鯨の根城
いよいよ魚達も帰ってきました!
最初は戸惑ったように隠れていましたが、各々水槽内で気に入った場所を見付けて楽しそうに見えます
イルカ達は水槽越しに寄ってきて愛想を振りまき、アシカやアザラシは足下の穴から顔を覗かせ様々な表情を見せてくれます
ライトアップされて輝くクラゲ、突然のスコールにも慣れた様子の熱帯魚、擬態して探し出せないかくれんぼ上手な魚達に、ふれあいコーナーで呑気に動くウミウシやヒトデ
どこを見ても賑やかです
やっぱり水族館はこうでなくては!
「良かったですね、イサナさん!」
「ようやくだな」
イサナさんも心なしか穏やかな表情で泳いでます
残念ながら、イサナさんもとい鯨の展示水槽はありません
その代わり…
「シャチなんていつの間に居たんですか」
大きめの水槽に、前の水族館では居なかったシャチが輸送されていました
前に言っていたメインになるような海洋生物とは、彼のことだったのでしょう
野生で育ってきたらしい巨大な体躯をもつシャチは見たところ元気というか気性が荒いというか、とても保護出来るような状態には見えませんでした
しかも発育の良さや一匹で平気なところをみると、トラジエント…つまりは群で行動せず単体で暮らしていた個体と予想できます
一匹狼ならぬ一匹鯱(?)だったのでしょう
イサナさんは私の質問に平然と
「あぁ、泳いでいたから捕まえた」
と答えました
「いやいや、そんな金魚すくいじゃないんですから…」
「何でもいいだろう」
そんなことより…と鯨は顔を海面から持ち上げます
「ナガレ、飼育員全員を今からクビにしろ」
「それなんですが、飼育員なしで魚達の世話はどうするんですか?流石に私一人では何も出来ませんよ?」
「問題ない。さっさとしろ」
「……。」
問題しかない気がするのですが、それは私だけでしょうか?なんだかスッゴい恨まれそうですし…私なら丑の刻参りしますよ
「イサナさん、せめて辞めてもらうにしても次の就職までの保証金やら新しい職場の紹介とかしてあげて下さいよ…?」
こちらの訴えに、そんな無意味で不利益なこととクジラは不愉快そうです
「何故そんなことをする必要がある?」
心底呆れた。と互いに相手を内心罵っているでしょう。私達の気が合うなんて珍しいですね!
考えてもみて下さいよ。今まで毎日勤めてきたのに、突然ひょっこり出てきた赤の他人がもう来なくて良いよなんて言っても納得できるはずありません
それに…
「突然辞めさせられた彼らは姿も見せない館長ではなく顔の見えてる館長代理を責めるかもしれないじゃないですかぁぁ!!」
なんだかんだ言いつつ私は私の身が可愛いです
思わず声を荒げると、鯨は眉間にぐぐっと皺を寄せました
「うるさいナガレ。もう少し静かにしろ」
「とにかく、恨まれて包丁ブスリなんて勘弁です!ある程度の保証がなければこちらとて動きませんよ」
偉い!偉いよ私!クジラ相手に言い切りました!
ただ、鯨がどんどん海からせり上がっていきますがどうしましょう…?
不愉快不機嫌極まりないと言わんばかりの館長の絶対零度の眼差しに怯んで、喉がひきつった声を単発的にあげました
恐いです。しかし、これは曲げてはいけないところです
「………」
「っ………………!」
水滴を垂らしながら見下ろす巨体に足が竦んで震え出しそうでしたが、何とか堪えます
イサナさんは人でなしですが、私は違うのです。クビです皆さんさようならだなんて割り切れませんし、後味が悪すぎてイヤな夢を見そうですから
それに、イサナさんだってわがまま言いたい放題のやりたい放題な方ですが、寂れた水族館を立派なテーマパークに建て替えるのはこの方なのです
いきなり辞めろといわれ納得するのは無理でしょうが、せめてイサナさんの印象が多少でも良くなるように努めて悪いはずがありません
お互いに利益のある話です!
人間話し合えば解りますよ…おーっと、イサナさん鯨でしたどうしましょう
引くに引けず、お互いが睨み合うこと数分…実際は数秒だったのかもしれませんが、とても長い時間に感じました…折れたのは意外にもイサナさんでした
「…ナガレ、お前の好きにしろ」
勢い良く潮を噴いた彼は、長い息を吐きました
「細かいことは後で伝える。とりあえずここの退職積立金等がどうなっているのか調べろ」
「はい!」
一度決めたことの対応はとても早いらしく、早速出された指示に従います
スィーと泳いで遠退いていく背中にお礼を言うと、また潮を噴き上げていました
柄にもないことをして、なんとなく照れているんだと思います
そう思うと、なんだか人間臭くて笑えますよね
…クジラですけど。
☆☆☆
「って、結局私の仕事が増えただけじゃないですか」
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[mokuji]
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