「ただいま戻りました!」 はきはきとした爽やかな声が飛び込んできたので手元の書類から顔を上げると、短刀たちを引き連れた堀川国広が縁側の向うから輝くような笑顔を此方へ向けていた。 「おう、お疲れさん」 大事なかったか、と訊ねながら審神者が腰を上げると、堀川の背後からわらわらと短刀たちが駆け寄って来ては「ただいま戻りました」と個々に声を上げる。おかえり、と順番に彼らの頭を撫でていく審神者を微笑ましく見つめながら、堀川は資材の詰まった袋を差し出した。 「うん、今日もみんな元気だったよ。はいこれ、道中で見つけました」 「ん、ありがとな。今日はもう出陣の予定もないから、夕飯まで好きに休んでいてくれ……ああ、でも」 審神者が一瞬言いよどむと、堀川は分かっていると言うように頷いてにこっと笑みを浮かべた。 「僕はまだまだ元気だから、料理のお手伝いしてくるよ。歌仙さん一人じゃ大変だろうし」 「お前が来てくれて本当によかった。助かるよ、堀川」 「えへへ……それじゃあみんな、部屋に戻ろうか」 照れたように微笑んでから短刀たちを誘導しながら去っていく堀川を、審神者は感じ入った様子で見送る。 堀川国広がこの本丸にやってきたのは、まだほんの数週間前のことである。そもそも審神者がここで生活を始めたのが数ヶ月前のことなので、堀川のいない生活はそう長くはなかったのだが、それでも数週間前までの本丸を思い返すと彼の訪れはとても有難いものであった。審神者にとっても――また、歌仙兼定にとっても。
審神者がこの職に就任して以来ずっと近侍を務める歌仙兼定は、同時に審神者が憑依――または、神懸りとでも言うべきか――させた、初めての刀剣でもあった。まだ審神者としても未熟な自分が、互いに支え合い共に戦うべき相棒のような存在。 とはいえ彼には、あまりにも苦労をかけ過ぎたという意識がある。何しろ此処では資材も人材も、審神者の経験すらも不足しているのだ。まともな刀装すら持たせてやれず、一人で戦場に駆り出されるのだから、出陣する度に歌仙が満身創痍で戻ってくるのも当然と言えば当然であった。 そんな調子だったから、「刀剣を増やそうと思う」と審神者が提案した時の歌仙の同意の言葉に、安堵の色が滲んでいたのも気の所為ではなかったのだろうと思う。刀剣が増えれば単純に戦力が上がるし、きっと歌仙の負担も大幅に減る。審神者も歌仙もそう考えていた。 続けざまに打ち上がった刀が、全て短刀だったのを見るまでは。
「あるじさま……」 夕暮れの日差しが眩しくて締め切っていた障子の向うから、控えめな呼びかけが聞こえた。 するりと開いた障子の隙間から、まず部屋に飛び込んできたのは白い虎の子。それが次から次へと、五匹。 「ああっ、ごめんなさい!!」 続いて慌てた少年の声が聞こえ、漸く声の主――五虎退が顔を覗かせた。審神者の部屋を駆け回り、審神者の着物の袖にじゃれつきはじめた虎たちを何とか集めようと必死だ。 「虎さん、ダメだよ!主様の部屋で暴れたら……!」 「ああ気にしないでいい、大丈夫だから!」 一匹捕まえては腕の隙間からするりと一匹逃げる、と数回繰り返して涙声になり始めた五虎退を引き留めて、審神者は虎の収集を手伝ってやる。審神者の長い腕でかき集められた虎たちは、今にも泣きだしてしまいそうな主と対照的に遊んでもらっているかのように審神者の指を甘噛みし始める。 「どうした?何か用か?」 泣くな泣くなと頭を撫でまわしながら審神者が訊ねると、五虎退はごしごしと涙を拭き取ってから顔を上げた。この癖があるからか、彼の透き通るように白い肌はいつでも目元だけが赤く色付いている。 「あの、もうすぐお夕飯だよって、歌仙さんが……」 「あるじさまーっ!!」 先程より幾分か無遠慮なスパーンという音を立てて障子が開いたかと思うと、審神者の背中にどん、と衝撃が走った。虎と五虎退を押し潰さぬように何とか耐えた審神者の背中に、こちらも色の白い、しかし五虎退と大きく印象の違う少年が張り付いている。 「今剣……」 「かせんさんが、ゆうはんだからしゅうごうーっていってましたよ!ぼく、おなかすきました!」 どうやら歌仙が放った二人目の使者らしい。食卓でじりじり審神者を待つ短刀たちを思い浮かべて、審神者は今剣を背負ったままどっこいしょと立ち上がった。虎たちがわらわらと肩によじ登り始めたので、空いた左手で五虎退の手を握る。 「それじゃ夕餉にしようか。あんまり遅いと歌仙が怒るからなぁ」
