act.82 目覚め





不重力の中にいるようだった。

体が浮いているようなそんな感覚。

目を開けているのに辺りは真っ暗で、本当に目を開けているのか分からなくなる。
ここはどこだろう、と考えてたぶん夢の中かなぁなんて漠然と思った。

夢だと気付かない時もあるけれど、大抵夢の中で「これは夢だ。起きなきゃ!」と分かってうんうん唸り続けていると不思議と夢から覚めるものだ。真っ暗はなんか嫌な感じで。早く目、冷めないかな、と思っていると。本当に嫌な感覚がした。


―――冷たい。

ぴちゃ、と音が足元から聞こえる。

足首が水に浸かっていた。

黒い水だ。

嫌な感じだ。

アヤは眉間に皺を寄せながらその黒い水の中をゆっくり進む。

嫌な感じだ。

怖さは感じないけど、なんか嫌な感じ。

けれどその感覚は懐かしいようなそうじゃないような。元々あった嫌な感覚が戻ってきたような、思い出したような。そんな感じ。ふとそう思えば、その黒い水面に自分の顔が映って。思わずしゃがんでじっと見つめていると水面に映った自分は勝手に動き出し、向こう側から手を伸ばして両手を引っ張られた。

ドボン、とその黒い水の中に引きずり込まれて沈む。

両手を痛いくらいに引っ張るもう一人の自分は。

怒ったように、酷く憎悪を燻らせたような目で自分を見ていた。

そして言った。



「―――、どうして。あなたがあの人の傍にいるの」



ぎり、と腕を掴まれて。ぐっと自分と同じ顔を近づけられて、目と鼻が付きそうな程
の距離で睨まれる。

その口から滲み出た言葉は呪詛のように聞こえて。アヤは困ったように、もう一人の自分を見て。



「―――わたしは、傍にいることすらできなかったのに」



“自分”は、泣いたように、怒ったように言った。



「返してよ。あの人は私のなのに。私のなの。なのに何であなたが、傍にいるの」



返して。そう言って怒って泣くもう一人の自分にアヤは怯んだ。

ズキ、と痛む胸の内は、知っている痛みだ。

何だっけ。何だっけ。



「アヤ」



暖かなものに包まれて、額を誰かに撫でられるような感覚。

よかった。ここにいたのね。

あれ、この声。誰だっけ?

気付いたらまた真っ暗な道を歩いていた。



「こっちよ、アヤ」



そう誰かも分からない声が聞こえて誰かに手を取られて、引かれて歩く。

姿はなかった。

ただ。じんわりと人の手のような感触に手を握られていることはわかる。誰?と聞くと返答はない。しかし自分の手を握っている感覚はある。



「大丈夫」



この声。誰だっけ。でもどこかで聞いたことある。何だっけ。誰だったっけ……。



「大丈夫」



声の持ち主はそう言って、アヤの頭を実体のない手で撫でて背中を押した。



大丈夫。

身体は作り変えられてしまったけど。

私みたいにはさせないわ。




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「……………あ れ」

「アヤ、」



ぼんやりと意識が水面上に上がってきて、真っ暗な視界が色鮮やかに染まる。まず目に入ったのは赤色である。心配そうに自分の顔を覗き込むレッドと、そしてピカチュウだった。アヤの目が開くとピカチュウは嬉しそうに「ピカァ!」と元気よく鳴いて。

瞼が重い。何回も瞬きをして今何時?と聞くと夜の10時だと言われた。



「俺が誰だか分かるか」

「……?レッドじゃないの…?」

「こっちは?」

「ピカチュウさん…」

「腹は減ってるか?」

「……あんまりへってない。でも、眠いや…」

「……意思疎通はできるな。良かった」

「……?」



意思疎通?え?何?どういうこと?

レッドの簡単な質問にアヤは首を傾げながら淡々と返すだけだが、そんなやり取りでもレッドはどこか心底安心したように溜息を着いた。

眠いながらもアヤは何で?と問うと、彼は少し考えるように口にした。ここ高熱を出していた数日間、アヤとの意思疎通がまるで出来なかったらしい。熱で意識が混濁しているせいなのか、時々目が覚めるアヤは最強クラスの眠気に抗っているような言動が多々見られていた。簡単な質問に対してとち狂ったことしか言わない。例えば、今何時?と聞けば「ヒスイ寒い」やら大丈夫?と聞けば「待ってるの。早く帰りたい」やらユイのことを「お姉ちゃん」なんて言うし。トイレに行くか?と聞くと「雪山で死んだ」やらお腹が空いたの?と聞けば「海の神様が怒った」など。あまりにも支離滅裂で、意思疎通できなくて。
名前は?と聞くと「食べられちゃった」など。

