ギムネマティー

人気の無い厨房を簡単に掃除してから、ナガレは小さな丸椅子にストンと腰を落とした

彼女の手持ちである綺麗好きなケロマツがケロムースを使って隅々まで掃除をし始めているのを横目に、茶色の大きな紙袋から密封された茶葉をいくつも取り出す

いつも買う定番の茶葉に加え、稀にしか販売されない他地方のものや、いつくかのミントやハーブとスパイスも購入していた

慣れた手つきで種類ごとに茶葉をわけて小瓶に移す。それぞれの香りを確かめてみたり、色を眺めたり、瓶を掲げてみたりと、表情は変わらないものの随分と楽しそうであった

小分けにしておくと見た目にも可愛いし、手書きで効能や香りをメモしたラベルを付けておけばブレンドを試す時に便利だ。適当に置いておいても、整頓されているように見えるのもいい

厨房の隅に用意された紅茶スペースに、茶葉を満たした小瓶を並べる

いつの間にか設置されていたシンプルなシルバーの棚は、ナガレの為に同僚達が購入したものだ

ズミの元へ見習いとしてナガレが来た時から、彼女は同僚達に紅茶を振舞うことが多かった。話下手でコミュニケーションが苦手なナガレなりの処世術だったのだろう

それが功を奏し、彼女と彼女の紅茶は同僚たちに愛されている。 ジョウト地方特有の童顔と、たどたどしく話す様子が可愛らしく映ったというのも一因では有るだろう

ある日、突如用意された棚にナガレは最初戸惑った。一度は、購入してもらっても悪いし厨房に置けば動線を妨げるかもしれないから止めてくれと頼み込みもした

ズミが一言、構いません。と許可を出したためにナガレは何も言えずに今に至り、結局は好意に甘えて使用している。

ズミとて、別に彼女とその同僚たちに気を遣ったわけではない。ナガレが見習いとして紅茶を淹れ始めたところ、一部の客からの評判が上がったからだ

舌の肥えた客から「今日の紅茶は素晴らしいですね」と賛辞を貰う時は、必ずナガレが用意していた

お客様の為です。と念を押されれば、ナガレはほんの少し困った様に笑って「精進、致します。」とズミと同僚たちに頭を下げるしかなかった

皆の好意に応えるため、ナガレは誰よりも早く厨房に訪れて補充等を行っている。もちろん、厨房に早くに来ている理由はそれだけではないのだけれど。

ロゼリアのカップとソーサーも向きを揃えて、満足そうに一度頷く

ナガレが毎日行っている静かな習慣だった

小瓶に全て移し終えると、残った茶葉は紙袋に戻し、ペットボトルに入った水を取り出す。

紅茶には、酸素を多く含む無味無臭に近い水が適している。茶葉が育つ地域に合わせて硬水と軟水を使い分けると、さらにそれぞれの良さが際立つ

水道水でもカルキ臭さが無ければ問題はないのだが、それをあまり好まなないナガレはわざわざ湧き水を汲んでくることが多かった

カロス地方の水は硬水が多いため、軟水はわざわざジョウト地方から新鮮なものを取り寄せている

紅茶にこだわるあまり、そのうちミルタンクを育て始めるのではないかと、同僚たちはこっそり噂していた。無論、美味しいミルクティーの為だ

ペットボトルから鍋に水を注ぎ、火にかける。ポットとタオルは既にシンクの上に準備してあった

時計を確認しながら、ハーブを1つ手に取り香りを確かめる。

ナガレに気を遣うように、小さくカチャリと扉の開く音がした

「おや、ケロマツ。ご苦労様です」

振り返ると、ズミが厨房へ入ってきたところだった。朝早いというのに、眠そうな様子など全くなく、ナガレのケロマツに目線を合わせて屈んでいる

ケロマツは誇らしげに綺麗にしたばかりの床を指さして何やらアピールをしていた。軽くその頭を撫でてやりながら、ズミはナガレにも目を向ける

「ナガレ、おはようございます」

「おはよう、ございます」

ナガレは、一日で始めに挨拶をする人物に、少しだけ微笑んだ



「前に言っていた、ダイエット効果の期待される、紅茶の一つです」

「……、その、」

「…渋味が強くて、青臭いので、多少飲む人を選びます」

ナガレはカップを平然と傾けながら、若干顔を顰めて言い淀んだズミを見やる

「ギムネマ、というハーブの一種で、糖の吸収を、抑える作用があります。あとは、血糖値も、上がりにくくなりますよ」

ナガレは、ズミシェフにはあまりオススメしませんがと付け足してから、淡々と説明を加える

