十四華




彼女の笑顔が、多々色彩あるあの表情が、この日を境に消えた。



「…………」

「僕の目で見た判断だけど、良いの?まだ担当のドクターは誰にも言ってない」

「構わない」

「…そう。下手したら、このまま目覚めない可能性がある」

「………そうか」

「重要な臓器を見事なまでに貫通していてね。周りの臓器も血で潰れかけてた。傷も深い。出血量は致死量までに至った。…僕から言うと、息がある内に治療が完了した時点で、奇跡に近いくらいだ」

「…………」

「本当なら、あの場で死んでいておかしくないくらいの、傷だったんだよ」



病院内の自販機が設置してある廊下。そこには二人を除いて誰も居ない。壁に寄りかかった男は羽織り程度に着流した白衣を揺らし、壁から背を離す。

サラ、と髪が流れ、ユウヤは目の前に設置されたベンチへと腰掛けるレッドに黙々と言い放った。彼は、間近でユイを見ていた。滅多に目にかかれないであろう鋭い刀身が腹を貫通。患部からの鮮やかでは無い黒みがかかった出血。

そんな重症度の人間に気休め程度の応急処置をしてそして。搬送先の病院に行ってから手術室の二階、ガラス越しから見える手術現場。患部の手術をモニタリングを通して彼は全てを見ていた。

それが、歯痒い。

良い腕と腐るくらいの知識を持っていても、彼には手当できる権限はない。資格がないから立場上何も出来ない。

そこいらの医者より確実に腕と知識が高い彼でも、医者、と言う称号を国家資格として持っていない為にオペには参加出来なかったが。

所詮は裏で活躍してきた事が仇になってしまった。腕は有っても無資格の人間。ユイの手術をモニターを通して見ていたが、苛々する事ばかり。自分ならもっと早く、上手くできるのに、と。歯痒い思い。

しかしそれを一から最後まで見てきたからこそわかる。今のユイの状態は手術が成功したとしても良くは無い。よくて障害、悪くて脳植物で生涯を終える。



「でも、不思議な事があった」

「………?」

「蛇口を全壊にしたように流れていた血が、突然ピタリと止んだんだ」

「…ポケモンの仕業じゃないのか。居ただろ、あいつの手持ちにエスパータイプが」

「ミュウツー…蒼屡の事ね。いや違う。彼は念力おろかサイコ系は何も使っていなかった」



また、そんな奇妙な事も目にしていた。あの時血が流れるだけ流れていて手の施しようが無かったのにも関わらず、突然血の流れる量が減少、終いにはピタリと止まってしまったのだ。まるで身体中の血が流れ尽くしてしまったかのように。

驚いたユウヤはユイの傍らに立つミュウツーを見るが、当の本人も同等に吃驚した顔で見ていた。「私は何もしてないぞ、」と首を振るミュウツーにユウヤは訝しげに眉を潜めた事も。今まで生きてきた中で、一番の迷宮入りな出来事だった。



「この事はアヤちゃんには…」

「言わなくていい。…まだ、いい」



言わないでくれ、とレッドは声を低くする。

これ以上、重圧をかけると益々笑わなくなる。とレッドは言った。
アヤ、は笑わなくなった。それは当然ユイが原因である。今彼女はユイの病室に居るのだが、ただ泣きもせずにじっと、兄の顔を見ているのだ。眠る事もしない、何も口にする事もしない。ただ、兄の顔を静かに何もせず、じっと見ているだけの時間が流れていた。

それには流石のレッドも心で悲鳴を上げたのだが。アヤはいつもレッドの呼び掛けには必ず答えていた。何かをすれば笑っていた。表情が面白いくらいに動いた。見ていて厭きないほど。けれど、それが無くなった。綺麗さっぱりと消え失せてしまっていた。呼び掛けても上の空。いつも真っ直ぐに耀いていた涼しげな蒼色の瞳も、海底へと光の無い沈んだ暗い色を湛え、以前の面影は色も無い。

