二十七華


「……ッ、いっ……!」



ズブリ、と針が肌に食い込んだ。

実験台の寝台に張り付けにされたワカナを囲むのは、目がどんよりと欲にまみれた研究員達。利益や金、そして純粋にこの生き物に興味があり、解剖を企む世間一般に言うと危ない人間共だ。

まず手始めに何かの薬を投与され、身体中に痺れが行き渡る。そして次第にぼんやりと意識が霞み、正常な意識を保てなくなった。でも、ただそれだけだ。恐らく機械でのデータを録りやすくする為だろう。

そしてその次は針を身体中に埋め込まれ、頭にも細長い針を埋め込まれた。痛みは微かにある、が、そんなに痛みを感じないのは先に投与された薬物の効果だろうか。



「喉と肺、それと腹筋群は圧迫しないようにしておいてねぇ」



はい、と無感情に返事をする研究員の一人の女。

ズブリ、ズブリ、とまた一本一本増えていく針。頭に押し入ってくる異物が気持ち悪い。頭の中をグチャグチャにかき混ぜられているような感覚だ。針から分析されていく脳信号は管を通り、無駄に大きな機械へと送り込まれてデータ解析するらしい。周波数のような数が文字盤から見える。



「さぁて、薔薇人形。お待たせぇ、大丈夫ぅ?気分悪くなぁい?」



気分は当たり前のように、すこぶる宜しくない。

そんなもの、ワカナの顔を見れば直ぐに判断できるが、男は至って楽しそうに表情を伺った。脳に刺された針が嫌な刺激を与えて気持ちが悪い。吐きそうだ。

自分がなぜ薔薇人形、と呼ばれるか分からないが、きっとろくな理由ではないだろう。確か男の名はフォン、と言ったか。それに視線を合わせると彼はニタリと笑った。



「歌え」



とりあえず何でもいい、と言ったその胡散臭い笑みを張り付けた未だ少年の面影を残したその男。

しかしこんな状態で正常な声を出す事おろか、歌、なんて歌えるものか。普通の何の思いを込めない歌ならまだしも、チカラを宿した詩を歌うのはこの状態じゃあキツいものがある。実は結構体力的にしんどいのだ。



「…うーん、やっぱりそう簡単には歌わないかぁ。……ああ、じゃあ目的があれば、歌える?」

「!」



アレを持ってこい、と顎で指図したソレ。指図された男は直ぐに意図を汲み取ったのか、直ぐに行動を起こした。
奥の底からガラガラと引っ張り出した箱のようなもの。ワカナは意味が分からなく眉を寄せた。元々暗い洞窟だ。男が引きずり引っ張り出すものは……何か、そう、例えば檻のような。



「………!?…なっ、なんっ…!」

「そう、こいつを治して貰おうか?」



ガラガラと荷台に載せられた箱は檻だった。しかし、その中に居るのは自分のよく知っているラプラス。力無く伏せて微動だにしない。

声をかけようと口を開くが、それよりも早く気付いた事があった。死んでは、いないのだが。身体をビクビクと痙攣を起こし、紅い瞳は焦点を合わせようとしなく濁っている。口からは少量だが、泡を吹いていた。

何か、したのか。

ケラケラと笑う少年を睨み付けると「恐いなぁ」と両手を挙げる。そんな演技すら腹が立った。



「死んではいないよぉーあのラプラスだってぇ、大変希少価値が高いポケモンだからねぇ。殺さない殺さなぁい。…まだね」

「………!」

「僕を殺す?いいのぉそんな事してぇ?娘がどうなっても良いならやればぁ?」



ギリ、と奥歯を噛み締める。

何だろうか。とても胃がキリキリして胸が張り裂けそうな思いは。黒い何かが何処からか流れてくる。



「僕が憎い?」



そうだ、コレは、憎しみの感情だ。ギチギチと頭の中を何かが鳴り響くこれは、憎悪。

黒く暗く寒く、悲しい、悪意の塊。よもやこんな感情を抱くなんて、自分でも驚いた。



「ラプラスに打ち込んだのは薬だよ。ウィルスのね」

「……ウィルス?」

「お、やっと返事したねぇ、偉い偉い」

「……………」

「……黙りだねぇ。ポケモンの細胞を喰らい尽くす死滅のウィルス。そのままにしておけば、その子ただのもぬけの殻になっちゃうでしょおー?だからぁ、歌って治せ」

「………そんなの、」

「理不尽?身勝手?そんなの知らないよぉ、元々真っ当な人の道なんて歩んじゃいないんだからぁ。君の歌でウィルス細胞を消す事なんて造作もない事でしょ?最初の実験は、それぇ」



