act.89 チュリネの後悔







「ハッーーーー…可愛い…未だかつてない程うちの子がこんなにも可愛い…」

「…お前はかつてない程緩い顔してるな」



新しくアヤの仲間になったチュリネに加え、その小さな丸いフォルムをアヤは飽きることなく数日間撫で繰り回していた。オシャマリと並ぶもんならそりゃもう可愛いしかない。絵面が最高。可愛いの暴力。キュンです。

何故なら今までのアヤの手持ちにメルヘンな可愛さを持ったポケモンはいないからである。当然サンダース達も進化前は勿論小さくて可愛かったが今は違う。性格も図太くなったし厳ついしなんだかトレーナーである自分への扱いが雑だ。
あ、いや、ウインディは大きくなった今でもあの巨体で充分過ぎるほど好き好きアピールが物凄いし(のしかかって潰されそうになった)モフモフで可愛いのだが。そう、可愛いのだが!可愛いの種類が違うのだ。

こんなメルヘンでチャーミングなポケモン、なかなかいない…。アヤの手持ちを把握している知人からしたら「随分と系統が変わったな」と言われるかもしれない。

それくらい可愛い。

しかも二匹とも女の子と来た。

最高かよ。



チュリネを撫で転がし、そんなアヤを微笑ましく見守っていたオシャマリに気付いたアヤは当然ながらオシャマリもとっ捕まえてダブルで愛でていた。二匹を抱き締めて顔を埋めて吸っている。新たにオシャマリを撫で転がしよしよしするアヤは幸せそうである。レッドはそんなアヤを見て「まあ本人が嬉しそうなら良いか」程度に思っているのだが。

因みにそんなアヤをピカチュウはレッドの足元で黙って見ているが心の中で『絶っっっ対俺の方が可愛い。だってピカチュウだよ?俺ピカチュウなのよ?』と何やらよくわからない対抗心を燃やしているのはピカチュウのみぞ知る話である。



「しかもっ…しかも見てよ!!」

「なんだ」

「チュリネって進化したらこんなっ…こんな風になるんでしょ!?何これお人形さんじゃん……可愛い好き……」



レッドから図鑑をひったくったアヤはチュリネの次の進化先へのページを映し出してレッドに講義をする。その画面には頭部に大きな花を咲かせたドレディアが映っているのだが、そうか。もう見た目がドンピシャということか。良かったな、と言いながらレッドは容れたコーヒーをガブガブ飲み続けた。



「チュリ……」



因みにチュリネは少し困ったような、仏のような顔でアヤに好き放題撫でくり回されている。だって生まれてこの方、家族にもされたことの無い愛でられ方をされているのだ。こんなに可愛がって貰っているがまだ自分はアヤの手持ちになってまだ数日も経っていない。人間の娯楽で言うポケモンバトルもしたこともないし、この子の役に何も立っていない。こんなんでいいのだろうか。

何かしないと、役に立たないと見捨てられたり置いていかれはしないのだろうか。

ようは、自分は行く宛てが無いからアヤが仕方なしに拾ってくれた居候みたいなものだ。何もアヤにとってメリットが何もないのであれば、手持ちにいてもそれが還元されなければパーティーにいる意味が無い。

チュリネは俯いた。



「チュリ…」



自分に出来ることをチュリネは考える。

バトルは、いや。戦うこと自体チュリネは得意ではなかった。家族達の中では一番弱かったから。戦いは嫌いだ。住処をペンドラーに襲撃されたあの時、咄嗟に攻撃出来なかったのも自分に戦う気がなかったからで。ただ、怖い、としか思わなくて。

戦いを放棄した。

誰かと戦うのが怖い。傷付くのが怖い。命が脅かされているのにも関わらず、チュリネは戦いその行為そのものが大嫌いだった。野生同士の縄張り争いは今までなかった訳じゃない。けれどいざ対峙しようとすると、途端に体が動かなくなって竦んでしまう。

体が震えて、精神がもう“怖い”という感情一色に埋もれて、戦意そのものがなくなる。

家族達はそんな自分を、呆れながらも守ってくれていた。

けれど、今は違う。



「(アヤちゃんの役に、何かしないと。手持ちから外される)」



手持ちから外されて逃がされたあとは、もうダメだ。到底一匹では生きていけない。



「……チュリネ?どうしたの?どこか痛いの?」

「チュ…」

「……チュリネ、お前アヤから捨てられることなんて気にしてるんじゃないだろうな?」

「チュリッ…」

「……ええ!!?なっなんで!?なんでそう思ったの!?」



いや、自分はまだ何も言っていないのだが。
チュリネの様子を観察したレッドは読心術でもあるんじゃないかと疑う程的確にチュリネの本心を暴いた。

え?この人一体何者なの?と思い始めるのは致し方ない所である。



「チュリ……」



まるで「言え」とばかりにじっと自分を射抜く赤い瞳に、心配そうに見詰める蒼い瞳を見て。言いにくそうにたじろいで実は、と。

チュリネは己の身の上話を少しずつアヤ達に話し始めたのであった。



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「え?別に無理して戦わなくてもいいよ。だってチュリネ、嫌いなんでしょ?」

「チュ、チュリ…」



え?そんなあっさりしてていいの?