「一時的ですが、甘味を麻痺させて、あまり感じられなくする、効果があります。どうしても、甘いものを控えたい時に、オススメします」

「確かに味覚が麻痺してしまっては困ります」

草をそのまま食んだ様な青臭さも相まってか、カップをソーサーに戻すズミの手は早かった。

ナガレはもとよりズミの分は少な目にしか入れていなかったが、いつもはカップを空にしてくれる彼の珍しい行動に僅かに目を丸くする。そしてしばらくすると、軽く破顔した

「ズミシェフは、苦手そうですね」

ズミは少しだけむすっとして、眉間に皺を寄せる。ナガレの目が確実に笑っていたからだ

素直に苦手と言うのが若干気に入らず

「ナガレは平気そうですね」

とだけ返す。

私は、ブレンドを試す時に、色々味見しますので。とナガレはズミの不服そうな顔を見ながら、今度は隠さずに笑った

ズミも隠さずに口元を歪ませる

「残念ですねナガレ、このズミが丹精込めて作ったチーゴ味のシュークリームを持ってきたのですが…どうやらいらないようですね」

思い出したかのように、徐ろにボール紙で出来た白い箱を取り出し開く

箱の中には、店頭に並んでいるものよりも美味しそうなシュークリームが6つ収まっていた

クリームはチーゴの色に軽く染まっており、サクサクのシューから溢れんばかりにたっぷり挟まっている。

ズミ曰く、生地にはチーゴの果汁が入っており、クリームにはチーゴのジャムが入っているとのこと。もちろん、レシピを参考にしておりローカロリーであるとのこと。

ポッチャマを模した保冷剤が数個入っていて、きっと程よく冷やしてくれているに違いない

ナガレは何も言わなかったが、凄く悲しそうな顔をしてシュークリームを見ていた

脳内では、ズミの機嫌を損ねてしまった事を全力で後悔していた。ズミにも苦手なものがあるのが可愛らしくて笑ってしまったのがいけなかったらしい

ナガレは見せ付けるように閉ざされる箱と、ズミの顔とで視線を往復させる

雨の中ダンボールに置き去りにされたニャスパーでさえ、こんなに悲しそうで哀愁漂う瞳にはならないだろう。

今まで我関せずと言った様子だったケロマツが、微妙に呆れたように自らのトレーナーを見つめる

「シュークリーム美味しそうですね是非食べたいです」と言えば済むことなのに…とケロマツが思ったかはさておき

想像したよりも落ち込んでしまい、どうにも悲しそうな目を止めそうもないナガレに

「昼食の際、シュークリームにあう紅茶をズミの為に淹れなさい」

と彼は少し呆れて笑いながら言った

「そうすれば、味見させてあげましょう」

「!!」

捨てられたニャスパーから一転。全力で尾を振りトレーナーに駆け寄るヨーテリーの様に顔を綻ばせたナガレに、ズミは若干の優越感を覚えていた

普段は何を考えているのかよく解らないと従業員全員が口を揃えて言う程正体の掴めないナガレが、ここまでわかり易く感情を露にするのは、恐らくズミの前だけであろう

自分の作ったものが食べられないとあからさまに落ち込む…つまりは、それだけ自分の作ったものが食べたかったのかと考えると、優越感を覚えるのも無理はないかもしれない

ナガレはスイーツに限らず、ズミが作ったものに対して「美味しいです」としか言わないが、毎度毎度心底美味しそうに頬を緩ませて笑う。それこそ、効果音や背景に散るお花が見える位に幸せそうに笑うのだ

意見や評価として参考にはならないが、自分の料理を全力で変な理屈を入れずに美味しいと言われるのは、決して悪い気持ちではなかった

むしろ、一人の料理人としては純粋に喜ばしく思えた

彼が食事会を開く友人達を除けば、一番料理を振舞っているのは彼女かもしれない。

「出来ますね?ナガレ」

「是非、美味しい紅茶を、淹れさせてもらいます」

先程の様子は何処へやら、ご機嫌で鼻歌でも歌い出しそうなナガレの肩に飛び乗り、ケロマツはズミを見つめる

なんとなくだが、あのままナガレが笑わなければこのケロマツに何かしら手を出されたのだろうなとズミは予感していた。なんとなくだが。

そろそろ他の従業員たちも出勤してくる時間であるため、ナガレとズミは紅茶のセットと椅子を片付け始める

余談であるがチーゴ味のシュークリームの隣には、チーゴティーが並べられた



☆☆☆
後日、ズミからザクロへ、強制的にギムネマティーが届いたかもしれない

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