刀の種類によって人となった時の姿が変わると言われれば、なるほど確かに理に適っているように感じる。しかし刀剣を人の姿にしたことなど一度しかない審神者がその理屈を知っている筈がないし、知っていたのならもう少し考えてから新しい刀を拵えただろうと思う。 そう、歌仙の負担を減らすべく打ち上げられた二振りの刀こそ、この五虎退と今剣であった。憑依して人の姿になった二人を見た時の、やってしまった、という思いは恐らく歌仙も感じていたのではないか。どちらも素直な良い刀ではあったが、何分 彼らは幼かったのだ。 かくして次第に鍛刀のコツを掴んでいった審神者が、数週間前に漸く『堀川国広』というしっかり者の脇差を鍛え上げるまで、歌仙はどんどん増えていく短刀たちの引率 兼 子守りを任されることになったのだった。 「かせんさん、ぼくのおかずににんじんいれないでくれたかなー」 「す、好き嫌いすると怒られちゃいますよぉ……」 歌仙が何故だか母親のような役目を与えられやすいのは、きっとその名残であろう。
「歌仙」 「やあ、主。まだ起きていたのかい」 しんとした夜の空気が、歌仙が微笑むと少しだけ揺れるようだった。縁側に腰掛けて月を眺めていたらしい。審神者を見上げる歌仙の藤色の髪は、月光を浴びてぼんやりと輝いている。 「君も月見かな」 「俺は風流はよく分からん」 現代っ子だからな、と独り言ちながら審神者は歌仙の隣に腰掛けた。文系であることを誇りに思っているらしい歌仙は出会った当初から雅さや風流を主張してきたが、現代――2205年を生きる審神者にとってそれはなかなか難しい感覚であったし、歌仙も特に強要する気はないようなので審神者はすっぱりと風流に対する理解を諦めてしまっていた。政府から渡された資料を見るに歌仙兼定は室町時代に打ち上げられた刀で、人となった彼もどうやらその時代に準じているらしい。 遠いな、と思う。それは審神者と歌仙とがそれぞれ過ごしてきた時間であったり、人と刀という存在の違いであったり。こうしてすぐ隣に腰掛け、同じように月を眺めるこの男は、きっと自分には到底理解の及ばぬ様々な想いを抱えているのだろう。 しかし、だ。例えば「自分のような未熟な審神者に仕える気持ちはどうだ」とか、「前の主である細川忠興に、まだ未練はあるのか」だとか――そういった赤裸々なことを訊ねる機会がもしあったとしたのなら。審神者はその機会を、先の短刀パニックによって完全に逃してしまっていた。腹を割って話し合う暇もなく、慌ただしい子守りに不慣れな家事、出陣、遠征と怒涛の日々を過ごす内、否応にも全力で支え合わぬわけにはいかなかった二人の間には、いつの間にやら信頼感が生まれていたのである。それはあまりに漠然とした、得も言われぬ、としか言い様のないものだったが。 きっと今更、歌仙がどのような想いを腹に秘めていたとして、そしてそれを吐露されたとして、審神者が彼を疎むことはできないのだろう。 それが審神者としての強みなのか弱みなのかは難しいところだが。 「……ま、とにかく。今日もお疲れさま」 「おや、わざわざ労いに来てくれたのかい」 「お前にはずっと苦労させてしまっているからなぁ」 「僕は刀だよ。主に尽くすのが本分というものさ」 ふふ、と歌仙が笑みを零した。 「とは言え、ゆっくり季節を楽しむ余裕もないのはあまり雅じゃないけどね。だからこうして皆が寝静まってから、静かに月を眺めるのが楽しみなんだ」 「風邪引かないようにな……風邪、引くのかな?お前たちって」 「さあ、どうだろうねぇ……」 未知だなあ、と審神者が呟くと、未知だねえ、と歌仙が繰り返す。それから二人は顔を見合わせて、揃って小さな笑い声を上げた。遠く不明瞭な距離の中で、確かに同じものを感じている。不可解としか言いようのないその感覚が、何故だか酷く心地良かった。
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