たかがキスでしょ?

昔読んだ絵本では、蛙になった王子様に口付けると元の姿に戻るらしい

じゃあそれが鯨を殺して、鯨の化け物にかけられた呪いで、鯨になっていても有効なのだろうか

私がお爺ちゃんから譲り受けた水族館を根城に、呪いを解くために日々客を集める館長にそんな話を持ち出せば鼻で笑うかもしれない

物凄くストイックに物事を片付けていく人だから

…ストイックって無理して使いました。難しい言葉ばかり館長は言うんだもの

いや、そんな話は今は関係ない

空想だ絵空事だと言っていたことが現実として降り掛かっているなら、逆にそれがヒントになるかもしれないってのが重要

「まぁだからって、キスごときで物語を終演に導く定番は好きじゃないですけど」

大体都合よく美人がヒロインで、都合よく王子様が通り掛かるだなんて幸運が当たり前のようにあってたまるか

あんなもん、みんな一目惚れ…外見重視じゃないか。

現実はこうだ

潰れかけた水族館を死にかけのじじいが孫に託したら、不安がった従業員が皆逃げた

そしたら海から来た鯨の化け物がここをよこせと乗っ取り、孫は自分の居場所をくれる事を条件に呆気なく明け渡す

そこを城に、海の生物を魔力で人型と化した四角い海の王様は、呪いを解くために客を集め始めた

ただそれだけ。白馬に乗るどころか、本人が鯨だったわ

必死に捜し見つけだした絵本から顔を上げると、大きな影が室内を遮った

こぽりこぽりと気泡が浮かぶガラスの向こう側で、館長がマンタの背に座り、こちらを無機質な目で見つめている

海底みたいに真っ黒な目が若干細められた

彼は普段、一昔前の宇宙服みたいなメットで顔の半分を隠している

メットはフジツボが沢山埋め尽くしていているから、海底で拾ってきたんだろう。適当なものだ

彼は私の前ではそのメットを外し、人間とはかけ離れた顔半分を見せる

私は彼の人間に近づく前の姿を知っているし、隠すのも窮屈で面倒なんだと

バリンと、20cm以上厚みのあるアクリルガラスを巨大な岩のような尻尾が破壊して、海水を飛び散らせながら革靴が部屋に入ってくる

水族館で私の唯一の部屋なのに…

水族館内の水槽は、館長や水族館のメンバーが行き来する通路代わりのため、大体の部屋に繋がっている

館長の魔力のお陰で破壊してもすぐに水槽は直るとはいえ、色々なところを海水まみれにされると困る

「館長、ドアから入ってくださいよ」

「ノックしただろ」

「アクリルガラスを当たり前のように尻尾で破壊することはノックとは言いません」

「なんだこれは」

館長は話を聞く気は無いらしく、私の手元にあった絵本を取り上げる

パラパラと無感動に捲って、ぱたりと閉じ、そして一言

「ふーん」

「嫌な予感」

良いこと思いついた、みたいな顔が、心臓の鼓動を早くする

この人、ろくな事を考えないから

「ナガレ、キスしろ」

ほら来た!

唐突に言われたそれは、館長の中で絶対に絶対に、私がすることが確定していることを示している

「命令ですか」

「ナガレ、逆らっちゃダメだろ?」

「魔力で鯨にされたって原因がわかってるんだから…」

「逆らっちゃダメだろ。」

「…はい」

声が低くなったので、抵抗を諦める。だって恐い

館長に逆らうと、巨大な尻尾が押し潰しにくるからねっ

仕方なしに立ち上がり、私より身長の高い館長の肩に手を置く

キスって強制されるものだったかと思いつつ、背伸びして目を閉じる

唇に当たった柔らかい感触と固いもの。たぶん、鯨の部分の歯が触れたんだ

目を開けると、いつも通りの館長が、ニヤニヤしながら立っていた

「命令されれば、出来るものなんだな?ナガレ」

「……っ」

この人っ!性格さらに悪くなったんじゃないの!

心底楽しそうな館長にクッションを投げつけて、部屋から逃げ出す

あれか、絵本は口実にしましたってことなんだろうか

あの鯨顔が元に戻らなければいいのにと思っていた罰か

だって、お金持ちで顔も良い(性格はあれだけど)館長がなんでこんな水族館にいるかといえば、理由は簡単じゃないか

彼が人間に戻れば、水族館と私は捨てられてしまう

水族館の仲間たちとも、話が出来なくなる

館長が私の世界のすべてを握っているといっても過言ではないから

館長の呪いを解いてあげたいけど、きっと私には無理なことなんだ

例えキスで解ける魔法だったとしても。

昔読んだ絵本では、蛙になった王子様に口付けると元の姿に戻るらしい

じゃあそれが鯨を殺して、鯨の化け物にかけられた呪いで、鯨になっていても有効なのだろうか

その答えは…



☆☆☆
さみしがりヒロインと意地悪な海の王様

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