彼に固執

この水族館で古株である雌のシャチ…ナガレは、自らの水槽の中で海藻のように漂っていた

この水族館の館長により魔力を受けた彼女は本来の鯱の姿をしていなかったが、すでに時刻は真夜中を示しており館内には館長以外の人間は居ない為何も問題はない

ただぼんやりと水面を仰いで人口的で無機質なライトを眺めていたナガレに、勢い良く水を掻きながらやってきた鉄火マキが近付き声をかける

「ナガレ!」

「マキちゃん!仕事終わったの?」

「まぁね!アンタは?」

「終わったよー」

大袈裟に手を振り満面の笑みで互いに泳ぎ近付く

この水族館で少ない雌同士であるためか、ナガレと鉄火マキは仲が良かった

トロいものが嫌いである鉄火マキだが、哺乳類でありながらナガレは時速60kmで泳ぐことが出来ることもあり友となれたのであろう

時速60kmと言えどあくまで哺乳類最速の泳ぎというだけでマグロである鉄火マキには及ばないし、鉄火マキはナガレのことを若干トロいと思ってはいたが

水中でくるりと向きを変えたナガレは、一度水面に顔を出し呼吸をしてからまた戻る。哺乳類である彼女は、海に住みながらその中で呼吸が出来ない

鉄火マキはナガレが眼前に落ちてくると、少しだけ真面目な顔をして口を開く

「そーいやナガレ、アンタ最近変よ」

「えー、そう?」

「あのおっきい雄が来てからじゃないかしら。」

鉄火マキが指したのは、最近近隣の海に迷い込んでいたところを捕獲され連れてこられたナガレと同じ種族…鯱のことだろう

体格が大きな彼が暴れ周り、一時は水族館内が騒然となった。今は多少落ち着いているが、まだ展示されていないところを見ると未だ狭い海に馴染めていないらしい

館長が一筋縄でいかない面倒臭いと、舌打ちをしていたなんて誰かが噂していたのを小耳に挟んだこともある。ナガレとは違い、狭い海も人間との共存もしらない雄

「ナガレはあの雄が気になるの?」

思考の海に沈もうとしていたナガレを鉄火マキの声が引き上げた

若干後ろめたいような表情を作ったナガレを、鉄火マキは泳ぎながら穴があきそうなほどに見つめる

2人の視線が交わる。互いに雌同士、手を出したりはしないが自然と距離を測る

諦めた様にごぽりと息を吐いたのはナガレだった

「…なんでそう思ったん?」

「アイツが来てから、ナガレはトロくなったわ」

「んー…」

唸るだけで否定も肯定もしないナガレに、鉄火マキは畳み掛けるようにどうなのよと詰め寄る

ナガレはしばし目を瞬いて、苦笑を浮かべた

「まず前提として、マキちゃんと私って同種族に対して考え方が違うやんね」

魚が群れを作るのは、天敵に対し自分達が大きく見えるようにする為であったり、多数の魚と入り乱れる事で自分が捕食されるのを避けるためだと言われる

つまりは、襲われる側の生存率を上げる知恵であるわけだ。別に一人が寂しくて集まるわけではない

それに対し、海に住む哺乳類である鯱やイルカが群れるのは、協調性と社会性を持つからだ

泳ぎが下手である子供を海面に押し上げ呼吸をさせたり、狩りの間子供を預かり所謂保母の様な役割をする個体がいたりと、それを示す事例は多い

鉄火マキが同個体を見たところで何も思わないだろうが(闘争本能が少ない雌なら尚更である)ナガレにとって同種族となれば共にコミュニティーを築くかもしれない存在なのだ

簡単にまとめてしまえば、魚より鯱は仲間意識が強いから、と言えるだろうか

鉄火マキは、ふーん。と解った様なよく解らない様な微妙な返事を寄越しただけであったが、ナガレは気にした様子なく…そもそも気にかけていなかったように…続ける

「でも、生憎あちらはトラジエントやんね…」

ナガレはまたゴポリと溜息を吐き出した

トラジエントとは、極少数の群れ、または単体で生きる鯱を示す

ナガレは水族館育ちであるが、両親との群れで暮らしていた…今は両親は別の水族館に移転した為、彼女は雄の鯱が来るまで一人であったのだが

ナガレ達群れを作る鯱というのは、穏やかであり餌も魚などを捕食する事が多い

しかしトラジエントは気性が荒いことが多く、海獣のアシカやセイウチ等の大型の生き物を仕留めて捕食することが多い

温水ならぬ温海水育ちのナガレとは真逆の存在であるといっても過言ではない。現に、トラジエントとその他の鯱ではまったくの別物と考える学者もいるらしい

同種族で有りながら相容れぬ存在と言えよう

「で、結局何が言いたい訳?どういう事?」

頭に疑問符を浮かべ水槽内をくるくると回る鉄火マキを目で追いながら、ナガレは自嘲気味に笑う

「私は群れに入りたいやんね。私はトラジエントじゃない。だから一人は辛いやんね…」

「はーん、わかったわ」

鉄火マキは薄い胸を張って笑った

アンタは仲良くなりたい。でもアイツはナガレとは仲良くならない。だから声をかけれずにモヤモヤしてるのね

鉄火マキはナガレの頭上を旋回し、合点がいったと肩を揺らす

何処かおかしそうにケラケラと笑い声を漏らす鉄火マキに、不満そうにナガレは

「…その通りやんね」

と言いたい事を飲み込み、恨めしそうに頷くだけに留めた

一言、極単純に言うならば

「四角い海は寂しいやんね」

大海原を知らない鯱は、孤独だったのである

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