act.78 存在意義(メゾンデートル)




寒い。

悪寒が止まらない。

まさかここまで悪化するとは。

熱が出てからもう既に3日が経過しようとしていた。

ピピピ、と熱を測った音がしてアヤは朦朧とする意識と視界の中、レッドの顔を見た。



「(39.1……徐々に上がり続けてるな)」



体温計を持ったレッドが、眉を寄せるのを見てアヤは再び眠る姿勢になった。喋るのも億劫だった。迷惑かけてごめん、手間かけてごめん、などなど。色々伝えたい事があるが、それを伝えることすら億劫で。

ひたすら眠り続けたい。



「(あたま、痛い)」



レッドが頭の下の氷枕を取り替える気配がしたが、アヤは耐えきれずに眠りに落ちた。





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「39.5……熱が出てからもう3日ですが…薬を飲んでいても下がる気配がありませんね。念の為点滴を投与しますね。それでも下がらなければ、一度ちゃんとした病院へ行った方が良いかも知れません。万が一、変な菌に感染していたら大変ですし」

「……そうします。ありがとうございます」



レッド達が泊まる宿泊部屋に来ていたジョーイは、予め用意して持ってきていた点滴台をセットしてベッドの横に置いた。

ジョーイは案外、ポケモン以外の人間を治療することも少なくは無い。ポケモントレーナーや、ポケモンを連れて旅をする人間は何かと無理をする輩が多いからだ。これまでポケモンに攻撃されて骨を折ったトレーナーや、崖から落ちたトレーナー、ポケモンの技受けてヘロヘロになったトレーナー、毒タイプや草タイプの発する何かを吸い込んで体調不良になったトレーナーを何故か一緒に治療することも多い。

だからジョーイにとって、ただ熱発しただけのトレーナーを介抱するのは造作もないことだった。

……だった、のだが。



「何かしら……ただの質の悪い風邪だったら良いのだけれど」



この3日間、アヤは寝ては起き、寝ては起きてを繰り返していた。
ただ熱は徐々に上がり、意識は朦朧としている。受け答えはできるが、全く喋れない訳でもない。食事や水が飲めない程、衰弱している訳では無い。

少し動いて、それで体力を使い果たして眠る。そして回復してまた少し起きる。

……を、繰り返していた。

では、また何かあったら直ぐにお知らせください。
そう言って、ジョーイは自分の仕事場へ戻って行った。パタン、と閉まったドアを見遣りレッドはアヤが眠るベッドへ腰掛けた。汗ばんだ額をはらい、冷たいタオルで拭う。

少し買い物に出かけたい。しかしアヤを残して出かけるのは少し…いや、かなり躊躇がある。なんとなく、この状態のアヤを一人にはしておきたくなかったからだ。



「マリリ」

「アシマ……いや、オシャマリ。調子はどうだ」

「マリ、マリ」

「…そうか、それは良かった」



ベッドに腰掛けるレッドの隣に、もう一匹。

ちょん、とベッドの端に座るのはオシャマリだ。先日、森の中でアシマリから進化したらしい。森の中でペンドラーにだいぶ痛め付けられたオシャマリは毒も浴びて検査入院を余儀なくされていたが、先程ジョーイが来訪した時に一緒に連れて来られた。



「毒も抜け切ったので、オシャマリだけお返し致しますわ。数日様子を見て体に異常はなかったので、もう大丈夫ですよ。……チュリネはまだ時間がかかりそうですが、」



そう言ったジョーイにレッドは頷いて、そのオシャマリが入ったモンスターボールを受け取った。チュリネはどうやら死の峠を越えたらしい。最悪、連れ帰った時から持って今夜中だろうと思っていたのだが。しかしこうして3日が経ち、頑張って生命線を掴んでいる。物凄い生命力だ。しかし未だ昏睡状態らしいので、油断はできないが……。

ボールから飛び出したオシャマリは元気そうで、キョロキョロと周囲を見渡して、アヤを見つければ一目散に飛び跳ねてベッドへよじ登る。アヤが熱でダウンしているのを察したらしい。ペタペタとアヤの頬をその平べったい手で触り、『…良かった、大きな怪我がなくて』そう呟いて、オシャマリは頬擦りをした。



「マリ?」

「今日で3日目だ。徐々に熱は上がってる。森から帰ってきてすぐ、風呂に入ってそのまま……中で溺れてな」

「マリ……」



まぁ、そうなの。そう言ったオシャマリは暫し何かを考える仕草をして、レッドに言った。『私がアヤを暫く見てるから、貴方は少し休んで。まともに寝ていないでしょう。買い出しもあるのでは?』そう言った彼女に、レッドは少し言葉に詰まる。

本当なら離れたくない。もしその間に何かあったら?



