six | ナノ






 クロはあの子に優しくない。

 あの子がドリンクをみんなに配っているとき、ビブスをチームごとに手渡しているとき、お疲れ様とおれたちに声をかけてくれているとき。焦がれるみたいないとおしそうな目で見るくせに、その態度はそっけない。自分は恋らしい恋をしたことはないけど、それでもなんとなく分かる。好きな人には、優しくするべきじゃないんだろうか。



「優しく、ねえ」
「…クロ、ちょっと冷たいと思う」
「見込みねーのにアイソ振り撒いてどーすんだよ」
「…でも、あの子彼氏いないって言ってたし」
「…彼氏は、な。好きなやつならいんじゃねーの。夜久とか」


 クロがこんな風になったのを今までに見たことはなかったから、多分ハツコイというやつなんだと思う。彼女って言っていいのかもよく分からないような、そういう女の子ならいた気がするけど、そういう、なんとなく恋人の真似事みたいなことしてた女の子とは、一ヶ月続かないのが常だった。
 下手なことは言いたくない。そもそも他人と関わるなんてめんどくさい。でも、クロは友達で、他人じゃない。だから言うだけ。ついでに言うと、おれのお母さんが毎年クロに用意する1カットのケーキを今年も例外なく食べに来て、そして例外なくそのまま居座るクロに、正しくはそのらしくないネガティブさに、いよいよ焦れてきただけ。スマートフォンをいじりながら、さくさくとパズルを解いていく。ある程度考え事をしてても手は器用に動く自分は、ちょっとだけ薄情だ。

 隣にあるトサカ頭の友人はぼんやりとバレー雑誌を眺めている。瞳はころころとせわしない。縦書きの記事だろうと横書きの特集だろうと、読めるはずもない。そんなに気になるなら、嫌でもあの子を引き止めればよかったのに。丸一日オフな今日、うちの正リベロと買い物に行くと言った、ちいさな女の子を。



「あ、」
「………」
「……メール。クロにも届いてるんじゃない?」
「はァ?」


 眉間に皺を寄せておれを一睨みしたのは理不尽だ。クロはすぐに雑誌を閉じて、スマートフォンを取り出した。きっとなんとなく言いたいことが伝わったんだろうけど、それにしたって健気なことだ。これであとすこし臆病じゃなければ、素直になれたら、彼の恋はきっと実るというのに。
 一斉送信で俺とクロに送られてきたメールには、不意をついて撮ったみたいなあの子の写メが添付されていた。普段とは違う服装に身を包み、クレープを食べているその姿は、まあ男なら大体みんな、かわいらしいと思うだろう。差出人はやはりうちの正リベロで、間違いなく今日あの子とふたりで遊んでいる人物だった。


 ちらりとクロを見れば、なんとも言えない表情をしていた。無理もない。自分の誕生日に、好きな子の写真が、他の男から送られてきたのだ。画面の中のあの子の髪は、ゆるく巻かれているみたいだった。どこからどう見てもデートの真っ最中である。
 添えられた本文は「いいかげん告白しろ」。メールの送り主はクロと違って割と中性的な顔立ちをしているし身長はおれより低いくらいだけれど、肝は据わっていて男らしい。対して、瞳を細めてじいっと画面を見るばかりのクロのその情けなさといったら、いつもの主将としての凛々しさは見る影もない。気付かれないよう吐いたため息は、喉でいくつもくすぶった。



 ヴヴヴ、と再びバイブレーションが鳴った。今度はおれにだけ寄越されたようだ。内容は“今どちらの家に居るのか”ということと、“行っていいか”というものだった。黒尾のプレゼント無事買えたから、と続く本文で、ああやっぱり、とパズルのピースがはまったみたいな感覚だった。
 第三者ならなにかの片手間に解けてしまうような、とても単純なパズルだった。「来ていいよ」とメールをして、さて家主なのに寒空の下コンビニにでも行かねばならない自分にすこし身震いをしたけれど、それは今は黙っておくことにする。自分がこんなにも面倒なことに首をつっこめる性格だとは思わなかった。チョコレートでも買って、あの子を連れ出して背中を押した彼と食べようと心に決めた。







 ピンポーン、自分の家のそれの次に聞き慣れたインターフォンが鳴った。この家の主である研磨は「チョコ食べたいからコンビニ行ってくる、留守番よろしく」と言い残して出て行ってしまった。気まぐれな行動はいつものことだ。
 自分は一応部屋着でもなんでもない私服を着ている。他人の家への客に我が物顔で応対するのにのももう慣れた。ただ、新聞の勧誘とかの場合、俺を見るなり頭を下げて去っていくのは、未だに腑に落ちない部分がある。別に構いやしないが。



「あ、く、くろお」
「………は?」
「ごめんね、研磨と遊んでたのに、邪魔、しちゃって…」


 ガチャリとこれまた開け慣れたドアを押した先にいたのは、今日朝起きてからずっと俺の脳内に居座っていたオンナノコだった。ほんのり赤い頬はいじらしい。茶色のダッフルコートがかわいいし、ニット帽もかわいいし、そもそもこいつの私服をちゃんと見たのは初めてで、何もかもがかわいかった。さっきの夜久からの写メを見てくちびるを噛んでいた自分を思い出して、上目遣いをこちらに寄越す目の前のこいつが何故此処にいるのかが、まるで分からなかった。指先が冷える感覚がする。自分は冷え性でもなんでもないはずだから、たぶんどこかの血管が、驚きのあまり血液の循環をサボってでもいるのだろう。


「あの、黒尾、今日誕生日でしょ?だから……あ、ここにいるっていうのは、夜久が研磨に聞いてくれて、っ」


 どさりと、レンガ造りの玄関に紙袋が落ちた。そこで初めてこいつがそんなものを手に持っていたということに気付いたけれど、今はどうでもいい。初めて抱きしめた身体は小さい。なんとなく冷たいのはきっと気のせいじゃなくて、それはなんとなくくやしいような気もした。
 黒尾、と自分の名前を呼ぶそのくちびるも、冷たいのだろうか。自分がどんどん冷静さを欠いていくのが分かる。試合でもこんなに緊張しないだろう。その反面、自分の大好きな声が、この腕の中から聞こえてくるということに、たまらなく興奮していた。


「ど、したの?」
「……今日、夜久とデートしてきたんじゃねえの」
「……そ、れは、黒尾のプレゼント、買いたくて……」
「ふーん」


 「いいかげん告白しろ」という夜久からのメールの意味を、今さらやっと理解したのだ。抱き締めても抵抗しないコイツの反応でなんとなくすべて分かってしまって、いたずらなふたりのキューピッドには心の中で頭を下げた。自分のぬくもりが移るまではこうやっておいて、そしてそれから、きっとそれでも冷たいままのそのくちびるをもらおう。
 気分が内側だけ急上昇する。自分はコイツに愛想が悪いからきっとはた目には分からないだろうけど、今なら一試合20点くらいもぎ取れそうだと本気で考えている。そこでようやく自分が舞い上がりすぎていることに気付いたけれど、鎮める気にもならない。

 そういえば祝いの言葉をまだ聞いていないけれど、俺だって肝心なことは何も言葉にできちゃいないのだから構わない。ただ今はどちらも、ほんの些細なことだ。ずっと好きだったということを伝える手段と時間は、まだもうすこし、残されているのだ。