act.86 そんな歪な、呪い( )の可能性
迷いの森でジョーイに回収された後、一時期集中治療室に入り、重篤用の治療カプセルにずっと入っていたチュリネをレッドは見ていた。アヤが助けて連れてきたポケモンだったからだ。アヤが熱で寝込んでいた時は一日一回、数分はチュリネの様子を見に治療室に立ち寄っていたのだが……。
「(きっと、生きるのは難しいだろう)」
レッドは、その時の状態のチュリネを見てそう思った。
草タイプのポケモンは生命力が他のポケモン達より根強い。少しの怪我や、体の一部が消し飛んでも運が良ければ綺麗に再生できる。…けれども、今回のそれとこれとは話が別だ。何故ならチュリネの体の半分が無くなっていたからだ。
明らかに、生命維持出来るような体の状態ではなかったから。
この状態で生きているのが不思議なくらい。最悪今夜中、持って数日。最善を尽くします。そうジョーイも言っていた。
「(………それなのに)」
そのチュリネは、もうほぼ欠損した体が嘘だと思える程、綺麗に再生されていた。
有り得なかった。
「まるで奇跡だわ」
あの状態から回復するなんて、とジョーイも目を丸くしながら言っていたのを思い出す。奇跡。レッドはこの短期間の内にそれを二度、目にしている。
そしてそれを引き起こしたであろう存在も目にしていた。今回ももしかしたらアシマリ…いや、オシャマリが絡んでいるのかもしれない、と思い彼は戸惑いなく治療から戻ってきたオシャマリに問い掛けた。
「チュリネに、何かしたのか」
『?何か?』
「お前はゾロアを蘇生させたことがあったろう。……聞くが、あれはお前の能力で間違いないな?」
『…………』
「お前は一体なんだ。普通のアシマリ種族はそんな特殊な技は持っていない筈だ。あの古代の地下室で何を研究されていた」
『……研究されていたのは間違い無いけれど、』
そうね。ちょっと他とは、私は違うかも知れないわね。
オシャマリは、ゾロアを蘇生させた事については肯定も否定もしなかった。
『“生まれつき”なの。ずっと昔から。普通じゃないの』
「普通じゃ…ない。自覚はあるのか」
『そう。でもね。チュリネには…その子には私、今回何もしていないわ』
「……何も、していないのか」
『ええ、ええ。あの子を守るのに必死でしたもの。他の子を優先する筋合いも、守っている暇なんてあの時の私にはとても、』
チュリネには何もしていない。オシャマリはそうやんわり否定した。
レッドは暫くオシャマリをじっと見詰めて、嘘を付いているのかいないのか。真意を確かめていたがどうやら嘘は言っていないようだ。嘘を付いている表情、不審な仕草がなかったからだ。
……そうか。
と彼は一息着き、じゃあ本当にただのまぐれ……奇跡というものが。たまたまチュリネが助かっただけか。と思うことにした。レッドは「病み上がりにすまない。元気になったようで良かった」そう言って、オシャマリの頭を撫でる。
『………いいえ、』
頭を撫でられながら、オシャマリは考える。
今回、オシャマリがチュリネには何もしていないのは本当。嘘は言っていない。けれど。
チュリネに蘇生紛いの呪いがかけられていた。
自分ではないのなら、誰が、なんて決まっていた。
十中八九、アヤだろう。チュリネ自身に直接呪いをかけて唄ったのを聞いていないが、呪歌が発現したのはきちんとこの目で確認した。恐らく、無意識に願って、“言葉”にしたに違いない。
『(彼に、どこまで言うべきなのか。私には分からない)』
オシャマリから見たレッドは、アヤへの執着心がだいぶヤバめの重たい部類に入っているのを既に認知していた。本当に娘のことを…アヤのことが大切で、好きで、愛しているのだろう。
あの人みたいに。
愛情深く、優しく、そして重たい。
いや、下手したらあの人よりもかなり重たい感情だ。
彼程の強い思いは愛ではなく最早呪いに近しい。そしてそれが強烈な呪いになりうるような、重たく、暗い、そんな感情。それがどれだけ強烈なのか。それはアヤを見ていたら分かる。あの子はもう彼に向けられている感情で徐々に染まって、最早抜け出せない程、雁字搦めになっているから。
このまま彼と一緒に居たら手遅れになって、もれなく抜け出せなくなるだろう。
これ程強力な呪いを毎日24時間、ずっと向けられたアヤは。
きっとアヤは彼に精神的な面で捨てられたら、彼がいなくなったら。
恐らく一人で生きては行けないだろう。
彼も何故アヤにここまで執着しているのかわからないが、アヤから無理に離れたりそれこそ別れ話なんぞしたらどうなるか想像に容易い。
レッドは恐らく今、アヤを中心に考え生活していると言っても過言ではない。彼の古くからの付き合いであるというピカチュウに『レッドってどんな人なの』と聞いた事があるが、彼は即答で『ポケモン以外脳がない人間』だとそう答えた。
『(………ほんとうに?)』
それは、はたして、ほんとう?
