一華




―――――――♪、


ゆらり、それは揺れる。

緑が深い森の中で、小さく声を紡ぐようにただ歌う女が居た。
芝生の上に無造作に座り込み、風に揺れる木々や葉の音に耳を傾けながら心地好い風の具合に女は若干左右に揺れる。女の手には、まだ生まれて間もない赤子が腕に抱かれ、寝付けるように歌に合わせてリズムよく小さな背を叩いていた。

サワサワと葉と葉が触れ合う音と一緒に、女の色素の薄い栗色の髪が風に流れる。



「やう眠る

妾の子

いつその眼を開ける

はよう妾を写しよ

世界はこんなにも美しい」



女は流れるように紡ぐ。

そんな静かに揺らぐ女を他所に、森に住む野生の獣達はただ女を遠くからじっと見ていた。害は無いと既に知っているのだろう。彼らもその女に何も危害を加えられないのなら、と彼らも女には何もしなかった。多くの獣達の中には静かに女の声を聞いている獣も居るが。

そしていつの間にかミツハニーとポポッコが茂みからフラりと現れ、女の傍らに寄っていく。そっと女の隣に座り込むポポッコに、ポポッコの頭上にて羽を休めるこの二匹はどうやら女のポケモンであるらしい。ただ何をする訳でもなく女の隣に居た。

その時、女の声が何の前触れも無く不自然にピタリと止まる。


ザワリ、と森が殺気だった。


野生の獣…数居るポケモン達は空気が変わったそれに当然、素早く警戒体制を取るがそれよりも早く、何かが地面を這うように通り抜けた。この森には異質と見て取れるポケモン。彼らの世界で言う“余所者”である。それに気付いた野生であるコロトックが森の仲間達に向けて声を張り上げる。

それは、女に向けても張り上げられていた。

ザザザザッ、と芝生と茂みを長い身体を捻らせながら突進していくように向かう先は、背を向る女。森への侵入者はアーボックだった。彼の標的は何の理由があってか知らないが赤子を抱いた女で、またはその女が抱いている赤子が標的か。殺意と何かの意思を企てたそれは女へとスピードを持って突進して行く。

ハッとしたポポッコとミツハニーは直ぐに飛び上がり、女に害をもたらすと判断したであろう二匹は女の前へと立ちはだかる。すると尻尾で地面を弾いたアーボックは反動により二匹の間を縫い、女の目の前へと迫って行く。牙を剥き出しにして大口を開いたそれには、毒液と見られる液体が溢れ出していた。



ブシャッ!!



――――女の命を少なからず絶とうとしていたアーボックに、木々を縫い茂みを勢い良く飛び出した黒い毛並みの獣が女への接近を封じる。アーボックの喉笛に牙を突き立てたのはレントラーだ。暴れるそれを前足で踏みつけ、喉笛を噛み千切ればビクビクと痙攣したまま動かなくなった。生温かな液体がレントラーの口元を汚す。



「おいおい、そいつァ俺の女だ。人のもんに勝手に触れちゃあいけねぇよ」



――――と、低くもあり小さく笑みを含んだ笑い声が空気を揺さぶった。

女がその声に反応して顔を上げれば、それは現れる。木々をかき分け、今度は着流しを羽織った男がフラりと姿を現した。ザクザクと芝生を歩き、女の傍まで寄ると声をかけた。



「旦那様、」

「怪我ァねぇかいワカナ?」

「はい。………それは?」

「これか?いつものヤツだ。そのアーボックもこいつのポケモンだろ」



女が「それ」と問うものは男が右手に持っている…否、無造作に引きずっているものであった。右手にはボロボロになった研究員らしき男の襟を掴んで引きずり、頭から血を流している。既に意識のない男を、また飄々とする男は何でも無いかのように言った。

男は傍らに寄るレントラーと、既に息絶えたアーボックを交互に見る。既に空は夕暮れ、橙色の光が森の中を照らしていた。逆光を受ける男の黒い髪が風に揺れ赤い瞳が鈍く浮かび上がり、浮いて見えた。



「レントラー、すまねぇがまた頼まれてくれるかい」

「ガウ、」

「こいつら、海に捨て置け」



なぁに、こいつら犯罪者だから別に息絶えても構いやしねェさ。


男はそう事も無げに言い放った。



「にしてもアヤはまだ寝てんのかい」

「ええ。まだ、生まれて日も浅いですからね…」

「ふぅん?ま、帰るぞワカナ。これ以上遅れるとユイがまた機嫌悪くなっちまうからなぁ」

「はい、旦那様」

「ほら、おめぇらも早く来い」



レントラーが一人と一匹を軽々引きずって行くのを見送り、男は女の手を引いて立たせると当然とばかりに肩を抱く。
歩き出す二人をその場で惚けるように見ていたポポッコとミツハニーは、男に声をかけられハッとして急いで歩き出した。



ユラリと二人は森の奥へと姿を眩ませた。



一華繚乱

やう眠る

妾の子

いつその眼を開ける

はよう妾を写しよ

世界はこんなにも美しい




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