四華




「母さん」

「まあ、ユイ。…どうしました?」

「……これ、縫い直して欲しいんだけどよ」

「あら、まあ」



珍しく両親の寝室に訪れた息子に、母であるワカナはあら、と首を伸ばした。

普段あまりユイは両親の寝室には顔を出さなく、何か特別に用が無い限り彼は顔を出さない。ベッドの上に座り、本を読むワカナは珍しさのあまり読んでいた本を閉じた。かくして珍しく訪問したユイの用事とは何だろう、と思考を巡らせ始める前にユイは手に持っていた“それ”を母親へと手渡した。

手渡されたそれを見たワカナはまた「あらあら」と言葉を漏らし、深い蒼色の瞳でユイを見やる。無残にも千切れた箇所が多数、中の綿が遠慮無く飛び出したコダックのヌイグルミを持つ母親を前に、どうにもユイは居心地悪そうな感じだ。



「……言っとくけど、俺じゃないから」

「あら、ユイ。そんな事はわかっています」



アヤもよく過激に遊ぶようになりましたね。

などと何の責め立てた言葉無く母親は言った。それよりも我が子の成長を微笑ましくも感じているようだ。腰よりも長い、絹のような髪を毛先で束ねただけのそれは、サラリと薄い茶色がベッドの上で流れる。服の間から見える白い肌はユイが今まで見た人間の誰よりも綺麗な色をしていた。

そう、この母親は、作り物のように出来上がった容姿をしているのだ。

本当にこんなのが自分の母親なのかとつい最近、…いや、随分前からユイはこっそり思っていたりするのだが。

人形のように整った顔立ちは白く、頬はとてもじゃないが滑らかな質。肌も同様に白く滑らかであり、また指や腕と言った細かなパーツは作り物のように出来上がっている。それらを引き立たせるように絹のような長く薄い栗色の髪の間からは、深い深い空と海色の蒼一色の瞳が覗いている。眠っている時なんか死んでいるんじゃないかと不安になるくらいだ。

本当に本当に、綺麗な人で、人形みたいな母親だった。

そして何より、



「……今日、体調は?」

「うん?ええ、いつもよりは」

「……そか、」



母親は、病弱だった。

その異様な肌の白さが影響してか体はとてもじゃないが弱く、そして脆い。例を上げるなら長時間歩くと喘息のように激しく咳き込み、そして時折過呼吸にも陥る。熱にも弱く熱中症や脱水症状を引き起こしやすい上に貧血気味と来た。すぐに倒れるし風邪なんて頻繁に引くときた。

そして何よりも重症なのは心臓が悪いという事。
結論から言って、この母親の身体の構成組織は著しく乏しいという事である。理由は、まあ子供…生まれた時から、らしい。

そんな母の体調を眺めるユイに、不意に「よいしょ」とベッドから降りるワカナを見てハッとする。棚からズルズルと引きずるようにしてズシリと木製の箱を抱えるワカナに、ユイはらしくもなく慌てた。



「かっ…母さん!俺出すって…!」

「あらユイ、これくらいは一人で大丈夫ですよ」



箱…裁縫箱をベッドへと置いたワカナは何でもないかのように言い切る。そんな母親にユイは虫を噛み潰したように苦い顔をしている事には気付かない。 

もしも、もしもである。こんな小さな事でも万が一体調が悪くなったり失神でもしたら、見ているこちらも心臓に悪いし。ましてやあのふざけた父親が核ミサイルのように飛んでくる事は必須。間違いない。その時八つ当たりのようにユイに絡んで来てはちょっかいを出すのだ。腹立つからやめて欲しいが絶対止めないあのオヤジ。



「ユイ?」



段々と眉間の皺が濃くなり始めていたユイに、ワカナは首を傾げる。見上げた先には既に千切れたぬいぐるみにチクチクと糸を通している母親の姿。

…何だかむしゃくしゃしてきた。



「はい」

「は?」



思考が両断されたとは正にこの事だろう。

突如渡されたのは、糸が解れたアヤの洋服のボタン。ご丁寧に針に糸が通した状態で手渡された。勢いで受け取ってしまったそれに、ユイはよく状況が掴めていない顔で母親の顔を交互に見詰める。(眉間に皺が寄るのを感じた)

ニコ、とワカナは目を細めた。



「…………母さん?」

「アヤ、ボタン取れてしまったらしいの」

「……だから?」

「直しといてくださる?お母さん、こっち直しますから」

「いや、俺、針なんて握った事ないんだけど」

「では、ユイ。今から握りましょう。大丈夫、コツを掴めばお茶の子さいさいですよ」



四華繚乱

大丈夫、そう言いや

大丈夫、そう言いや

これからは浮き沈もでも

目に学ぶ事はあれ

全てそれは学ぶ知にあり






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