「早く兼さんに会いたいなぁ……」
洗濯盥に両腕を突っ込み着物を擦り洗いしていた堀川国広が、ふと青空を見上げてポツリと呟いた。歌仙は洗い終わった衣服――この変わった下着は主のものだ――をぎゅうと絞りながら思わず苦笑する。
「すまないね、僕しか居なくて」
「あ、ごめんなさい。そういうつもりで言った訳じゃ……」
堀川が慌てて首を振る。ほとんど無意識だったのだろう、彼は人としての生を受けて以来毎日のように同じことを繰り返していたので、歌仙も最早慣れたものだ。
「和泉守兼定……だったか?歌仙の親戚みたいなもんなのか?」
同じく盥の中でジャブジャブと着物を濯いでいた審神者が歌仙に問い掛けた。
歌仙達よりよっぽど人間としての生が長い筈の審神者だが、洗濯の手際は三人の中で一番拙い。庭に用意された洗濯盥を睨みながら、審神者が「洗濯くらい現代式でいいじゃないか」とぶつくさ文句を言っていたのを歌仙は目撃したことがある。どうやら彼の時代にはもっと便利な洗濯の方法が確立しているらしかったが、現代に慣れぬ刀剣達を気遣ってかこの本丸には適用されなかったようだ。
「まあ、そういうことになるのかもしれないけれど……僕はその和泉守という刀に会ったことはないね」
「それじゃ実質、他人みたいなもんか。堀川とは主が同じだったんだろ?」
「うん、そんなに長い間じゃなかったけど……」
堀川が微かに俯く。しかしすぐにパッと顔を上げると、和泉守兼定のどこが素晴らしい、格好良いと並べ始めた。うんうんと頷いて堀川の話を聞いてやりながら、審神者が少しだけ済まなそうに眉根を寄せたのに歌仙は気付く。
「……絶対に会わせてやるからな、その刀にも」
「はい!……でも」
洗濯済みの衣服を積み上げる手を止めて、堀川がはにかむように笑んだ。
「こうやって、兼さんを待っている時間も僕は好きなんだ」
「早く会いたいんじゃないのか?」
「勿論すぐにでも会いたいけど……一緒に居た頃は僕達、ただの刀だったから。こうやって人の身体を貰って初めて、兼さんって凄いんだなあ、兼さんに会いたいなあって思うことが出来るようになったんだ」
ぱちゃ、と堀川の指が水を弾く。
「誰かを想って、誰かを待つことが出来るって、こんなに幸せなことだったんだなって思うんだ。だから主さんにはすごく感謝してるよ。僕達を人にしてくれてありがとう」
「堀川……」
「それじゃ僕、これ干してくるね!」
衣服の山を抱えて堀川がさっと立ち上がった。軽快に駆けていく彼の姿を、審神者は黙ったまま見つめている。歌仙はまた一枚洗い終わった着物を絞ってから、ひょいと審神者を覗き込んだ。
「君、少し感動しただろう」
「んー……」
審神者が肯定とも否定ともつかぬ声を上げる。ばしゃばしゃと乱雑に盥の水を掻き回しながら、審神者はぼそりと呟いた。
「……刀を人にすることで、お前達にどんな感情を与えることになるんだろうと、ずっと考えていた」
歌仙は黙ったまま審神者の声に耳を傾ける。
「ただの刀であれば覚えずに済んだ感情を、徒にお前達に与えているんじゃないかと」
「……」
「感謝されるなんて、思ってもみなかったな」
庭に水音が響く。時折、遠くの方から子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。歌仙と審神者は盥を囲みながら、九人分の着物を洗い続ける。
「……お前は、誰か会いたい奴とかいないのか」
恐らくずっと躊躇していたのだろう、随分と間を空けて審神者が訊ねた。
「僕は特にいないかなぁ。堀川くんほど敬愛する者もいないし」
「そうか……」
「心配せずとも、僕は今の自分に満足しているよ」
ふふ、と笑ってみせると審神者が驚いたように顔を上げた。この主にはどうも自分達に妙な気を遣うところがあるようで、時折ふと思い詰めたような表情を浮かべるのだ。その殆どが、傷を負って帰還した歌仙を手入れする時であるが。
「僕は、そうだね……この身体を得て、月を眺めることも、花の香りを感じることも、流れる川のせせらぎに耳を傾けることもできるようになった」
審神者が歌仙の顔を見つめ、先を促すようにゆっくりと瞬きする。歌仙は掌を水から引き上げて日に翳してみた。シャボン玉が一つ、ふわりと宙に舞う。
「僕はよく先人の和歌を読むのだけど……きっと刀でしかなかった頃の僕なら、詠み人の気持ちなんて全く理解できなかっただろう。こうして」
歌仙は止まったままの審神者の手を緩く握る。
「触れると温かくて、脈打っている感覚だって、人の姿にならなければ知ることができなかったのだからね」
だから僕も君に感謝しているよ。歌仙がそう笑ってみせると、審神者は暫し握られた手を見つめてから、ぎこちない様子で僅かにその手を握り返した。
「……そうか」
よかった、そう呟いて審神者は表情を緩ませた。それからじわじわと目元が赤く染まっていく。サッと放された手を慌てて盥に突っ込みながら、歌仙は自分の頬も同じように熱を持っていくのを感じていた。
「……堀川君は、すごいね」
「……そうだな」
表情一つ変えずに自分の想いを伝えることが出来るのだから。手が泡だらけである所為で顔を隠すこともできない二人は、照れくささを日に晒したまま再び洗濯に取り掛かった。


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