腹が、立った。

憎い。

憎い。

膨れ上がる怨みと憎悪が、形を成していく。

初めて人を憎いと思った。今ここで、この人間達を殺す事は手に取るように簡単。容易い事。

でも、

で も、



―――――――――――――――――――――



ここで、人間を憎悪のまま殺してしまったら、サクヤを憎むのも同然だと思った。

彼らは人間。サクヤも、ユイもアヤも、人間、だ。こんな仕打ちを受けていようと、こんな憎悪の感情を目の前に居る“人間”に向ける事は、サクヤ達にも同じ意思を向ける事になると思った。それは、嫌だ。自分はサクヤ達に、夫に、息子に、娘に、そんな感情は塵とも向けてはいない。

愛しているのだ。

あの暖かなそれを。

心から。

心から。


ブワリ、自分の体内から喉を抜けて、音となって空気を振動する音。歌うのは詩じゃない。只の音。音程。ラプラスの身体は見えないものに侵されているらしい。なら、それを追い出すだけ。音で潰してしまえば良いだけだ。



「体内から念動力が発生。口内からの発信源です」

「身体中の毛細血管が開ききっています。血流増加」

「脳内の神経回路が逆流。数年前より20倍の動きです」

「うんうん、データ録り続けてぇ」



なんて声が聞こえるが、それすらも雑音。音を出し続ける事数十秒が経った。もう少しでウィルスを消滅出来ると思うが、数が多い上に消滅と再生を繰り返している。きっと、歌を長くする為に何か仕込んだのだろう。それすら腹立たしい。



かのへときしまう めせ




“詞”をかけて一気に追い打ちをかける。大量の白血球を送り込んだようなものだ。弱らせたそれは成す術もなく消滅するだろう。

数秒後、ラプラスの異常が綺麗に消えた。

穏やかに眠るラプラスを見て一息着く。少し、疲れた。歌を止めた後も研究員達はバタバタと動き回っていて、自分を見ようとしない。機械に食い付いている状態だ。

だから、彼の侵入には誰も気付かなかった。



ズブリ、と肉を裂く音が小さく響く。そして耳を塞ぎたくなるような断末魔の悲鳴。

でも、そんなものより、



「よぉ、随分とまぁー面白ぇ事してんじゃねぇの。俺も混ぜてくれねェかい?」



ブシャ、と血溜まりの中に倒れたそれ。その背後に立っているのは、待ち望んだその人だ。

やっぱり、助けに、来てくれた。

笑みを浮かべる彼は片手に持った刀を地面に突き立て、グルリと中を見渡した。段々と不快そうに眉を寄せて。その隣にはレントラーやブラッキー、ピジョットが我が物顔で歩いている。



「ワカナァ、大丈夫か?」

「だい、じょうぶ、です」

「いんや全然大丈夫じゃあなさそうだな」



こく、と頷くワカナにサクヤは「あんまし頭動かすな」と注意が飛んだ。とりあえずそれを素直に聞き入れ、大人しくする。

そして研究員達に流れる動揺。人が切られた。まさかの目の前で起こった殺人に、侵入者に研究員達が一気に騒がしくなった。



「貴様…!アヤセ一文の…!」

「あの駄作品共め!しくじったのか!?」

「ん、せっかくのお楽しみのとかろを邪魔して悪ィが…ちょいと今の俺は虫の居所が悪ィんだ。

――退け、さもなくば一人ずつ殺す」



刀に着いた血を払いながら歩く。ギラリと紅い瞳に睨まれた研究員達は無意識に一歩、後ろへと下がった。瞳から溢れる殺気を当てられ悟ったのだろう。この男は、人を殺す事に躊躇いがない。

サクヤが一歩踏み出せばレントラー達も戦闘体制に入った。だがしかし、またこの少年が許す事もなく、怯む事なく平然と言葉をかける。



「ちょっとぉ、邪魔しないでよ」

「あんだ、人の嫁勝手にかっ拐ってった奴にンな事言われる筋合いなんかねェなァ」

「あー、もう君さぁ…昔から何なのもお。研究体は勝手に持ってくし僕らの研究ベースは荒らすわ機密情報をハッキングして書き換えたりするわ。もう損害膨大だよ」

「へぇ良かったな」

「良くない。分かってるこの状況?僕ら何人居ると思ってるのぉ?こちとら暗殺部隊も用意してるんだよ」



ほら、ボサッとするんじゃないよ。

そう言った少年。背後からゾロゾロと現れるのは人獣集団。そして研究員達から放たれるポケモン達。人獣は軽く100体、ポケモンも大体100体は居る、とワカナは不安気にサクヤを見るが、彼はニィッと笑った。



「人の嫁好き勝手しやがって…死刑だ死刑。首切ってそこらに飾ってやるよ」

「それは嫌だなぁ…とりあえずぅ、これ以上邪魔されると…ねぇ?生かしておけないんだよねぇ。君の首はいくらの価値があるのかなぁ?……死んでもらうよ、アヤセの悪鬼」

「上等だァ俺の首は高いぜ?

―――この悪鬼の首、取れるモンなら取ってみな」



二十七華繚乱

てんにまします

われら がかみぞ

かのへときしまう めせ











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