三十華
「ああぁぁっ…!!サクヤさん…サクヤさんっ……!!」
泣きじゃくるワカナの顔。ボロボロと涙が顔にパタパタと落ちてくる。泣き顔もそれはそれは愛らしいが、だが今はそんな顔をさせたい訳ではない。ワカナは懸命に出血部位に自分の羽織りを押し当て、止血を試みようとしていた。
「ーーーー〜っ……!!ぅぅうっ…なんでっ…なぜ、こんなっ……!」
こんなことに。
大きく切られ、刺された傷口は小さくはない。すぐに羽織りも血を吸って真っ赤に染まり、意味をなさない。
涙が止まらない。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
そうだーーー、
「────」
喉をこじ開けた。
ワカナは、自分の声の力なら治せるかも、と小さな望みに賭ける。サクヤの細胞を活性化させ、止血をし、傷痕を塞ぎ、皮膚を再生させる。造作もないことだった。
だけれど。
「──、?──!?!?なんでーー、」
力は、発動しなかった。
その様子を見たサクヤはまあ当たり前だ、と心のどこかで納得していた。あれだけ変な機械に繋がれてずっと長時間歌わされていたのだ。あんな大音量で、しかもサクヤがこの空間に来る前の洞窟内で微かに聞こえてきたくらいだ。
その能力も万能ではない。限界もあるはずだった。
それでも傷痕を抑えながら、喉をこじ開け、音を紡ぎ出すワカナは、それはもう今まで、生きてきた中で一番必死だ。ボロボロ泣きながら、顔を歪めながら必死に音程を、声を、言葉を絞り出す。祈りながら。死なないで、一人にしないで、置いていかないで…と。
サクヤはじわじわと体内から血液が抜けて、急激に体温が低下していくのを感じる。
「(………やべぇ………しくったなァおい…)」
霞む視界で、ワカナの涙が嫌に綺麗に映った。
********
「すーーー…すーー……」
「…………」
『…………』
「こいつ……寝てやが……る…」
『…ここまで来ると、アヤちゃんも流石と言いますか…羨ましいですね』
ルカリオの青棘はユイと一緒にアヤ奪還を目指してこの場にいる研究員をボコボコに…一網打尽にしていた。
ユイの動きはそれはもう小学生とは思えない動きだった。ルクシオが研究員に突進をして、激痛に悶えているところを弁慶の泣き所を容赦なく蹴りを入れた。それはもう潰す勢いで。蹴りあげた瞬間、研究員(男性員推定32歳)は白目を向き、そのまま倒れた。
周りの研究員質も一瞬怯んだが、ユイは机に置いてあるよくわからない薬品を無造作に研究員達の顔面目掛けて中身をぶちまけ、悲鳴が上がっている間にルカリオが全員に鳩尾に拳を叩き込んでいく。
そんなことをしている内に数分で全てが片付いてしまった。
手足を縛られたアヤはスヤスヤ気持ちよさそうに寝ていた。
それを見てこめかみをヒクつかせた兄の顔は言うまでもない。青棘はアヤの手足を縛る縄を解き、外傷がないか確認をする。
『無傷……よかった。ユイ君。怪我はありませんよ。安心を』
「……そうか」
ほっと一息着いたユイは、眠ったままのアヤを抱き上げ頭を撫でた。本当によかった、乱暴されていなくて…と、思ったその時だった。
ドオオオオオオンッッッ!!!!
「!!?」
『!!!??』
突然、爆発音のような…巨大な何かが地面を揺さぶるような振動がこの場を支配した。
洞窟内にある書類や、研究員質が持ってきたであろう何かのビン詰達が、先程の振動で地面に落ちて割れた。
「………!!?な、なんだ…!?」
『……………、』
「おい、いったい何が…」
ルクシオは辺りを警戒している。ルカリオも瞳を閉じ、耳をアンテナのように立てて波動で周辺を探り始めた。その時だった。張り詰めた緊張が解かれ、ルカリオが瞳を呆然と開いた。一言、一言放ったのだ。聞き取れないような小さく、呆然と、『あるじ、』と。
それを見たユイの中の何かが、ゾワリと背中を這い上がった。
心音が煩い。
なにか、とてつもなく嫌なことが、あるような。
『──失礼ッッ!!!』
「うおおっ!!?な、何すんだよっ…!!」
ルカリオはユイを俵担ぎをして一気に洞窟を駆け抜け始める。ルクシオも急いで後に続き、ルカリオの後を必死でついて走る。
走ってる間も、波動で探知しているのか黒い耳がピンと立っていた。
「おい!!青棘!いったい何だ!!?何を探知した!?」
『………ッ…ユイ君っ…覚悟を、決めた方がいい…!』
「……、…?」
壁を飛び越え、一気に駆け上がる。
ルカリオの足なら、"そこ"まで大した時間はかからなかった。
「────ッッッ」
大広間に無尽蔵に転がる、赤い散らばった液体と、バラバラにされた、ヒトとポケモンの身体。飛び散る臓物。そして、ヒトなのか、ポケモンなのかも疑わしい、正しく怪物だとか、化け物と呼ぶに相応しい遺体がそこらかしこ中に転がっていた。
胃の中から急激に、逆流したかのようにせり上がってくる、何か───!!
