僕が思う事。Nという人物の人間性について。
Nは完全と不完全を見事に兼ね備えた人間である。何か小難しい数式を与えればするりと紐解く。さらに応用したりしてみせる。それらの教科書というものがあれば一頁余す所なく理解している様である。また意志が堅く確固とした信念で出来上がっている。隅から隅まで教育が行き届いている。これが僕の思う完全なN。学者のような聡明で指導者のように厳格なN。
相対するN。極稀に顕著となる一面。これは幼い子供。誰かの手を借りなければ立ち上がれぬ子供である。きっと肩を押せば転んで、そのまま術を無くしてしまうかもしれない。殴れば泣いてしまうかも。そして撫でれば嬉しげに笑ったり。どこか大事な部分を置いてきてしまったような、僕が思う不完全なN。
結論、Nは純粋であるが故に聡明で居られる人間ではないだろか。
備わった意志にも息を吹きかければ柔軟に思考のベクトルが変わり、新しいものを見せれば太陽のように顔が綻ぶ。そうして自らの思考で吟味する。相対しているようで合致していて、でも一つでは居られない二面性で、奇妙で不安定。だからこそ眩しい位に純朴な、僕はこんな人間見たことがない。
きっと世間から見ればNは異物だ。僕から見たってNは異物だった。だからと言って一人の人間を突き放して良いのだろうか「できそこない」と笑って良いのだろうか。今、親も信念も目的も失って膝を抱えて声を殺す人間を誰が見捨てられるだろうか。
Nは聡明であるNは純粋であるNは完全であるNは不完全であるNはできそこないであるNは僕は
僕はそんな彼を愛おしいと思った。君は一人かもしれない。だけどこれからは一人になんてしない。願わくば笑ってほしい。僕の身勝手な気持ちは彼のぐらつく心に響くのだろうか。

強く抱きしめて、握られた袖口に酷く心が痛んだ。




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