非現実は終わらない
就職活動は予想外な方向で終わりを告げたようです
鯨はイサナと名乗り、電話を掛けるようにと命令しました
明らかに命令でした、はい。
たぶんですが従わなければ蟻のように潰されていた気がします…圧倒的体格差だけのせいでなく、それだけの威圧感を感じましたので予想はあながち間違いではないと思います
人語を喋ったことにただ間抜けに口を開いていた私に盛大なる舌打ちをかまして、鯨はもう一度同じことを繰り返しました。逆光も相まって超怖いです
怪獣映画のワンシーンに出来るんじゃないでしょうか…
鯨って舌打ちできるんだ…と現実逃避の為がどうでも良いことに感心しながら携帯電話を漸く鞄から取り出すと、俺の代わりにかけろと言いました
その手では携帯電話を持つどころか指先で潰しちゃいますねっなんて軽口はさすがに言えませんでした
明日は我が身というか、想像の中の携帯電話の二の舞にはなりたくありません。ぷちっ
彼(一人称が俺でした)の言うがままにダイヤルを押し彼の命じるがままに話しを進めていきます
緊張のあまり会話の大半は左から右へと流れていってしまったのですが、断片的な記憶を繋げるとこの不可思議な鯨はお金持ちの坊ちゃんらしいです
何を言っているかわからねぇと思うが私も何を言っているかよくわからねぇ御子息様とか坊ちゃんとかそんな…こほん。
恐らく従うままに繋いだ先は彼の家であり、鯨いわく病で伏していて人前に出れる状態でないがどうしてもやらなければならない事があるからという内容でした
電話の相手も最初は不審に思っていたようですが、しばらく鯨の言うままに話を進めていくと、よくぞご無事でやらなんやら言葉を並べ立ててました
そこから推測されるのは、元は人間であるが何かしらの原因でこの姿になってしまい、まだ時間がたっていないというのと
この姿を彼は知られたくないが、この姿になっても何かしらやり遂げなければならないということです
中々体格もしっかりしていて立派なお子さんですね。だなんて定番な褒め言葉じゃ足りないくらい大きいですけど、病でこの様になるわけがないです
電話を掛け終わると、鯨は
「お前、名前は」
と聞いてきました
気が付けば結構時間がたっていたようで日はすっかり暮れており月が光源となっています
最初に感じた威圧感は多少薄れた気がしました。そしてなんとなく、この鯨と長い付き合いになるような気がしました
「え、あの…ナガレ、です」
「ナガレか…また明日ここに来い。あとこの事は誰にも公言するな」
「は、はい」
「あと、荷物をまとめておけ」
なんで荷物をまとめる必要があるんでしょう…なんて考えかけてやめました
この短い時間でなんとなく把握できましたが、彼の言うことはすべて決定事項であり相手の意見はそもそも聞いていないのです
非現実を終えて漸く家に帰ることを許された私は、海に戻っていく黒い背中を見送ってから家へと足を向けます
そういえば、あの鯨…イサナさんはおでこが出っ張っており下顎より上顎が前に来ていたので、肉食という予想はあっていたわけです
皆さんが想像するであろう穏やかでのんびり泳ぐ鯨は船底のような形をしており、お腹の方が丸みを帯びていて頭から尻尾にかけて背中は平らなのです。
彼らは髭鯨と呼ばれ、あの巨体でごく小さな生物を髭で海水からこし取って食べます
一方先ほどのイサナさんを含む、よくイラストにされる頭部が丸みを帯びた鯨は肉食であり歯鯨と呼ばれます
深海でダイオウイカという大きなイカと戦う姿を想像される方もいるかもしれませんね
その中でもあれだけ大きいのは肉食の鯨での最大種、マッコウクジラでは無いでしょうか
深海で暮らすことが多い彼らが浅瀬に居るはずなんてなかったのです。特別な事情でもない限り…
大体何かしらの事情で鯨になるって何ですか。どこの絵本なんですか
夢だと思いたくても着信履歴に番号があるんですよねー
星が煌めく夜空が滲んで見える気がします…あはは…あれ、目から汗が…
ちなみに、家に帰って夕御飯を食べていたら電話がかかってきてイサナさんに頼まれたことを完了したと報告が入りました
私の大好きな水族館が電話一本で買収されたようです
…なんだって?
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[mokuji]
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