彼にさよなら

サカマタは運動神経もそうであったが、のんびり屋のナガレと違い俊敏で知能も高い

持ち前の野性の勘とそれらを巧みに使いこなし、ごぼう抜きに幹部のトップを取るようになるのも早かった

立場上はすっかりナガレよりも上になってしまったが(水族館でNo.2の彼より上の立場は館長しか居ないのだが)サカマタは何かと彼女を頼ることが割と多い

同じ種族のよしみか、仮にも一時的に指導者として存在したからなのか、それは彼にしかわからない

ナガレはサカマタを好いていたし、頼られるなら素直に嬉しいと従順であったからかもしれない

ナガレはのんびり屋で大人しいが、割り振られた事を丁寧に確実にこなすので、サカマタにとっては都合が良い右腕であっただろう

例え都合良く使われていたとしても、ナガレは持ち前の大らかさで一切気にしなかっただろうが

サカマタが館長に呼び出されている間、ショーでの出番を待つナガレは水槽の底で待機していた

先程から水を伝い地響きのような音が何度か聞こえていた為、何かしらのトラブルが起き、それを処理するためにサカマタが駆り出されたのだろうと、ナガレは体をほぐしながら考える

いつもならイルカの水中の動きを監視している鉄火マキまで駆り出されて行ってしまった為、余程の事が起きたのだろう

何やら外が騒がしいと気になりはするが、ショーに穴を開けるわけには行かない為、ぐっと堪えてナガレはただショーに備える。

仮に持ち場を離れて野次馬根性を出していれば、後々ナガレは鯱の標本にされていたかもしれないが

結局大人しく座り込んだナガレの耳に、本来ここで一緒に待機しているはずのサカマタから

『ナガレ、聞こえるか?』

と、コールが届いた

コールとは反響定位の一種で、要は仲間に呼びかけるための音波のことである

鯱やイルカ、鯨は視界の不明瞭な海の中で地形や獲物、仲間の位置を知るため常に頭にある器官から音波を発している

その音波がモノに反射し返ってくるまで時間や方角で、様々なものを把握しているのである

一説では、すぐ近くに垂らした二本の糸をハッキリ認識できるほどの精度を持っているとも言われている

ちなみに、反響定位を凝縮し発射する事で、獲物を麻痺させる事も可能だ

これはクリック音といい、余談ではあるが館長とサカマタが主に気に入らない魚を胃袋へご招待する際に使用している能力である

音波を使いこなす事で彼らはコミュニケーションも狩りも行うのだ

サカマタのコールは

『俺はデラ忙しい。演技はナガレ一人でやれ』

と、簡単な業務連絡を残し切れた

ナガレは苦笑いを浮かべ、了解の意を伝える

幹部の彼が忙しくショーに出れない日は、ナガレが普段よりも多くの演技をし、苦手としているジャンプも行わなければならない

しかし、これも最近となってはいつものことだった。

水族館全体の大まかな管理や集客数についての資料作りなど、彼がほとんど行っているため忙しいのは致し方がない

ナガレは特に理由を聞くことなく、調教師役の仲間に演技の内容変更の合図を送る

そろそろナガレは、館長の力によって普通の鯱に戻されるだろう

ナガレは

『無理したらダメやよ、サカマタ君』

とコールを送ってみたが、サカマタからの返事は無かった



ナガレは普通の鯱としてショーに参加し、調教師と息を合わせて様々な技で人間を魅了した

沢山の惜しみない拍手を貰いながら退場し、その後は裏方に回るために魔力受けて人型になる

それが、いつもの流れであった

はずだった。

魔力を受けて擬人化したナガレを待っていたのは、裏方の仕事ではなかった

裏方に通じる通路用水槽の中で、ボロボロの幹部達が手当された状態で転がっていたのだ

自分がショーに出ている間に何が起こっていたのかと、ナガレは不思議そうに首をかしげる

頭に大きなコブを作った鉄火マキが最初にナガレに気が付き手を振った

「あ、ナガレ!アンタ、ショーは終わったの?」

「マキちゃん!その頭どうしたの?」

ってドーラク君も、カイゾウさんもボロボロやんね!!と慌てて泳ぎ近寄るナガレを、幹部達はわりと軽く迎える。それどころか、どこか清々しそうでもある彼らにナガレはさらに首を捻らざるを得ない

鉄火マキは困惑した様子の友人に、少しだけ戸惑った後に

「あーうん、アンタがショーに出てる間に色々あったのよ」

とだけ答える

実を言うと、ナガレはイガラシの指導者をほんの少しだけ務めたが、イガラシが誘拐されてきた事は知らなかった。

鉄火マキは、ナガレがサカマタを特別視しているのを何となく理解していた。サカマタが誘拐を働き、それを取り戻しに来た奴らと乱闘になりましたと説明する気は、彼女には到底起らなかった。

しかし、ナガレも馬鹿ではない。明らかに何かを濁す友人に

「どう色々あったらデビ君の腕が全部なくなるん!?」

と問い詰める。つい身を引いた鉄火マキに変わり、指を指されたデビルフイッシュがうう、うるさいい…と唸る

デビルフイッシュは腕があれば耳をふさいだだろうが、疎ましそうに顔を歪めただけだった

それ以上の補足もしてくれそうもないタコに恨めしそうな視線を送りながら、ナガレは幹部を見渡す

明らかにカイゾウと鉄火マキはびくりと肩を揺らしたが、ドーラクとデビルフイッシュは素知らぬ顔で視線を受け流していた

見回した際に気が付いたのだろう、ナガレは幹部の人数を見て

「あれ、フカ君は?」

と尋ねる。鉄火マキからの痛い視線を受け流しながらドーラクは軽く肩を揺らす

「ギシギシ…あいつは、まぁ、色々あって海に帰ったな」

「……?一角君は?」

奴は帰る客の相手をしておるわとカイゾウが答える

ふーん…とナガレは疑いの眼差しで幹部達を見つめていたが、やがて諦めた様にため息を吐いた

ナガレを孫のように可愛がっているカイゾウも、彼女の様子にホッと安堵の息をついた

しかし、それもつかの間…

「ところで、サカマタ君は…?」

と、ナガレの言葉が海水を揺らした途端、空気が若干重くなった

ナガレは、例え幹部達がボロボロになるほどの事もサカマタなら大丈夫だと何処か確信している節がある

ナガレはサカマタが幹部達同様怪我をして居るだなんて微塵も考えなかったし、何が起こっていたのかわからないがそれを解決し終わっていると思っていた

ここで話している間に幹部である彼も来ると彼女は踏んでいたのだが、痺れを切らしたのだろう

もちろん、素直に友人達が心配で話し掛けたというのもあるが…

鉄火マキは、何も疑わないナガレの視線に耐えかねて

「サカマタは、」

と口を開くが、その先は中々出てこなかった

コポリコポリと、泡が立ち上って消えていく

まるでここにいる数匹が呼吸すらしていないのではないかと思われる程静かであった

ナガレはただ鉄火マキの言葉を待っていた。もしかしたら、薄々気が付いていながら認めたく無くて黙っているのかもしれない

鉄火マキは、ナガレがサカマタを特別視しているのを何となく理解していた。

悪いけど知らないわ。と、彼女は困った様に眉を寄せ、目を逸らしながら素っ気なく答える

珍しく、他の幹部たちも黙りこくって口を開かなかった

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