three | ナノ






※中学生設定

 煩わしく感じていた蝉の鳴き声が止んでからどのくらい経っただろう。
 ようやく盛夏も過ぎて、季節は初秋を迎えたばかり。朝晩は冷え込むようになり、頬をくすぐる風も冷たく、日が暮れるのが早くなった。けれども、暑い夏と比べると随分と過ごし易くなったように思う。
 わたしは懐かしさを込めて目を眇めた。自室の窓から覗く澄んだ秋空を視界いっぱいに収める。
 こうして、ふとしたときに空を眺めるようになったのは、一種の癖のようなものだ。幼馴染みで同級生の降矢凰壮くん――彼と離れて暮らすようになってから空を眺める回数が日に日に増していくよ うな気がする。
 小学校を卒業したわたしたちは、中学に進学した。その際にわたしは両親の都合で都内の全寮制の学校に入ることになり、凰壮くんと同じ学校に行くことができなくなってしまった。
 凰壮くんの家族とわたしたちの家族は、すごく仲が良くて、わたしは三つ子の虎太くん、竜持くん、凰壮くんとずっと一緒にいて、でも、一番わたしが傍にいて、一番なついていたのは凰壮くんで。だからこそ、凰壮くんと離れるのは辛くて、悲しかった。
 これからも一緒にいれるものだと思っていたし、それが当たり前だと思っていた。けれども、突き付けられた現実に、それは叶わないことなのだと幼いながらに理解した。
 わたしは緩く息をついた。空から目を逸らして、ローテーブルの上に広げてある日記に目を落とした。
 小学五年の頃から欠かさずに付けている日記帳は三冊目。一年分を書き留めることのできる日記帳は分厚いけれど、それだけの思い出やわたしの気持ちがぎっしり籠められている。
 わたしは青色のボールペンを手に取った。
 擦れて、少し色褪せているそれは、凰壮くんがわたしにプレゼントしてくれたものだ。
 インクだけを取り替えて、幾度も使っているうちに他の文房具よりも使用感が勝ってしまった。
 ペンケースの中では浮いた存在になりつつあるボールペンだけど、わたしにとっては何よりもかけがえのないもので、特別で、大切なものだ。

「早く、会いたい」

 ぽつりと零す。
 今は秋で、数ヶ月もすれば冬が来る。
 そして、冬の先には春がある。
 春休みには両親が海外から帰ってくる。一時的なものだから、春休みが終われば、両親はまた海外に戻ることになるけれど、それでも、懐かしいあの家に帰ることができる。
 とは云っても、帰れるのは学校が指定している休暇のみ。それ以外は一部を除いて、寮から出ることはできないが、指定範囲であれば、事前に外泊の申請をすることにより、寮から出ることが可能ら しい。
 おそらく、春休みや夏休み、冬休みは確実に外泊許可が下りるだろう。許可が下されれば以前のように家に帰ることができる。凰壮くんに会えることができる。
 まだまだ先のことだけど、来年の春が待ち遠しくて仕方ない。
 わたしはボールペンを握り直すと、今日の出来事を日記帳に書き込んでいく。
 大したことのない、何気ない日常の一部が文字になって形になっていく。
 未来のわたしがこの日記を見る日が来るとしたら、これを見て、懐かしいなあと思ったりするのかなと感慨深くなる。
 そうして日記を書き終えた頃。直ぐ傍に置いていた携帯がタイミングよく震えた。マナーモードになっているから着信音は鳴らない。バイブのみが響き、テーブルが僅かに響いた。
 わたしは携帯を手に取った。画面を確認すると、凰壮くんからのメールだった。
 今日はサッカーの練習試合があったらしい。余裕で勝ったと報告してきたメールは、簡素で、愛想も何もないけれど、こうして些細なこともメールしてくれることがすごく嬉しかった。
 わたしは返信メールを打とうと、画面を切り替える。

“早く会いたい”

 そう文字にして、けれど、わたしは小さく笑って、そっと消した。

“勝ったんだ! やっぱり凰壮くんすごいね。凰壮くんのサッカーしてるところ見たかったなあ。今度、試合の話聞かせてね。”

 会えるのはずっと先のことで、こうしてメールや電話をすることしかできないのが酷く歯痒く思ったこともあったけれど、ここにいることで大切なものを見つけられるような気がした。
 でも、それは、わたしの思い込みが生んだ錯覚かもしれない。大切なものなんてないのかもしれない。見つけることなんてできないのかもしれない。
 けれど、来年の春までに、凰壮くんと会える日までに、胸の内に燻る気持ちが何かを知りたいと思うし、出来ることなら大切なものを見つけたいと思う。
 わたしは凰壮くんの姿を脳裏に浮かべながらメールを送信した。送信完了との画面が視界に留まる。
 早く会いたい。凰壮くんに会いたい。
 そう心の中で呟きながら、そっと携帯を手放した。