産まれた環境も大きく関わっているとは思うが、ピカチュウにざっくり大まかに聞いたレッドと言う人物は。まず見ず知らずの人間には限りなく冷たくドライである。他者を寄せ付けず、特に女が嫌いで他人に興味を全く持たない子供だということ。
今まで多くの人間が彼に興味を示し、近寄って来たが見向きもしなかったこと。
そして自分のことに無頓着だということ。
なんでもかなりストイックな性格をしているとのこと。
昔は本当にポケモンにしか関心を示さなく、興味がなかったと。
それが何故、突然アヤだけに反応し一人の少女だけが興味の対象になったのか。
レッドとの出会いも聞いた。何でもシロガネ山で初対面して熱を出して倒れた彼を担いで家に連れ帰りボディークローをしたらしい。……アヤは初対面の人間に、そんな無体を働いたらしい。そんな気難しい人間にそんな事をしたら、助けたことはまあ感謝はされてもかなり警戒されて、それ以降は出来ればもう関わりを断つのが、普通じゃないのか。
そして割とアヤは早い段階で、彼に気に入られてその懐に滑り込んだ。
……そんな女に、好意を寄せるだろうか。
それはピカチュウだけではなく、今ここにはいない彼の仲間であるポケモン達がずっと疑問に思っていた事。それを静かに聞いていたオシャマリは1つの仮説にたどり着いた。
『(……他に、興味を持つことが困難な子が、突然人が変わったように彼は変わったと言うこと。それって、)』
いや。
それは有り得ない。
……でも。
母親がこんな特殊な化け物なのだ。全く有り得なくはなかった。
『(………アヤ、もしかして。彼に無意識の内に、“何か”したの)』
呪歌は、人の精神を狂わせる。
けれどアヤには今まで呪歌はなかった。生まれてから普通の子供だった筈だ。それはあの人と何度も確認した。何度も何度も。ユイもそうだ。だからレッドと出会った当時のアヤは普通で、何も無いただの女の子だったはず。
それに死ぬ間際に、二人の身体に眠っていたであろう僅かばかりの呪いも消滅させたはずだった。穢れた人の手で作られた自分の特異細胞は勿論、子供達にも遺伝している可能性が捨てきれなかったから。万が一、自分と同じにならないように。
自分と同じ最期を辿らないように。
そう願って、歌って、私は死んで行った。
『…………』
レッドに呪歌を、呪いを植え付けるようなことは不可能だったはずだ。
小さな頃に不要なものを取り除いたんだから。
普通の子供の、筈だ。
―――この前の、森に入るあの時までは。
『(あの子はもう、普通ではいられない)』
迷いの森に入った後のアヤは、今までとは全く別の生物だ。
自分と同じ運命を辿って欲しくは絶対になかったから、アヤが不可解な熱発を引き起こしたのが最悪“呪いの発現・転化”だと考えて、オシャマリはアヤの体内の不純物を取り除く為、全てを消すつもりで12日間歌いまくった。
体の中が人とは違うものに変わってしまったものはもうどうにもならないし仕方がないと割り切るしかないけれど、体内を長い年月をかけて破壊を始める不純な細胞を消さなければ。
まだ遅くはない。まだ間に合う。
呪いには呪いを。
けれど呪歌は強い呪いだ。完全に消し去ることは出来ないだろうが、自分と同じ最期を辿ることは回避出来るかも知れない。12日後、アヤは無事元気に回復はしたけれど。その体内は実質、どうなっているのか自分には分からない。
その手の研究者の者でないと詳しくは分からないだろう。……こうなったら毎日でも歌って悪いものを随時消し飛ばしてやろうと思っている。
……あの頃、日々弱っていく自分を、あの人はどんな思いで隣で見ていたのだろう。気丈に振舞っていた。大丈夫か、と。きっと良くなる、何とかしてやる、心配するなと。力強く背中を摩る手が、支える腕が僅かに震えていた事も分かっていた。
きっと気が気じゃなかった。一向に良くならない容態に、日に日に弱る自分の姿に。気付けばその人の瞳からは疲れたように、窶れて疲弊した様子が伺えた。
そして最愛の人が居なくなってすぐ。最後はまともに喋ることも起き上がる事すら出来なかった。
「母さん」
泣き言も。文句すら。一切言わず、最後まで看取ってくれたユイにはとても酷な事をして。
あんな人とは思えないような、肉と血液が溶けて腐って、崩れた姿を見られたくはなかった。あんな醜くおぞましい姿を見られたくなかった。
見せたく、なかった。
『(―――私は、生前。人獣だった。)』
人ならざる人の、人獣の末路。
成れの果て。
海魅の女の遺伝子と海の神の御使いのポケモンであるラプラスを掛け合わせて、人の手で生み出された化け物。何を目的で作られたかはわからない。
アヤとユイはそんな女の子供だ。
