act.79 兄襲来





「レッド君、アヤちゃんの体調に変化があったら何でも。些細な事でもいいから教えてくれる?」



「ーーーーー、」



レッドは、不意にそうユウヤに言われていたことを思い出した。

コンビニでアヤが食べれそうなものを吟味、購入しながら彼はふと思い出す。

それは以前、アヤの兄に直接会った時の事。彼の隣に居た、女だか男だかよく分からん男であった。チャイナ服の上に何故だか白衣を纏ったその奇抜な男は医師なのだという。このユイ率いる強面軍団の…云わば保健室担当。

“健康診断”をすると言う名目でアヤを引き摺って行くその顔は何ともまあ嬉しそうな顔で。新しい玩具が出来た、みたいな。そんなワクワクした顔をしていた何とも危ない男だったことを記憶している。



「これからもアヤちゃんが元気にすくすく育つには、大切な事だから」



それにキミはアヤちゃんが、とっっっても。大切だものね?

そんな男から真面目にそう言われて、強調されるように言われてしまえば素直に頷いてしまうのは仕方がないと思いたい。

それにあのモニター越しで兄から依頼を受けた時、直接対面した時とは打って変わってアヤへの態度というか。それが少し違っていた。この兄妹、仲が悪いのかと思ったのだ。兄も妹への当たりが強く、手も普通に出る。兄であろうとアヤに暴力を振るうような男になど二度とアヤを近づけたくはない。今後アヤと接触する時は警戒する必要があると思っていた。

それなのに。

あの男、アヤが見ていない影では随分と妹を大切にするような男であった。

しかもかなり分かりにくい範囲で。

それは妹を見る視線だったり、第三者からの妹の普段の状況などを遠回しに情報収集したり、など。恐らくまだレッドが気付いていない部分でもまだありそうだ。
そもそも妹に服を作って送るって事自体、それが答えみたいなもんだ。嫌いならそんな面倒なことなど一切する筈がない。

そしてそれに比例するように、一件ふざけた態度を取るユウヤもアヤへの扱いはとても丁寧だった。



「(…………アイツ、まさかシスコンな訳じゃ……)」



こんなこと、ユイに言えば拳が飛んできそうだ。

と。そんなことを思い返しながら、レッドは彼の言葉を思い出してユウヤへの通話を迷うことなく入れるのだった。





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そしてアヤが熱発して4日目の朝。



「やぁ」



ニコ、と笑って挨拶されるがレッドの表情は変わらない。無表情に毛が生えた程度に会釈したレッドと、プテラの背中に乗り襲来したユウヤと、そしてそのアヤの兄である男。二人揃ってライモンシティへとやってきた。

昨日の昼間。レッドはユウヤに通話ボタンを押して僅か2コールで電話に出た彼に真っ先に問われたこと。



『アヤちゃん、何かあった?』



開口一番にそれだった。

『テレビ通話にしてもいいかな?』と問われて画面が切り替わり、その女だか男だか分からない顔が画面に映し出される。もしかして妊娠しちゃった?なんておちゃらけて言う割りには目は笑っていない。真剣に、アヤに何かあったかそうでないかを聞き入れようとする姿勢には流石、医者を名乗るだけあるとは思った。

彼は何かあったのなら現状と過程を知りたいだろう。

レッドは簡潔に「些細な事でもいいから連絡しろと言われたから連絡した。アヤが3日前から熱発していて、それが徐々に熱が上がってきている。解熱剤や点滴を今服用しているが改善の兆しが全く見えない」そのことを伝える。
そしてアヤの熱発の様子やその状態を伝えるとユウヤは少し考えて、『………よし、わかった。そっち行くよ。どんな感じなのか直接診たい。場合によっては数日間付きっきりでみるから』なんて言った。



「(―――今?)」



レッドは軽く目を見開き、今から来るのか。と少し驚いた。

ジョーイでもお手上げ状態の所に、人間もポケモンも診れる医者が付きっきりで診てくれるのは正直有難い。病院に行くことも考えたが、例え医者だとしても見ず知らずの赤の他人(レッドは基本的に懐に入れた人間以外は信じられないし嫌いだった)にアヤを任せることに抵抗があったレッドは願っても無いことだったから。

まあそれなら、とライモンシティのポケモンセンター、宿泊部屋番号を伝えると彼は頷く。『予想以上に早く到着出来ると思うから』なんて微笑んでいる。じゃあ切るね、とユウヤは手を振り、通話が切れる間際。

