three | ナノ






彼はいつだって、私のことを見てくれない。私がここにいることを忘れてるんじゃないかというくらい、私のことを見てくれない。彼の視線はいつだってソニアちゃんを追いかけている。相手にされてないのがわからないのか、わかっていても追いかけてしまうのか。叶う見込みのない恋なんて止めてしまえばいいのに、左右田はばかだ。そして、左右田と同じように叶う見込みのない恋をしている私も、救いようのないばかなのだろう。

「ソニアさん、綺麗だなあ」

私のとなりに座っている左右田は、少し離れたところで田中くんと仲良くおしゃべりをしているソニアちゃんを見つめながら、独り言のように呟く。独り言のようではあるけど、彼のソニアちゃんへの賛辞はいつだって私に同意を求めている。独り言のようではあるけど、私へ話しかけている。内容はソニアちゃんへの賛辞。

「そうだね、ソニアちゃんは女神だよね」
「だろ!?ほんっとお綺麗だよな!」
「はいはい、そうですね」

私は左右田をじっと見つめているというのに、左右田はじっとソニアちゃんを見つめている。ソニアちゃんは確かに綺麗だけど、左右田とは釣り合わないのに。私の方を見てもくれない左右田に、悲しくなってきて、私は机の下でこっそり携帯を開く。マナーモードに設定している携帯の画面には、新着メールのお知らせがひとつ。誰からだろうと受信ボックスを開けば、「大好きな彼と両思いになれる秘伝の薬が今ならたったの5000円」と書かれたメールが届いていた。5000円で買える訳のわからない薬で左右田と両思いになれるのなら、いくらでも買うのに、哀しいかな、世界はそんなに甘くない。超高校級の科学者でも、そんな薬は作れないだろう。薬で手に入れられるほど、薬でどうにかなるほど、人の心は簡単じゃない。はああ、と息を吐き出しながら携帯を閉じた。ぱたりという音がして、そこで左右田はやっと私の方を見た。

「辛気くせぇよ!もっと楽しそうにしろよな、ソニアさんの話してるんだぞ?」
「楽しいのは左右田だけでしょ。左右田の話を一方的に聞いてるだけで、私は楽しくないもん」

べ、と左右田に舌を出す。左右田は「ぶっさいくな顔だな」と言いながら、視線をまたソニアちゃんに向ける。ソニアちゃんと比べたら誰だって不細工になっちゃうよ、と泣きたくなる。左右田の視線の先にいるソニアちゃんは澪田ちゃんと楽しそうに話をしている。

敵うわけ、ない。
あんなにきれいで、優しくて、お金持ちで、嫌みじゃなくて、王女様なんだもん。神様は意地悪だ。どうしてソニアちゃんにこんなにたくさんのものを与えたのだろう。たくさんのものを持った、見た目も中身も素敵な女の子に、私なんかが敵うわけがない。

叶うわけ、ない。
例え5000円の秘伝の薬があったって、左右田はきっと私を好きになってはくれない。左右田のソニアちゃんへの思いは深く熱く一途なのだ。私の視線にも気持ちにも気付いてくれないほどに。だから、私の恋が叶うわけない。

「…予習、しようかな」

考えているうちに悲しくなってきて、予習という道に逃げようとする。予習していれば、この悲しさも消えていくかもしれないと、机に入れていたはずの英語の辞書とノートを取り出そうとして、英語の辞書がないことに気付く。あれ、と思ったのは一瞬。

そういえば、昨日持ち帰ったんだ。

こんなときに限ってわすれものなんてついてない。仕方がないから、辞書を使わなくても出来る部分をやろうかなとペンケースから青いボールペンを取り出す。左右田は「おー、頑張れ」と言うだけ。左右田は頭がいいから予習の必要もないんだろう。予習の必要がないから、ソニアちゃんを見つめていられるのだろう。ノートを広げ、ボールペで文字を書こうとして、青いボールペンのインクがなくなっていたことを思い出す。一昨日、左右田にインクが切れたことを伝え、「ボールペンなんて購買で買ってこいよ」と言われたことも思い出す。何もかもがむなしい。何もかもが悲しい。

「…つーかさ、元気なくね?」
「…別に」
「何が、別に、だよ。ソニアさんを見習え、ソニアさんを!ほら、笑えって」

そうだよね、ソニアちゃんはいつだってきれいに微笑んでるもんね。はあああ、ともう一度ため息。インクのないボールペンを手に、ノートと教科書を見比べる。変なメールは来るし、辞書は忘れるし、ボールペンのインクはないし、英語は難しい、左右田はソニアちゃんに夢中だし、ついてない。泣きそうだ。いっそ泣いてしまおうか。泣けば、左右田は私 のことを心配してくれるだろうか。

「…ったく、なんなんだっつーの。ほら。これやるから元気出せよ」

こつ、と机をなにかで叩く音。泣いてしまおうか悩む私の視界の隅に飛び込んできたのは、青いボールペンだった。左右田が青いボールペンを持ち、こつこつと机を叩いている。私に向けられたその目。ソニアちゃんを見つめていたときの熱っぽさはない。けど、さっきよりもずっと優しい目。

「この間、インクないって言ってたろ。オレ、青いボールペンとかあんま使わねーし、やるよ」
「…わ、私に?」
「ま、オレの使いかけだけどな!ここと、あとこっちを改造してんだぜ!ここにモーターをいれててよォ」

ソニアさんソニアさんと言っていた彼が、私に向かってどこをどう改造したか、楽しげに、誇らしげに話しかけてくる。に、っと犬歯を覗かせながら、左右田が笑う。たったそれだけのことで、泣きそうなくらい嬉しくなる。こうだから、諦められないんだ。ソニアちゃんのことしか眼中にないくせに、時々私に向けて笑うから。敵う見込みなんて、叶う見込みなんて、ないのに。

「世界にひとつしかねーんだぞ、大切にしろよな!」

その一言で、私はあきれるほど簡単に、彼を更に好きになる。