十八華
「そんな嘆いても仕方ねェだろ」
「………は?」
三日振りに帰ってきた父親は月の出る晩、酒を揺らしながら息子に視線を落とした。
「もうあいつァ何をしなくても死んじまうんだ。医者も手の付けようがねェとワカナを放棄と来た。とんだ情けねぇ話だな。医者っつうもんはそう言うもんだ」
「………だからってアンタは…」
「だったら俺ァ今出来る事をするしかあるめぇよ」
「!」
深夜に帰ってきたサクヤは既に眠りに着いていたワカナと、その横に転がるアヤに一言三言言葉を残し、頭を撫でてその場を後にした。
いつもの窓辺りに座り、早速と言っていいくらいに酒を口に運び出したサクヤにユイは近寄った。この時起きているとは思わなかった息子に、「起きてたのか」と多少驚きを露にして彼は愉快そうに笑う。しかしユイは笑うどころではない。「アンタ何考えてんだよ」と至って不機嫌そうに、怒りを含んだ声色で父にそう責めるように言うと、やはりサクヤは笑った。
ユイの言いたい事は既に分かっていた。だからこそ笑った。その問いにすんなりと、また静かに答えれば意外そうに驚くユイの顔。それを見て、また彼は笑う。
「言っただろう?あいつは人獣だ。俺が思うに、人間に合わない細胞をブチ込まれれば何かしら影響があるに決まってんだ」
「…………それが癌か?」
「それしかあるめぇ。オメェは知らねぇだろうが、あいつの体ん中、最早癌細胞だらけだぜ。…正常な細胞なんてあとどれくらいあるんだろうな。乳癌だなんて、そんな小せぇもので片付けられねぇくれェなァ?」
「なっ…」
「産まれながら爆弾抱えたまま来ちまった。……皮肉なもんだ」
月の光の下で酒を流し込む。
それを眺めながら、ゆっくりとした動作で酌に酒を注ぎ、また口に流し込む動作は滑らかで無駄がない。ユイは斜め後ろから父の背中を眺める。
心無しか、疲れきっているようにも見えた。
「確証も、保証も自信も。今回ばかりはねェんだがよ」
「…………ないのかよ」
「ハハッ、残念ながらなァ。癌細胞が増殖した原因は明らかに人外の細胞だろうよ。だからそれを取り除けばと思ったんだが……」
「………無理じゃないのか?」
「ああ、お手上げだ」
その細胞は、元々の人間の細胞と混じって既に同化しているだろう。何しろワカナがまだ母体の中に居て、“ワカナ”という一人の人間が丁度この世に性を受けたその瞬間に、ポケモンの細胞と同化させられた。それからもう何十年も立つ。細胞と細胞は一つになり、既に身体組織の一部となっているだろう。
それだけを取り除く事は最早不可能だ。それは、サクヤが三日間留守にしていた間、その研究員や今や廃墟同然の研究所を調べた結果の情報だった。
「………せめて、助ける事は出来なくても一日でも長く生きさせてやりてぇんだよ」
あいつには、俺より長く生きていて欲しかった。
初めて、だったんだ。
「………………」
彼女は、歌う事が何よりも存在意義。
人間の為に歌う事が存在意義。
歌への執着。
それが生きている証。
『サクヤ様、』
『あー、んん?何だィ、お前ぇさんから喋るなんて珍しい』
『私にも、何かあるでしょうか』
『何が』
『こんな卑しい汚い私でも、何か貴方にできる事はありますでしょうか』
『あー…それね。別に、お前ぇさんは好きに過ごしゃあいいじゃねぇか。もう自由なんだしよォ』
『ですが、』
『…お前ぇさんも物好きだな、そんなに俺の相手がしてぇのかィ。なんだ、何か欲しいモンでもあるのか?ならくれてやるからそんなんしなくても…』
『いいえ、いいえ、サクヤ様』
『?』
『そんなものは望んでいません。欲しいものは、もう貴方と出会った時に貴方が与えてくれました。ですから、そのお礼がしたいのです』
『……………』
『私は、もう充分過ぎる幸せを貴方から頂きました。ですから、私にも何かできる事はありますでしょうか』
『……………お前ぇ、』
『ああそれならばサクヤ様…歌でも、如何ですか…?私は人獣、歌う事が私のシゴトです。貴方は私を助けてくださいました。貴方は私をあの場所から連れ出してくださいました。歌には少しばかり、自信があります。サクヤ様の為に是非、…歌わせてくださいませ』
それでも、初めてだった。
自分の為に何かをしようと、何も見返りを求めず何かをしてくれたのは、ワカナが初めてだった。
「……………」
だから、
「何よりも、何に代えても代えがたい、代わりなんて生涯いやしねェんだ。大事な、大切な女だ。だから録な生き方しかしてないあいつには、俺よりも長く生きて欲しい」
死ぬなんて、ふざけるな。
十八華繚乱
妾は歌う事が存在意義
歌う事が生きている証
人間の為に、只歌う為に生まれて来た
でも、
初めて一人の人間に、
歌いたいと思ったのです
それが、初めて愛しいと感じる貴方だった