ユウヤは叫んだ。



『ユイーー!!アヤちゃん妊娠したってっーーー!!!』



ガシャンッッ!!ドゴォッ

ーーーブツッ、



「…………」



このチャイナ、人をおちょくるのが趣味なのかも知れない、とレッドは思うのであった。

そしてそんなこんなで、昨日連絡してシンオウ地方から一日でイッシュ地方へ来れるとは。中々やりうる。しかも空を飛べる飛行タイプのポケモンはユイのプテラ一匹であるにも関わらず、二人乗せて僅か一日で滑空出来るとは。リニアで来ても良かったのでは?とも思ったがリニアだともっと時間がかかる為、空からの移動にしたのだろう。

夕暮れ時のライモンシティの外れにある場所で二人を出迎えたレッドは軽く会釈するように帽子を取って挨拶した。ユイもユウヤもライモンシティに来たのは初めてなのだろう。ユイは煙草を吹かしながら、ユウヤは周囲を見渡して「うわぁ。広いし大きいねぇ。近代的だ」と言いながら大きな鞄を背負い直す。



「愚妹はどうだ」

「寝てる」

「熱はどう?」

「朝に測って、39.5だった」

「39.5ねぇ…んーー…ここまで続くって、本当に“風邪”かなぁ」



三人は挨拶をそこそこにし、ポケモンセンターに早速入りジョーイの元へ向かった。長時間滑空をしたプテラを預けたユイを尻目に、レッドは宿泊部屋へと歩いていく。
ガチャ、とカードキーを使って部屋への扉を開けたレッドは二人を中へ通した。

すると案外あんなにドスドス歩いていたユイの足音は静かになり、着ていたコートを椅子に掛けた。ユイとユウヤはそれぞれ持った荷物を適当に置くと寝室へ直行し、ベッドに汗を滲ませながら赤い顔をして突っ伏して眠る妹の顔を見て眉間に皺を寄せて睨んでいる。オイ、頼むから何もするなよ。病気になってダウンしている時くらい何もしてくれるなよ。

そう思いながらレッドは熱を出した日の事から詳しく話し始める。
四日前風呂で溺れてから徐々に熱が上がり始めているが、解熱剤と点滴を使用しても解熱しないこと。寧ろ悪化していること。

そして、数時間の内に必ず目を覚まして食事や水分を採ってから再び眠るのを繰り返しているのに、朝から一度も目を覚ましていないこと。

それを聞きながら、ユウヤは既に触診を始めていた。首や額に手を置いて、何故か閉じた瞼を開き眼球のチェックなどしている。聴診器を取り出して心臓の音や、そして腹や喉に聴診器を当てて何かを聴いている。滲んだ汗や口を開き、中の唾液を綿棒で採ると試験管の中に入れて保存する。

レッドとしては、そこから違和感だった。



「(何を…診ようとしている?)」



ただの風邪ではないのか?

暫くして、ユウヤは注射器を取り出してアヤの手首から少量の血を抜き取り始めた。



「レッド君、多分なんだけど」



彼は、注射器を刺し、そこから目を離さずに淡々と言う。



「ああ」

「きっと解熱剤は飲んでも効かないよ」

「……なぜ?」

「点滴はしてても大丈夫。脱水とかなったらまずいからね。まあ解熱剤は気休めでもいいから飲ませて上げるといい」

「原因は?」

「アヤちゃんの、身体の問題。そもそも風邪じゃないから解熱剤は効かない」

「風邪じゃない?」

「それも含めて、今度君がこっちに来た時にユイから詳しく話してくれるよ」



抜き取った血液を鞄に収めたユウヤは立ち上がった。



「たぶん、10日〜15日の間に症状は落ち着くよ」



だから、入院なんてしても解熱なんてできないから意味が無い。
ずっと寝込みっぱなしで凄い心配にはなるだろうけど、死にはしないから大丈夫。こればっかりは熱が徐々に下がるのを待つしかない。

そう、彼は言った。



「さて。僕が知りたい事は知れたし、ちょっとライモンシティで買い物して行こうかな〜!レッド君付き合ってくれる?荷物持ちに必要だから」

「は?おい、待っ…」

「大丈夫大丈夫。アヤちゃんはちゃーんと、ユイが見ててくれるから」



ズルズルとレッドは引きずられ、室内から退場した。

バタン、と扉が閉まり賑やかだった室内が静寂に包まれる。暫くアヤの顔を見ていたユイは深く呼吸し、ベッドへ落ちるように乱暴に腰掛けた。ボスン、とアヤごと振動で跳ねる。



