歩幅を寄せる
魚達をほかの水族館にすべて預け、本格的な改築計画が始まったのは一週間ほど前からでした
家に帰りたい私をよそに、水族館の片隅に置かれてしまった四角い小さな住居(まさかの仮設住宅ですよ?!)を拠点に指示だしを行います
指示だしと言っても、館長の計画している今後のアトラクションを行える設備や水族館の目玉となる奇抜なアイデアを説明し形にしていただけるよう交渉するだけですが…
そのするだけが死ぬほど辛いですはい
なんつー板挟みなんでしょう!
金は払うと無茶ぶりするイサナさんと、それは前代未聞だ無理だと首を横に振る業者のお偉いさんに挟まれてます
さらには顔も見せやがらずに命令だけしてくるイサナさんと金持ちの道楽に付き合わされ不満爆発寸前終始つり目のお偉いさんをなんとか取り持ち、2人の納得するギリギリを探って伝えて…
なんでしょうね、イサナさんの依頼もとい決定事項をねじ曲げるのがこれほど彼の不機嫌を買ってしまうのかというほどバーゲンセール状態なのも心労を倍にしてるんだと思います
伝令役もとい鳩の私は、ストレスと過労で胃がもの凄く痛いです
例えばアクリルガラスがなんとか水圧に負けず割れないギリギリの大きさの馬鹿でかい水槽だとか、目指せ世界最大の水中トンネルだとか、ど派手なショーを催すための巨大プールと客席だとか…メモして伝えるたびに何故か私が睨まれ怒鳴られるのは非常に理不尽ですよね
そのころ鯨はさらなる素敵計画を考えて海水の浮力に身を任せプカプカしてるんでしょうはい
あぁなんか突然我が国の誇る伝統的な漁の一つである捕鯨がみたくなりました。ほんとに何故だか突発的にどうしようもなく見たいですね
なんか今なら浅瀬で見られる気がしますねー、チラチラ
出会ったばかりのお偉いさんに敵意を向けられながら、何故だか病で顔も見せられないモザイク館長の代理小娘の私は必死に頭を下げます
そらもうクジラが不機嫌に任せて海面をビタンビタンする度に海水塗れになり髪の毛を指も通らないほどバッシバシにされるのは懲り懲りですから
…涙目で本気で頭を下げる私は非常に惨めに見えたと思います
かなり呆れられていたようですが、取りあえず設計図に少しずつまとめて下さるようです
本当にカルシウムの足りている方で助かりました…
クジラの無茶ぶりはこの私がなんとか止めて見せますからね…
お礼を告げてからカルシウム不足の巨体の元に向かいます
空は紫色で、まだ少し明るい中に小さな星が光っていました
あぁ、なんだか泣きそうです…
静かに波打つ海を見つめて心を落ち着けていたら、珍しく呼ばれる前に黒い背中が出てきました
ざばぁぁと海水を掻き分けた巨大な背中がみるみると持ち上がり、目の前にクジラの吐息を感じます
「どうだった、ナガレ」
「なんとか殆どは通してもらいましたよ」
殆ど、と言うのが気に入らなかったらしく唸った彼の鼻先(おでこと言うべきでしょうか。鯨の鼻は潮を噴く穴のところです)を見つめ、腕を大きく振り上げます
勢いに任せて振り下ろすと、ピシャンとわりと良い音が響きました
「なんのつもりだナガレ」
「労いの言葉くらい下さいよ…」
不機嫌そうなのから一変、呆気に取られたようなクジラの顔をペチペチと叩きます
岩のような見た目とは違い、意外に柔らかく弾力がありました
「危うく!危うく土下座までするところだったんですからね!結構追いつめられたんですからね!初対面の人に最近睨まれまくりです!それでもなんだかんだで頑張ってるんです!」
だから今日はせめて責めないで下さい!本気でちょっと泣きそうなんですからね!
「わかりましたかイサナさん!」
「……。」
大きく息を吐き出してイサナさんを見上げると、まだ呆気に取られているようでした
私と言えば、勢いと疲れのあまりバシバシ叩いて喚いたことを早くも光の速度で後悔していました
我に返ったら「んじゃこらてめぇ潰してやる!」なんて言いませんよねイサナさん…
若干逃げ腰のこちらを尻目に、クジラはザプザプと海面を揺らして体の向きを変えました
私の目には、視界いっぱいの鯨の横顔が映ります
クジラは徐にはぁぁと長い息を吐いて
「ナガレ…ご苦労だったな」
と体に似合わず小さな声で言いました
イサナさんは間抜けに口を開く私にちらりと視線を送った後、静かに海に帰って行きます
まるで照れ隠しのように消えていった巨体を見送り、思わず
「……イサナさんが照れるとか、考えられないですよね」
と口から呟きが零れてしまい、一人で笑ってしまいました
空は、すっかり日が沈み星が煌めいています
少しだけ、イサナさんの我が儘に付き合ってあげないこともないですよ
☆☆☆
ノリとテンションで生きてく強い女子
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[mokuji]
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