三十二華



『ハァッハァッハァッ…!』

「……っ…!!」


ガラガラガラッッ……

ドオオオォォンッッ…
ドオオオオオオンッッ……


「(…、ち、じょう)」


地上。
あの洞窟内でも、何でもない。地上。
崩れる巨岩の中、ルカリオはワカナと、ユイとアヤを背負って跳び続けた。洞窟が崩壊し、海の中に沈むのも時間の問題だった為、全速力で走り続けた。それも研究員が周辺を彷徨いていないか波動を使って調べあげ、三人を背負って長時間足場の悪い洞窟内を抜け、一番安全な場所まで転がり込むまで走り続けたのであった。それは家の近くの裏側の砂浜だ。

ルカリオは周囲の安全に気を配りながらワカナと、ユイを慎重に降ろした。ユイもアヤの様子を見るが、何故かまだ寝ていられる我が妹に呆れを通り越して怒りが込み上げてくる。…まあ、怒る気力も無いのだが。


「………」


実感が持てない。

未だに激しい音を立てながら崩壊する大きな洞窟。その一番奥底には、自分の父親────。


「────」


置いてきて、しまった。

「───すまねぇ」


「っ……ーぅっ……ー!!」


崩れる洞窟。


「ちゃあんと、飯食えよ」


吐きそうだった。


「がっ……かっ…」


「…なんつー顔してんだ」


「…………か、は、」


崩れる洞窟。

父親、

沈む、

崩れ、

父親の顔

浸水して、

血、

親父、

浸水して、

また崩れて、

沈、む、

置いてきて、


置き去り、


自分、が


『ユイ君』

「────!!?ッッハァッ!!ハァッ!!」


気づけば、頭をルカリオに包まれていた。

暖かな、光だ。波動。


「はっ…はっ…あ、おとげ」

『はい。青棘です。ユイ君、いいですか。今は、その事から、今考えた事から暫く離れなさい。貴方が持たない』

「はっ…むり、だろ…つい数時間前の、」

『それでも』

「数時間前…のことだろ…」

『それでも、なのです』


ユイは、疲弊仕切っていた。
それは、ユイだけではない。勿論、この場にいる全員だ。…たった一名を除いて、だが。

暖かな温もりに包まれた、大きな手が頭から退いた時だった。


「ぁぁぁ…」


聞いたこともないような声が、


「ああ…」


針のように響き渡ったのは。


「ああぁぁぁあああぁぁッッ!!!!!」

「!!?」

『………』


───ワカナが、母が、聞いたこともないような、最早悲鳴とも呼べるような声で絶叫した。


「なんで!!!なんでよぉぉぉ!!!」

「かあ…」

「なんでっ…!!」

「母さん、」


ボロボロと、泣き続けている。


「私はっ…ただっ!幸せが!今までのような何でもない日が続けばいいと!!ただそれだけを望んでいただけなのにッッ!!!!!」

「……」

「なのに!!」


今まで見たことのないような顔で、自分達に見せたことのない顔で、母は叫んでいた。


「なんで!!なんであの人を私からっ…!!奪うのよおおおおッッ!!!」

『………』


青棘は、俯いてしまった。声をかける術が、見つからなかった。
下手な慰めなぞ、かえって虚しくなる。怒りだけが残る。取り返しのつかない事になれば、人格さえも変わってしまう。


「全てだった!!あの人だけが全てだったのに!!!私には!!何も残されていないッッ!!!」


その顔は、瞳は、悲しさに溢れていた。


「かあ、さん」

「こんな汚れた、埃にまみれた得体の知れない身体でも!!あの人はいいと!!許して愛してくれたのにっ!!」


その喉の奥から絞る声は、悔しさと惨めな気持ちで溢れていた。


「母さん」

「なぜ…なぜ、私だけ…!なぜ私だけがこんなにも辛い!!こんなにも苦しい!!?なんでなんでなんでなんでっっ」


その溢れた涙は、憎悪と、憎しみと、恨みで濁っていた。


「母さん、」

「そんなにっ…そんなに人と同じ幸せを送ってはいけないの!!?化け物の私にはっ…真っ当な幸せすら許してはくれないの!!!??」

「母さん!!!」


ひたすら吠え続ける涙と鼻水に濡れた母の顔を、ユイが両手で掴んだ。
酷い顔だった。サクヤがあんなにも美しいと、模造品だと、まるでビスクドールのようだと言ってきたあの美しい顔が、今はその欠片もない。今の母の芸術のような美しい顔はひたすらに強い悲憤、怨恨が彩られていた。

その顔は、ユイが今まで見てきた中でも一番、人間らしい顔をしていた。


「母さんだけじゃ、ない」

「はっ…はっ…はっ…」

「母さんだけじゃ、ない。辛いのは、母さんだけじゃない」

「ふっ……ぁ…っ…」

「俺も辛いし、青棘も、みんな、苦しいし、辛い。母さんだけが辛いんじゃない。みんな、一緒だよ。母さんと」

「っ…うぅっ…うう…!」

「俺だって、俺達だって、いつもの何でもない日を、親父を、家族を奪われたよ、一緒なんだよ。…母さんと」

「ふぅぅっ…ぐっ、う、」

「俺達じゃ、不甲斐ねぇかもしんねぇけど。…親父じゃないから、同じ事なんてできねぇけど、俺達がまだ母さんの傍に、いるから、だから、」

「ひっぐっ…う、ふぅっえええぇっ…!!」

「何も、何も残ってないなんて、言うんじゃねぇよ…!」


目頭が、熱い。

気に食わなかった。

訂正して欲しかった。

ユイは、怒っていた。自分には何も残ってないなど、あまりにも酷くて、自分勝手で、寂しい。

俺達はどうなる。今ここに残ってるアヤや、青棘や、家族達は。

だらんとぶら下がった母の腕は次第に、まだ小さなユイの身体に縋るように回され、きつくきつく、抱きしめられた。その暖かな存在を逃さないように、消えないように、二度と、自分の大切なものが手から零れないように。



「俺らは、綺麗で、優しくて歌が上手くて、それでちょっと寝坊すけな母さんが大好きなんだ」

「そんなん気になるわけあるめぇ、俺はそういうお前さんひっくるめて惚れたんだよ」

「ッッふ、ぇぇえっ…ぁぁああああっ…あああああっ…!!!」



この日、初めて、母は人間らしく号哭した。



三十二華



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