three | ナノ






酸素が足りないんだ。とても息苦しい。そのことに気付いたのは私の知らない女の子に向かって優しい笑顔を向けているアルバくんを見たときで、自覚したときにはもう溺れていた。地上で息をすることは、酸素を得ることはとても困難なのだと、そのときようやく私は気付いたのだった。


私の席は窓際寄りの後ろの方で、なかなかいいポジションだと言えた。一番後ろだと集配物を集めるのによく歩かされるし、前のほうで先生に絡まれることはないし。お昼ご飯後の眠たい授業中、ぽかぽかの陽気に誘われて眠り込んでいると、突然流行りの音楽が流れて眠りからさまされた。一瞬緊張した空気になったものの、直ぐさまそれは収まる。あわあわと誰が見ても鳴らした犯人だな、と思われる動きをアルバくんがしていたからであった。大方マナーモードにし忘れたのだろう。そのようなタイミングでメールを受信するとは可哀想に。アルバくんのあまりの慌て具合に先生も同情したらしく、軽い注意だけで不問にされた。
授業後に、アルバくんは真っ先にロスくんのところへ駆けていく。


「ロス、お前、わざと俺にメールしただろー!なんだよ『ぷえーっ』って!完全にいたずらメールじゃないか!!」
「ああすいません部長さん。さっき丁度マナーモードが解除されているのが見えたもので」
「悪びれもしない確信犯!!」


仲の良い二人の掛け合いが面白くてつい微笑んでしまう。ロスくんがあんな顔して笑っているのも、アルバくんがいろいろな表情を見せるのも、お互いの前でだけだから、ロスくんが一方的に弄っているように見えても二人は仲良しなんだろう。親友っていいなあ。じっと見つめていると視線に気付いたらしいアルバくんがこっちを向いた。どうしよう、見ていたことをどうやって誤魔化そう。恥ずかしい。さきほどのアルバくんみたいにパニックになっていると、アルバくんは困ったようにへにゃん、と気の抜けた笑顔を私にくれた。うるさくしてごめん ね、と云う意味みたいだ。突然別のほうを向いたアルバくんにロスくんは気分を害したらしく、「デュクシ!!」とお腹に一発決める。


「何すんだよー!!」


という叫び声とともにチャイムが鳴った。


アルバくんは目が合うと、へにゃん、と優しい笑顔をくれる。困ったようにはにかんだ笑顔をいつでもくれる。その笑顔を見ていると、こっちまであったかい気持ちになってしまう。その優しい笑顔を向けられるのは、私だけじゃないって知っているのに、実際その現場を見るとどうしてこんなに悲しくなってしまうんだろう。

休日の駅前。友達と遊ぶ約束をして待ち合わせ場所に向かっていた私はわすれものに気付いて家に取りに帰ろうとしていた。そのとき視界に入ったのが、金髪の髪の長い女の子と並んで歩いているアルバくんの姿だった。わざわざ休日に二人でいるってことは、付き合ってるか、そうでなくても親しい関係なのだろう。その女の子に向けて私のいつも見ている笑顔を見せるアルバくんを見ると、息ができなくなった。まるで水の中にいるときみたいに酸素が足りない。なんでこんなになったのだろうと理由を考えたら、そんなもの一つしかなかった。私はアルバくんのこと、好き、だったんだ。彼女がいるってことを知ってから恋心に気付くなんて、ほんと、馬鹿みたいだ。
地面に座り込む。周りの人が好奇の視線を向けてくるけれどそんなの全く気にならなかった。知らないうちに恋心に溺れていた私がまぬけで、とても恥ずかしかった。それより恥ずかしかったのは、彼女がいるって知っても諦めきれない自分の馬鹿さ加減だった。



諦めようと思っても自分の中ですくすくと育ってしまった恋心はあふれて止まらない。月曜日になって学校に行って、いつもと同じように彼の笑顔を追ってしまう自分にほとほと愛想が尽きた。馬鹿みたいで、粘着質で、いやらしい。席について、ぎゅっとお腹を抱える形で机に突っ伏した。こうすれば目で追いかけることもあるまい。そしてそのまま忘れてしまえばいいのだ、こんな恋心。
チャイムが鳴ってお昼ご飯の時間になった。友達に失恋したことをこっそり打ち明けそうとしたら、全員委員会があって教室からいなくなってしまった。なんてタイミングの悪い。いろいろ余計なことを考えていたら出遅れていて、今更ほかのグループの子に一緒に食べてなんて声がかけづらくなっていた。割と小心者なのである。一日くらい一人でもいいか、と思い、お弁当を持って教室から出ていく。中庭にしようか保健室に行こうか。
あまり人と会話したくないから保健室かな。


「なまえさん、体調悪いの? 保健室まで送っていこうか?」
「あ、アルバくん」
「さっき教室でるとこ見えて、気になっちゃってついてきちゃった。あ、お弁当持とうか?」
「いいよいいよ。一人で行けるし……アルバくんこそお昼大丈夫なの?」
「僕はもう食べちゃったし、ロスも生徒会でいないから一人だし気にしないで」


なんということだろう。体調悪い原因のアルバくんに保健室に送ってもらうことになるなんて!
なお悪いことに、それを嬉しく思っている自分がいるのだ。彼女持ちの人のこと好きで報われるはずないのに。まだ馬鹿な期待をして、心臓をドキドキやかましくして酸素を取り入れる効率を悪くする私は本格的に馬鹿なのだろう。


「気のせいだったら悪いんだけど」
「うん?」
「なまえさん、最近僕のこと見てる?」
「え、ええっ」


突然言われた言葉にお弁当を取り落す。
「あっ」と叫んでアルバくんが拾ってくれたが、受け取ることなんて頭になかった。どうしようバレてた。わざわざ言うってことはよほど不愉快だったんだ。どうしよう。


「それで、本当に勘違いだったら悪いんだけど、なまえさんって僕のこと好きだったりする?」


ハシバミ色をしたまぁるい瞳に見つめられて、緊張感がマックスになって、思わず「うん」って素直に返事をしてしまう。馬鹿な私。もうこれで普通に話すことすらできなくなるのに。けれども私の嫌な予想は、アルバくんの次の言葉で裏切られることとなる。


「本当? 僕もなまえさんのことが好きだから嬉しいな」


そう言って、アルバくんは私の大好きな顔でへにゃん、と笑った。気のせいか、いつもより少しだけ顔が赤かった。それだけで私の心臓は止まる。彼女いたんじゃなかったの、とか、言いたいことは他にもあったけれど。取りあえず今はこの幸福を味わってからいろいろ詳しく聞くとしよう。