「…………」



寝床に伏せて眠るアヤは、いつぞやの母親を思い出させた。

思い返せば、ユイの大半の記憶は寝床にいる母親の記憶が多い。立って歩いて、動いていた時期なんてユイが覚えている限り少ししかない。記憶の中の母親は優しく、やんわり微笑んでいるが、それも束の間。

最後はベッドの中で膿と血に塗れて、裂けて溶けて死んで行った。

母は、美しかった。

その影が無くなるくらい、最期は人の形をしていたかどうかもわからなかった。

否、火葬する前の姿を怖くて確認出来なかった。



「…………、愚妹よ」



上気し、汗ばんだ頬から玉のようになった汗が流れ落ちる。
アヤの張り付いた前髪を払うと、いつしかのピシッと母親の頬に亀裂が入り膿が散った映像がフラッシュバックして。一瞬、呼吸が止まった。

けれどそれと反するようにアヤはもぞもぞと動き、その手を追うようにぴとりと頬を寄せた。冷たくて、心地良いのだろう。硬直して冷たくなった指先にじんわりと高い体温が伝わって、じわじわ解けた。



「(もう、“転化”が始まってるのかも知れねぇ)」




まだどうなるか分からないが、母親の二の舞には絶対にさせたくは、なかった。

己も含めて。

今自分の手元にある“資料”はまだ少ない。データを回収し、一体何が目的で研究を続けて、そして母を作ったのか。母は、一体何なのか。自分達は、結局何なのか。そしてこれ以上同じような犠牲を出さない為に、母と同じ未来を辿るかも知れない自分達の行く末を回避する為に。

根こそぎ母に関わる研修所から打開策を調べて潰して行くしかない。

もし、あの時の自分が今のように調べる力があれば。…力があれば。

母を救えたのかも知れない。

子供で何も出来なかったとはいえ、父親に全てを任せてしまった自分をぶん殴って、一緒になって調べていたら。自分にもっと立ち向かう勇気があれば。大人だったなら。

父を救えたかも知れない。

あの時。あの時。あの時。

自分がもう少し大人だったなら。今の自分だったなら、

今も。家族4人で暮らせていたのかも知れない。



「(何とか、しねぇと)」



ユイは自身の手に引っ付いている妹の顔をそろりと撫でて、汗を拭った。







兄襲来



夢を見た。

あの横暴で、自分の事が大嫌いなはずの兄が自分の頭を撫でてくれる夢。

ぼやけた視界の中、水に沈んだように何かを言っていたけどくぐもっていて分からなかった。それでも、自分に優しく触れてくれる手はアヤにとって嬉しくて。まるで昔みたいに接してくれる兄が嬉しかった。

優しい兄が好きだった。

今はこんなんでも、兄の本質は優しいことは知ってる。今の自分にはもう優しくないけど、なんでこんなに嫌われてしまったのかは分からない。ただ、自分のことは大嫌いだと、死ねばいいのにって昔言われてしまったけど。

それでもアヤは兄が好きだった。

優しい兄が、好きだった。

だから、そんな兄が自分の頭をむかしみたいに撫でてくれるのが、夢でも嬉しかったのだ。



「おにー、ちゃん」



夢でも良いのだ。夢でもいい。

自分は兄が大好きだ。

昔と変わらない優しい手が、大好きだった。

これ以上嫌われたくなくて、必要以上に関わりたくはなかった。

けれど夢なら大丈夫。撫でてくれる手が、兄の手で撫でられると夢でもこんなに嬉しい。その手を両手でぎゅっと掴んで頬を寄せて。おにーちゃん、と言えば兄は息を呑んだような気配を感じた。

頭が痛い。暑くて苦しい。もう少し夢を見ていたかったけど、また視界が酷くぼやけた。夢の中なのに睡魔があるのは不思議な感覚で。何かを言っている兄に背中を抱いて起こされ、口に何かを入れられた。小さな粒みたいな……薬だろうか。ペットボトルを口に付けられるが上手くそれを飲み込めない。兄はため息をつきながらペットボトルを自分で飲み、口に含んだそれを自分の唇に付け口内に直接送り込んでくれる。普段だったら何してくれてんじゃ馬鹿兄やら、文句の一つや二つあるだろうが、その前に本物の兄なら絶対するはずないことをしているからやっぱりこれは夢なんだな、と思って。

夢ならいいや、と思って。

アヤは兄に欲張ることにした。

だって喉も乾いているのだし。

そう思ったアヤは両手で兄の服をぎゅっと、掴んだ。








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