それがチュリネが全てを話し終えた後の感想である。チュリチュリ話し始めたチュリネの言葉は勿論アヤには理解出来ない。何かを一生懸命に訴えてアヤに話を続けるチュリネはまあ可愛いの一言に尽きる。「自分に捨てられる」なんてとんでもワードを聞いたからには真剣に傾聴しなければいけないことは分かってはいるが、でもやっぱり可愛いものは可愛い。

アヤは己の口元が緩んでしまうのを必死で耐えてチュリネの話を聞いていた。

因みにそんなアヤの顔を呆れたように見るオシャマリとピカチュウはやれやれと言った表情で苦笑いして見ており、肝心のレッドは通訳中でただ黙って聞いて時折相槌を打ちながら傾聴している。彼は一通り聞き終わると「アヤ、聞け」と一言かけて大まかな内容を伝え始めた。

そして。



「別にチュリネに戦って貰いたくて仲間にした訳じゃないんだし」

「チュ……」



こんな、こんなあっさりしていていいのだろうか。



「人間みんながみんな、戦って貰いたくてポケモンと一緒にいるんじゃないんだよ」


「………お前達は人間のために戦う道具じゃないだろう。ポケモンバトルは確かに人間の一種の娯楽だけどな。それを甘んじるポケモンもいるし、嫌がるポケモンもいる。嫌なことを無理にする必要はない。元々バトルは無理強いに強制するものじゃないんだ」

「そうだよ。…だから、そんな風に捨てられるなんて思わないでよ」

「チュリ…」



自分が、わたしが、これからここに居る意味、とは。



「ボクね、ポケモンが好きなんだ。別にバトルがしたい訳じゃないし、自分のために戦って貰いたい訳じゃない。一緒に楽しく過ごせれば良いと思ってるから。チュリネが戦うことが嫌ならしなくてもいいんだよ」



そう言ってアヤは丸い頭を撫でくりまわす。



「チュリネは、さ。一人は怖くて嫌だからボクと一緒に来てくれるんだよね?これからも出来れば一緒にいて欲しいけど……これから先、何かやりたいこととか、本当に一緒に居たいパートナーが見つかったら勿論チュリネのしたいことを優先しても構わない。手持ちから外れたい時はきちんと言って。……無理して何かを我慢することはないんだよ。そこら辺は遠慮しないでね」

「……アヤ、」

「ボクからキミを手放すなんてこと、絶対ないよ。そこは安心して信じて」

「おい、アヤ」

「だから大丈夫。……あ、そろそろお風呂入って来るね」

「マリマリ」

「うん、一緒に入ろうオシャマリ。じゃあレッド、ちょっとの間チュリネのことお願いね」

「………溺れるなよ」

「もう大丈夫だって!」



着替えを持って入浴所に向かったアヤは部屋から出て行った。

衣類を脱ぐ音が扉一枚挟んだ向こう側から微かに聞こえて、そしてシャワーの音が響くのを確認してレッドは息を着く。



「(アイツ、チュリネを信用してないな)」



まだカップの底に残った黒い液体を見ながら、彼は眉を寄せた。

チュリネに放ったあの言葉は、到底チュリネのトレーナーになるような言葉ではなかった。その場限りのトレーナー。一時的な仮設な拠り所。自分はチュリネのトレーナーにはなりません、なんてそういうニュアンスで言っている訳では無いが大まかに解釈するとそういうことになってしまう。

チュリネのこれからの生き方を最大限考慮した結果が、あの答えなのだろう。



「(………まぁ、ゾロアを引きずっているのは明らかか)」



自分の家族として受け入れて、出て行ってしまった時のことを考えた。
万が一、また自分の元を離れる時が来たら、その時の寂しさと虚しさを誤魔化すための言い訳だ。

本当の意味でチュリネの面倒を見る。それを放棄している。

本当に、思ったより精神的なダメージが根深い。それには自分も多少少なからず関わっているものだからどうしたものか、と考えてレッドはマグカップに口をつけた。
今や静かになったシャワーの音が微かに響く部屋内で、チュリネは居心地悪そうに部屋の隅に移動していた。

アヤがああは言っていたものの、やはり戦えないというのはデメリットが大きすぎる。仮にもチュリネがこれから先、敵と対峙しなければならない時は生きている限り必ず来るだろう。必ず戦わなければならない時が来るはず。それがどんな状況なのかはわからない。己を守るためなのか、他人を守るためなのか。

それとも、譲れないプライドを守るためなのか。

それはわからない。

今は自分がいて、ピカチュウがいて、サザンドラがいて、オシャマリがいる。それにここには居ないがまだ仲間達は控えている。戦える戦力は充分揃っているが、それでもそうじゃない時も必ずある。