些か物騒な回答や珍回答が、熱で魘されて正気では無いアヤの口からポンポン出るわ出るわ……珍ワードのお祭りであった。

因みにまだその聞きなれない、物騒なワードがその他にも多々あった。アヤの中に誰か違う奴が入ってるんじゃないかと。また取り憑かれてるんじゃないかと思ってレッドが視ても特に何もいない。思わずギョッとして耳を疑うようなことを都度聞いたが。その中でも「海の神様」と口にしたアヤに、男三人は同時に反応した。

それはユイには……かなり馴染み深いものであるからだ。

勿論レッドも馴染み深い言葉ではある。

ユウヤもこの兄妹の実家をある程度知らされており認知している為、ピクりと眉を顰めた。



「(………?なんだ、偶然か?……いや、意識が朦朧としているからこそ、何かあるんだろうな)」



一応は海魅の血が入ったアヤはルギアとも間接的な関わりはあると思うし、ましてや女だ。元々女に強い神力だったり異能が備わりやすい家系であることは間違いない。

ここにいるレッドとユイは家柄が家柄なだけに霊的なものに対して一般人より理解があるつもりだ。またなんか変なものでも入ってるのか?と霊視をしてみるが特に変なモノが入っている様子はない。レッドは首を傾げて、時々変なアヤの様子を見て早数日。



「おはよう、アヤ」



体調を崩して高熱でダウンして10日。

それがやっと意思疎通ができるまでアヤの体調が戻った証であった。



「(……良かった)」



本当に、ユウヤの言っていた通りだった。流石元闇医者擬き。しかもオシャマリの言った通りにもなった。

レッドはアヤの様子を見て深々と安堵の息を吐く。
人間がこんなに高熱で寝込む事なんて滅多にない。このまま衰弱したらどうしようかと思っていた程だった。珍しく気が気じゃないくらい落ち着かず、レッドはほぼ動き回っていた。眠る気にならなかったからだ。ユイやユウヤがアヤの面倒を見ておくから少しでも寝ろ、と言われ強制的に横になったは良いが素直に眠れるはずもなく。殆どまともな睡眠を取っていなかった。

因みにオシャマリはアヤの顔の横で丸まって眠っている。
今の今までずっと歌い通しだったからだ。もしかしたらオシャマリがアヤに回復促進を促すような技をかけたのかも知れない。古代の城で見たあのどう見ても助からないようなゾロアの心臓が動き出す不可思議な現象が、もしオシャマリの仕業なのだとしたら。否、オシャマリの能力の一つなのだろう。

アヤの体調を治すことなど造作もない事だとも言える。

果たしてそれがオシャマリ種族が持ち得る特性なのかは不明だが。

特殊な個体なのか、希少な個体なのかはレッドにもわからなかった。



「…………ボク、また。迷惑を……」

「迷惑なんかじゃない。……が。めちゃくちゃ心配はした」



はぁ、と息を着きながら、彼はアヤの体温を測り始める。37℃と表示された体温計を見てベッドの端に置いて。一度アヤを起こし水分を摂らせた後、直ぐに横にしたレッドの表情にはいつもより若干疲労が滲み出ていた。

思わず手を伸ばしてレッドの手を引っ張る程、アヤには見過ごせるものではなかった。何故なら、こんなに活気の無い彼を見たのは初めてだったから。いつも無表情とされるレッドを他人から見れば「?」と違いが分からないだろう。しかし毎日レッドの顔を拝んで見ているアヤにとって、その変化はあまりにも大きい。

「一緒に寝よう」そう言って重たい体を少しずらして、アヤはスペースを空けた。

ぶっちゃけアヤは状況があまり分かっていない。

体がとても重たいのと、瞼が今にも閉じそうな程眠いのと、少し体が熱っぽいのと。

自分が一週間以上も熱で寝込んでいたのも言われるまで気づかないだろう。

ただ、ちょっとしんどそうな彼が心配で。体をずらすと少し間を置いて隣に潜り込んで来るレッドの気配がして当たり前のように抱き込んで来る。抱き寄せられて顔がレッドの首元に埋まる。暖かい。やっぱり人肌っていいなぁ。そう思って、アヤは再び眠りに着いた。







目覚め

今まで夢を見ていた気がするけど、なんの夢を見たのだったか。

もう覚えていない。








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