何かしら完璧に遠い部分があるらしいのだが…

もちろん、常日頃から見つめている彼の理想が人一倍高いのをナガレは知っていたし、ズミの親友を除けば一番理解しているのは彼女だ

「その、『伝説のシェフ』でも、私と同じように悩むのは、なんか不思議で、」

少し、親近感が湧きます…かね?

ナガレは、変な話でしたか?と苦笑いを深める。ズミが初めて見るポケモンを相手にしているような顔をしていたからだ

「……。」

ズミはまだ何も言わず、カップを傾けて柑橘系の香りを飲み込む。

ズミは、回転の速い頭で様々なことを考えていた。ナガレは自身が完璧主義で中途半端を嫌うことはもちろん把握しているだろう。メニューの開発も今に始まったことではない。休日にも顔を合わすナガレは他の誰よりも自身を理解しているだろう

ナガレの目から見た自分は、どうやら…

ズミは無言のまま思考を無理矢理打ち切った。勝手に女性の考えを推測するのは紳士として好ましくない。し、ほんの少し恥ずかしい気がしたのだ

罪悪感があったわけではないのだが(現に、別に疚しい事は何も想像してはいない)なんとなくバツの悪いらしいズミは、すっと立ち上がる

不思議そうなナガレに、シルバーの冷蔵庫へ向かいながらいつものように

「丁度冷えたころでしょうから、味見をしてくれますか」

とプディングを取り出す。仕上げに砂糖漬けした木の実とクリームをトッピングし、スプーンを添えて前に置いてやると

「是非!」

とナガレもいつものように顔を綻ばせる

きっとこれを食べた後、いつものように「美味しいです」と言うんだろうと、ズミはナガレを見てほんの少しだけ眉間の皺を浅くして笑った

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