四十華
白という色は、ほんの僅かでも汚染されればそれは
少しずつ濃くなり、
留まる事を知らないかのように、
広がっていく。
そして気付いた時には
黒に、美しく、染まる。
後戻り出来ないかのように。
白に戻すことは、とても難しいのだ。
一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と月日は流れて、それは半年を迎えた頃だった。
「ぅぅぅ…っっ!げボッ、ぇぇぇ……」
びしゃ、びしゃ。
吐瀉物を床に吐き散らす。胃に入った物は受け付けない。入ってもいなくても胃液を吐く。吐く。吐く。それは己の何かを吐き出すように。体の中の悪意ある何かを吐き出すように。
ユイは、ほぼ自室に閉じ篭っていた。
出歩かないし、極力人を避ける。あれだけ身の回りの世話をしてきたルカリオも、自分の手持ちのルクシオも、アヤも。他人を拒否していた。喋りたくない。話を聞きたくもない。顔も見たくない。会いたくもない。関わらないで欲しい。ひたすらユイの中で黒くぐるぐる回って、ひしめきあっている。
ユイが通っていた学校は随分前にルカリオが本家の者にお願いをして、体調が頗る良くない為長期休ませて欲しい。学校に伝えて欲しいと頼んだ。そうすれば当然ながら担任からすぐに連絡が来て、何があった、お見舞いだけでもという頼みもユイがこんな状態では合わせるのも危険だ。
そしてすぐに学校の友人からもユイに連絡がくる。「どうした、何かあったのかい」「具合が悪いの?大丈夫?」「三人でお見舞いに行くよ」なんて連絡がくる。冗談じゃない。メールも全て無視していると遂には電話が鳴った。何度も、何度も。何度も何度も何度も何度も。
その騒音ですら聞きたくなくて、電源を落とした。
自分以外の声を聞きたくない。
話をしたくない。
喋りたくない。
会いたくない。
関わるな。
関わらないでくれ。
関わるな関わるな関わるな!
放っておいてくれ!!
「にー」
「……」
「にー?いたい、いたいのー?」
「……」
「ごはんもってきたよー」
トントン、と扉を叩く音。まだ幼すぎる妹は気を遣っているのか扉は開けない。開けようとしても絶対に開かないが。
トントン、トントン。何度か叩く。それでもユイからの返事がない為、むくれた声が向こうから聞こえる。
「ここ、おくの!にー、うーんと、たべてね!たべたら、アヤときょーそー!よ!」
やくそく、よ。
とたとた、と小さな足音が去っていく。
何故、放っておいてくれない。
遊ぶ?なぜ?何のために?
アヤのため?
誰が得をする。
アヤだけ得をする。
自分は何も得をしない。
不公平。
なぜアヤだけ。
「………うっっぜぇ……」
散らかった部屋。
自分が吐き散らかしたものを雑にティッシュで拭き取ると、それを乱暴にゴミ箱へと投げつけた。
べシャリ、と音を立てて。
*****
崩れる岩壁。
迫る濁流。
「……すまねぇな。何だか、これから先にゃあ、お前一人に重荷を背負わしちまうことに、なるな」
血で濡れた父親。
「──母さんと、アヤを頼むな。ユイ」
父親をその場に置いて、逃げる自分。
父目掛けて落ちる岩。全てを飲み込む濁流。
ポタ。ポタ。ポタ。
広がる。
染まる。
少しずつ。
ベッドに横たわる母親。
「お兄ちゃんなんだから、アヤを守ってあげてくださいね」
血と、膿に塗れる母。
ぽた、ぽた、ぽた。
白に、垂れる一滴の黒の雫。
少しずつ、少しずつ。
「約束、よ」
衰弱し、腐敗し、崩れていくーー母の姿。
「「────や く そ く」」
ぽた、
「──……ねぇ、何で、母さんを助けてくれなかったの」
あなたは、わたしのむすこなのに。
あの時のベッドで死んだ母が、じっとユイを見ながら口を開いた。
「ーーー〜〜ッッッぁぁぁぁ!!??母さっ……!」
飛び起きた。ゼェゼェと呼吸を乱しながらベッドから転げ落ちる。
視線を上げる。部屋。自分の。自分の部屋。ギョロギョロと視線を四方八方にさ迷わせながら。
「寝てっ──ゆ、めーッッうぶっ…が、ァァッ…」
吐く。気持ち悪い。苦しい。何だ今のは。夢。夢?だとしたら、なんて、悪趣味なーー。
震える手で床を這って、机の上に置いてあるペットボトルに手を伸ばした。キャップを捻ろうとしても上手くいかない。力が、入らない。
やっとの思いで水を口に含んだ頃。
ユイは霞んだ視界の中に何かを見た。
そしてそれはゆっくりと、ゆっくりと形をなす頃には、目の前にあった。
バシャッ、とペットボトルはひっくり返る。中の水が床に流れていく。
「…………っ……ッッ…はっ、はっ、はっ、は、…!!!?」
何だ、何だ、何だ。息が切れる。上手い呼吸の仕方が、わからない。
ヒトの形を形成した何かは、自分の見覚えある人になり、そして───。
「────。 かあ、さ」
消えた。
この日を境に、幻聴と幻覚を視るようになる。
じわじわ、じわじわ
じわじわ、じわじわ
じわじわ、じわじわ
暗くて底のない小さな小さな穴に
追い詰められていく
心
四十華