呪が発現し、転化したら“ああなる”。
苦しかった。
自分だけじゃない。愛した夫も、息子も、娘も。
耐え難く苦しかったのだ。
あんな思いを、アヤとレッドにさせたくなかった。
『(彼にそれを全て伝えたとしたら。もしかしたら遠い未来でアヤが私と同じような死に方を辿るかも知れない事を知ったら。それを見たら。彼はその現実に耐え切れるの)』
そんな懸念があったから。オシャマリはレッドにどこまで言うべきなのか分からない。
『(けれどレッド君は、多分“普通”じゃない)』
普通の一般的な家庭の人間ならそう簡単に生み出せることの無い強い感情。
強力な呪い。そして時折感じる強い神力。
『(彼はきっと、焔の家の子なのかも知れないわ)』
「―――焔の家になァ、ポケモンと喋れる子供が産まれたらしいぜ」
『(……いいえ。かも知れない、じゃない)』
「はぁ。ポケモンと、ですか」
「話しているのを見た奴らがもう神の子だの御子様だの騒ぎ立てて家中お祭り騒ぎ。最高傑作っつってたな。あのゴミ共。よくもまあ自分の子供をそんな風に言える」
「……それは、酷いですね」
『(…そう、確か。あの人は)』
なんと言っていたっけ。
「濡れ羽色の黒髪に、鮮やかな赤目。光に当てると大層優美な緋色に栄えるそうだ。そりゃあ見事にホウオウの神力を引き継いだような…な」
「…ポケモンと喋れることは、そんなに凄いことなのですか。………人とはおおよそ、かけ離れているから。人じゃないからですか」
「うん?……いんや、ポケモンと喋れる人間は実は少なくは無い」
「そうなのですか」
「ああ。幼少期からポケモン達の中で過ごしていると稀に会話が出来るようにもなるって話だ。……ああ、でもお前さんは半分ポケモンの血が流れてるようなもんだから、こいつらが何を言ってるのかわかるし、話ができるんだよな。羨ましいねぇ……、…あっ、おい。別にそう言う意味で言ったんじゃねェよ。…お前さんは“普通”の人間と一緒だよ。俺らと変わんねぇ。他人と比べてそう自分を卑下にするな。
問題はそこじゃねぇよ」
濡れ羽色の黒髪、鮮やかな赤目。
500年に一度の逸材だとも、“あの人”は言っていた。
オシャマリは“生前”、大切な人と過ごした思い出をゆっくり開いて、少しづつ思い返していく。確か、なんと言っていたか。自分は海魅家と言えど、海魅の血が半分流れているとは言え純粋な血を継いでいないものだから詳しい家の事情はあの人程、詳しくはなかった。
否、焔家については「あんなゴミのような家を知る必要が無い」とあの人や、その家臣達が必要以上に教えてくれようとはしていなかった。どうやら自分含めた、海魅家の女性を関わらせたくないらしい。
「あのゴミ屑共、あの坊ちゃんの“中身”を全くわかってねェんだろうよ。あの神力は……“ホウオウそのもの”だ」
あの人は、その子供の名前を。
「その坊ちゃん、レッドって言うらしい。逸材なのは本当だからよ。潰しちまう前にどうにかして、あの家からどうにか逃がしてやれねぇもんか…」
そうだ。
そうだった。
あの人は、焔の家のその子の名前を“レッド”と。
そう言っていたのをオシャマリは、たった今思い出した。
パチパチと大きく瞬きながらレッドを見上げるオシャマリに、彼は首を傾げる。
「……何か?」と問われればゆるゆると首を振った。なんでもない、と。
『(……まあ。まあ。…なんてこと。これも神様の導きなのか悪戯なのか。それか、運命なのかしら)』
オシャマリのとある仮説
仮説を立てた。
“根っからの人間嫌いな彼”が全く知らない“女”である少女に僅か数ヶ月で好意を寄せる可能性。
呪いによって彼の性格、感情そのものが、他ならないアヤに歪められている可能性を。
全く好きでもない人間を、あたかも自分から愛しているかのように錯覚して。
彼の感情を呪って、好きなように。一方的に愛されるように操作する。
そんな歪な、 呪い(アヤ) の 可能 性
ふる、とオシャマリは震えた。
実は蓋を開けたらそんなだった、とか。
だとしたらアヤは、本当に彼に愛されているのか。
今のこの時間は、ただのまやかしなのではないか。
アヤにとって都合の良い時間なのでは ない のか
彼の本当の心はどこに行ってしまったのか
いや、そもそも最初から存在なんて、
していなかったのではないか
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『………い、え。………まさか、ね』
アヤは生まれてからは、普通の女の子であったはずなのだ。
何度も何度も確認した。
“人間”と変わらない。普通の女の子。
呪われていない。
アヤは最初から造られた自分とは違うのだ。
そうであると、思いたかった。