「うっ…!がっ…ぁ…おええェェッ……!!!」
ユイはその場の惨憺過ぎる、地獄絵図のような光景を目にし、一気に胃の中の物を嘔吐した。それは止まることをせず、ビチャビチャ…と幾度も吐き戻した。苦しさから、涙が滲む。
なんだ、何なんだこれは!!?
「(いったい、どうなって………!!!?)」
様々だった。
首がないポケモン、ヒト。四肢がないモノ。顔半分がないもの。太ももの一部がかじられたように、ソコだけないもの。胴体がないもの。下半身がどこかへ行ったモノ。そこらに散らばる臓物。大腸、肺、骨、脳味噌の欠片、肉の欠片、指、腕、耳、羽……数え、例えれば、キリがない。
「………!!!なんだよ…なんだよ、これ…、!」
ふと、ルカリオがとある一点をじっと見続けていた。
そう、見続けていた。
呆然と、
ただ、
信じられないかのような、目 で
「────ッッッ!!!!」
ユイは大きく、大きくその碧の瞳を限界まで見開いた。
咄嗟に口を手で覆ったが意味を、成さなかった。
それが、何なのか"理解"してしまったから。
あれは、最早ピジョットとは言うに難しい、原型を留めていないピジョットの亡骸だった。しかもあの食い荒らされた羽根の形状と大きさ。あれは間違いなく…サクヤの手持ちの、仲間のピジョットだった。肉は殆ど残っていなく、産毛も、羽も殆どが毟り、齧り取られて食い荒らされていた。
「ぁ…っ…ハッ」
『昌、影』
「…ハッ……ハッ…ハァッ…ぁぁ…!!」
『………凛月』
そして、
見覚えのある黒い耳。
「ぁっ…ぁぁ…ぁぉああああ!!!!!」
ユイは、発狂した。
まだ幼い。
こんな非日常な現実を理解するには、
いや、大人になってもこんな地獄のような光景、見るべきではない。
否、普通じゃ、ない。
『っユイ君!』
なんだこれ
な んだ これ
何なんだよ
何だ何だなんだナんだ何だよこれは!!?
ダメだ、
ダメ、
おかしくなる
ぐる ぐ る
おかしく、なる
ぐるぐる
ぐるぐる
胃の中、ぐるぐる
赤、赤、肉、欠片、中身、胴体、昌影、首、欠片、ニク、赤、目玉、耳、耳、凛月、羽、みみ、なかみ
「あぁぁぁぁあァァアァァッッッ」
『(しまった…!この場にこの子を連れてくるべきではなかった!!)ユイ君!!』
ユイは普通の子供と違い考えも、能力も、全てが子供とはかけ離れていた。だが、違った。例えどんなに大人びた子供だろうが何だろうが、こんな光景、普通の人間が見てもいい代物ではない。大人が見ても発狂する光景だ。迂闊、だった。
ユイはこの日以降、トラウマというストレス精神状態を持つことになる。
ルカリオはユイを体が軋むくるいに抱きしめて波動で頭を覆った。
「ううううッッ…!!ァァアッッ」
『ユイ君、落ち着きなさい!』
「ハッー…!ハッー…!はっ……!…、……ぉ、れ…」
『そう、ゆっくり呼吸をしてください。そう…アヤちゃんの顔でも見ていてください…そうです』
まだ息は荒いが、何とか受け答えはできる。強制的に波動で荒れた精神状態を押さえ込んだルカリオは下からユイ顔を覗き込む。その顔は冷汗でびっしりと濡れていた。
『(可哀想に)』
だか、もっと過酷な状況に追い込まれる事には間違いない。
ここから先、
『(受け入れなければいけない。私も、ユイ君も)』
波動でキャッチした僅かな映像だったが、それでもあれは…
受け入れられるのか
否、
『(出来るはずが、ない……!!!)』
自分も、ユイも。
ルカリオがユイを抱えながら目的の場所へと進む。
そこは今にも天井や岸壁、地面が崩れそうな場所だった。
ゆらゆら、揺れる、視界の端には血溜まりの中横たわる男と、そこに寄り添うように座る女。見違える筈もないのだ。
「……?母さ……」
自分の母親の後ろ姿だった…が。
様子が可笑しいのだ。あんなにも泣いている母を見たのは。涙をボロボロにしながら、鼻を啜りながら、懸命に何かを呟きながら、押し当てて、
「………!!!な、に…!」
血に染まった父親を助けようとしていた。
「あんたっ……何やってんだよっっ!!!?」
血の海に佇む、父と母の光景は、また忘れられない記憶になった。
三十華