どうしようもないそういう状況が、これから先あるかもしれない。

矢継ぎ早に自分は年末にはアヤから少しの間物理的に離れなければならないし。

チュリネの為にも、アヤの為にも、何とかしてやらねばならない。



『………人間と共存するポケモンはさ。何かしらの目標と意志を持って俺たちは一緒に生きるんだ』



レッドの考えを見透かして、ピカチュウもそれなりに言いたいことがあった。

あったから、部屋の隅にいるチュリネに話を向けた。極力、圧を与えないように。優しく語りかけるよう。………あ、ごめんやっぱり無理かも。

チュリネが自分に話かけているのだと気付くのには時間はかからなかった。



『戦いが怖いなら無理に戦うことはしなくてもいいんだ。それを責めたりする奴はここにはいないよ』

『は、い』

『けどさ。いざと言う時。キミや、アヤの命が危機に晒された時。また迷いの森みたいに、指を咥えてただそれを見ている訳にはいかないよ。だってさ、そうした結果キミはひとりぼっちになった』

『  、 』

『キミのせいじゃないよ。悪いのは全部ペンドラー。でもなにもせずただボッーと見てたせいで、家族と仲間と居場所を失ったんでしょ。抗うこともなにもせずに。…ねぇ。奪われないよう努力した?自分の大切なもの、守ろうと死ぬ気でなにかした?……キミの話を聞いてた限り何も出来なかったよね。しなかったよね。違う?』

『 ぁ 』

「おいバカ。少しは言い方を考えろ」

『えへ。…ゴメンね?でも俺はトレーナー持ちのポケモンだから。主人とその仲間達は俺の家族だから。……居場所を守るためなら何だって俺はするよ。アヤの手持ちに加わったならそこらへんは厳しく指導するからね』

「………チュリネ。いざと言う時が、これから先もまたあるかもしれん。お前やアヤが命の危機に晒された時。絶対に生きることを放棄するな。お前はまだ実感がないと思うがアヤはもうお前のトレーナーだ。お前はもう、アヤのポケモンだ。ボールに入ったからにはお前の面倒は一生責任を持ってアイツが最後まで見る義務がある。手持ちにしてくれと、お前がそうアイツに頼んで、アヤもそれに頷いたんだ」

『ぁ…ぁ、ぁぁ…』

「これからお前は自分がどうしたいのか、何をしたいのか。どうありたいのか」



人間と共存するポケモンは何かしらの意志と目標を持っている。

ピカチュウはレッドを、家族を友を守る為。

サザンドラは己をここまで強くしてくれた主人を守る為。

オシャマリは、転生してポケモンになって尚、アヤを守る為。

それは今ここにはいないレッドやアヤのポケモン達だってそうだ。
全て自分のトレーナーを守る為。仲間と家族を守る為。強くなって己の居場所と大切なものを守り、奪われたくない一心で傍に居続ける。

それはきっと、健全なトレーナーのポケモンは誰しもがそう思っている事だ。

勿論、目標と意思が変わって手持ちから抜けたがるポケモンもいる。
それは各々の意志。多種多様な在り方だ。



『あ、ぁう』



じわ、じわ、と涙が滲む。



『ぁ、ふ、ぇぇ』



現実を突きつけられた。

ペンドラーが襲撃した時、仲間と家族達を蹂躙されていた時。

遺された家族達は必死になって抗っていた。

けれど、自分は棒立ちになっていただけだった。

何もせず、ただ喰われていくのを見ているだけだった。

怖くて動けなかった。

あの時、少しでも何かをしていたら。

震える体に鞭を打ってでも。

少しの勇気があれば。

なにか変わっていたのかも知れない。

ピカチュウに指摘されて、戸惑いなく躊躇せずそう言われて。気付かないように罪の意識を奥底に眠らせていたけど、いとも簡単に抉られて。



『ぁぁぁっ……』



ボロボロと涙がこぼれ落ちる。チュリネが堰を切ったように泣き出した。

喰われて死んで行った仲間達が、レッドの言ったことが本当なら。

死して尚、あの時遺されたまだ生存している自分達を救おうと…死から回避させようとレッドに助けを求めてくれていたのだとしたら。

助けを呼んでくれていたのにも関わらず。

わたしは、その仲間達が喰われていくのを見捨てて、見殺しにしたようなものだ。



『わああああぁぁぁっ……!!』

「………できれば、自分のトレーナーを守れるくらいにはなれ」



いざと言う時、大切なものを守れるようなポケモンになって欲しい。

後悔しないように生きて欲しい。

きちんと困難に向き合えるように、抗えるようになって欲しい。



レッドは小さくそうチュリネに説いたのだった。







チュリネの後悔


怖いから、自分は昔から戦えないのだと理由をつけて考えないふりをしていた。

そんなものは言い訳だ。

失ったものの大きさを考えれば……考えなくても。

恐怖心を捩じ伏せ、戦わなければならない時が、あるのだ。






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