どこかにさ迷った感じさえする。虚ろ。それがピッタリだろう。加えて全く食事も喉を通さなくなってしまった。口に入れても直ぐに戻すくらいだ。

そんなアヤを見たレッドが、初めは大打撃を受けた事は言うまでもない。こんな彼女は、知らない。泣けるものなら泣き叫んで欲しかった。その方が良い。表情がよく動く。心の内がよく見えたから。彼にとって、今の彼女はたまったもんじゃなかった。

寧ろアヤじゃないモノが中に入ったような、アヤの皮を被ったような得体の知れないモノじゃないのかと気持ち悪ささえも覚えた。


「昔の鬱状態だった頃によく似ている」


いや、それよりももっと酷いな。
そうアヤの手持ちであるルカリオは言った。波動で精神状態を探るもやはり、やはり原因は兄。ごちゃごちゃしている割には足の踏み場があるように、ぽっかりと穴が出来ている。そんな状態らしい。

片割れの半身を失う事はアヤにとって、とてもじゃないが考えられない事。

好き、とはまた違った感情がアヤの中にはあるのだ。家族ならでは、それが兄妹で、どんなに横暴で理不尽でも兄なら尚更。今まで人生の大半を過ごしてきたからこそその存在は大きい。
レッドには兄弟がいないからその気持ちはわからない。ましてやこの兄妹の関係は少々複雑である。

レッドにはどうしたって理解は出来ないものだが、しかしそれに対してまたよく分からない対抗心もある。兄妹だとしても、アヤにそこまで思われている事が羨ましかった。…自分はとんだ場違いな嫉妬をしている、とも思うが。

今回の出来事は相当、精神的にも大打撃を負ってしまった。…目の裏に浮かぶのは影のかかった彼女の面影で、



…………全く、本当に、冗談じゃない。



「…で?」

「え?」

「あの馬鹿兄は、あいつは一体どんな事に首突っ込んでこんな事になったんだ」

「や、馬鹿兄って。レッド君キミね…」



あいつにあんな表情は、要らない。

似合わなさすぎる。



「……あのバ…違った。ユイね、昔から探してるものがあったんだって」

「………?」

「詳しい話はまだ聞いてないんだけど、どうやらお父さんの形見みたい」

「…形見、」

「綺麗な刀で、昔それが盗まれたらしい。売るとかなり値が付く代物らしくて」

「……………」

「それを奪い返そうと今まで情報かき集めて…で、やっと行き着いた場所がシャバやって売り捌きまくる犯罪団体。それに一番に首突っ込んで、優位に立った時その形見の刀でズブリ、とね」

「…………」

「因みに主犯のリーダーはユイにボコボコにされて刑務所ブチ込んでやったけど、その半分以上の仲間はあの騒ぎに紛れて逃走中。刀も売れば莫大な値が付くからって律儀に持ってかれたよ。……無理矢理ユイから抜かなければ、こんな事にはならなかったんだけどね。お陰で周りの臓器はズタズタだ」

「……………そうか。それが、」



――――――原因か。


ユラリ、とベンチから立ち上がる。



「レッド君?」

「あいつのポケモンは」

「……ここの地下室。軽い監禁状態だから見に行くなら気を付けて。特にプテラなんか暴れちゃってヤバイから」

「問題ない」



全く本当に、冗談じゃない。

あいつに、アヤにあんなくすんだ色の表情は要らない。欠片も必要ない。泣かされるなんてもっての他。俺以外の人間が、他人があの色を崩すなんて死刑に値する。

あいつは、俺のもので、俺の女だ。何よりも大切な、人間だ。

例えアヤが、兄が原因であんな表情をしていたとしても、その兄をあんな状態にまで追いやったのは“そいつら”だ。その馬鹿達のせいである。

あんな表情を、汚い色を植え付けるなんて万死に値する。否、死ぬべきである。いや死ね。



絶対に赦さん。



「……………………塵が。生きていられると思うなよ…」



その言葉を聞いたユウヤは、僅かながら笑みが引きつった。



十四華繚乱

真っ白の道を歩きましょう

真っ黒の道を歩きましょう

真っ赤の道を歩きましょう

死骸の道を歩きましょう

臓物の道を歩きましょう

人骨の道を歩きましょう


それが、蕀の道を歩くということ




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