達海猛。その名前を久々に聞いた気がした。世の中とは恐ろしいもので一時期マスコミを独占していたその名前も今となっては記憶の奥底である。あれだけ騒がれていたのにな。ひどい話だ。次の日本代表のエースになるとまで言われた男は突然、海外移籍をし、怪我をしてサッカー人生を終わらせた。国内では裏切り者のレッテルを貼られ海外チームでは戦力外通告。英雄は死んだ。そう思った。なのに、10年後ひょっこり戻ってきた男はまた同じ場所で戦い始めた。未練がましいと思う。目の前で思いきりプレーされて、嫌にならないのか。憎いと思わないのか。35歳なんて現役でまだやれるだろうに。本人はすでに割りきっているようだった。監督としてETUに戻ってきた英雄、達海猛。自分が子供の頃、周りの奴らは皆、この男に憧れていた。達海のような選手になりたい。そう願う子どもは沢山いただろう。そんな中サッカーをやっていて、さらにはETUのジュニアチームにいたにも関わらず、この男になんの憧れもなかった自分。そんな自分が10年経った今現在、彼に魅せられているのだと思うと甚だ可笑しな話だ。


「暖房いれますか」
「うん」

横に座る英雄は視線を窓の外へと流した。


少し前。帰宅しようと車の鍵を差し込んだところで達海猛に呼び止められた。なに帰り?白々しい。なんスか?やー乗せてってくんない?近くのコンビニまで。帰りは?歩いて帰るのかもね。……面倒みてやりますよ。おっ、悪いねー。
意図も簡単に車に乗り込んだこの男。人の気も知らないで。知ってます?俺、アンタに惚れてるって。
最初は気づかない振りをした。ETUにこの男が帰ってきたって今さらなんでもないことだ。選手ではない。まして監督なんてできんのか若いのに、という思いの方が大きかった。期待なんてしていなかった。監督が代わったところでETUは変わらない。そう思った。なのに、魔法にかけられたようにETUは変わっていった。それから、いつの間にか自分も変えられたんだと思う。あるとき俺は目で達海さんを追ってしまっていることに気がついた。


「じゃ、すぐ買ってくるから」


車はコンビニの駐車場に停め、達海さんの帰りを一人待つ。歩く姿は怪我をしているなんて感じさせない。どうしてあの人からサッカーを取り上げてしまったのか神様とやらは残酷だ、なんてらしくないことを考える。そういう運命なのだと云われればそれまでだ。



「外すげーさみーの」

ぶるりと肩を震わせて帰ってきた達海さん。ビニールの中からいそいそと肉まんを出していた。

「あ、車内飲食禁止ってやつ?」

ジッと見入っていたらしい俺に気がついて達海さんは首を傾げたと思ったら、そんなことを訊ねてきた。首を振れば、良かった、と呟き、肉まんを頬張り始める。

「もしかしてお前も食べたかった?プリンまん」

プリンまんだったのか。
いえ、とお断りをして、車を走らせた。








「着いたぜ、達海さん」
「んー、さんきゅーなホント助かった」

クラブハウスに戻ったころには残っている車は少なく、灯りもほとんど消えていた。クラブハウスに住み監督ってどうなんだよ、と思うが本人が良いのなら別に構わないんだろう。

「ほら、これ。一応お礼ってことで」

降りる際に渡されたのは乗車料金なんかじゃなくてチロルチョコ2つだった。

「随分安いスね」
「いらないなら別にいいよ」
「いや、貰っておきます」


手に落とされたチョコレートを危うく回収されそうになって慌てて中身を握った。ニヒヒ、と笑った達海さんはドアを開けて出ていく。じゃあまたね。なんて。


「達海さん、」

窓を下ろして声をかけると歩き始めていた達海さんはくるりと振り返って立ち止まった。

「なに?」
「また、いつでもどうぞ」
「いいの?」
「まぁ」
「んじゃまたよろしくねー」


ひらりと手を振ってすでに達海さんはクラブハウスに向かってしまった。らしくない。もう一度自分自身に言う。言いたいことはズバッと言う方だと思っていたのに。
達海さんを前に、言いたいことの半分も言えやしない。好きです。とか、貴方に惚れてます。とか、いろいろある。いろいろ。今はまだ次を約束するだけで精一杯なんて。約束にすらなっていないのかもしれないが。女々しすぎるだろ。馬鹿みたいだ。はぁ、と1つこれまたらしくないため息を吐いて貰ったチョコレート一粒を口に入れた。




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