『大丈夫。……しばらくアヤは起きないわ』

「…何故それがわかる?」

『分かりますわ』



だって、この子は私と同じ。



『大丈夫。あと一週間くらいで、熱も引くわ』

「……どういう」

『平気。ちゃんと元気になる。……ね、アヤ』



オシャマリはそう言って、アヤに頬を寄せ微笑んだ。

断言するような、そんな彼女にレッドは訝しげに首を捻った。自分より、アヤを知っているかのような。自分よりアヤに詳しいかのような。

そんな口ぶりが彼は気に触った。



『主人』



己を呼ぶ相棒の声にレッドはチラ、と視線を寄越す。
寝室へと続く僅かに開けられた扉から顔を覗かせている黄色い物体……ピカチュウは諭すように、静かに言った。



『大丈夫。彼女の言う通りに。……この子は、“安全”だよ。平気。絶対にアヤを悪いようにはしないし、多分死んでもアヤを守るよ』



この前の森で起きた時みたいに。

そう言ったピカチュウの言葉を辿って、レッドはこの前のことを思い出す。
アヤに抱えられたオシャマリは酷い具合に痛め付けられていた。あんなにボロボロになって毒で浸されて尚、レベル差もあるだろうに。あれだけの野生ポケモンとペンドラーが周囲にいてアヤに怪我ひとつないということは、オシャマリが必死になって守ったのだろう。

ピカチュウの助言もあって、レッドは暫し考えた末、息を着いた。



「………迷いの森では、アヤが世話になったな」

『……?私は、この子のポケモンよ?』

「それ以前に、こいつは俺にとって大事な人間だ」



少し買い物に出てくる、その間頼んだ。と、帽子を被ったレッドはサザンドラだけを連れて部屋を出て行った。きっと直ぐに戻ってくるだろうが。レッドはアヤのポケフォンをピカチュウに手渡すと、「何かあったら俺にワン切りしろ。ここの電源を入れてこのボタンを押すだけでいい」そう指示を受けると頷きながらピカチュウはポケフォンを抱えた。
パタン、と静かに閉まった玄関の扉にピカチュウはぐっーと伸びをして、受け取ったアヤのポケフォンと一緒に『何かあればジョーイを呼んでくるから異変があったら直ぐに言って』そう言って寝室から出て行った。

途端に静寂に包まれる空間に、オシャマリはアヤの顔を眺める。



『ーーーアヤ』



変わってしまうの?

あなたも。

駄目よ。私みたいになったら。

駄目に決まってる。



『目が覚めたら、あなたはきっと変わってしまう』



きっと身体が変化していることにあなたは気付かないでしょうけれど。

どこまで出来るか分からないけど。

わたしは。今はポケモンの肉体を持ってはいるけれど相変わらず呪いは…呪歌は健在だった。転生して新たな肉体を経て尚、呪いは次の生にも付き纏うらしい。



『任せて』



さあ歌いましょう。

私は生前、混ぜられて造られた。

海魅の人間の遺伝子と、海の神である御使いの化身であるポケモンを掛け合わせて。

そうして造り上げられた果てに、愚かにも人間が勝手に手を加えたから。

穢れて、汚れて、歪に歪んで。

魔が宿り、呪いが宿った。

そして自分が紡ぐ歌には、歌を聞いた者のありとあらゆる細胞を支配下における。


海魅家は。海の神を崇めて歌で清め讃え、穢れを祓ってきた。

けれど私のソレは。

ただの呪いだ。

“呪歌”だ。

こんなもの、綺麗なものでもなんでもない。


正常なものから書き換えられた私の特性はね。

それは、



「お前はねぇ。神様に歌を歌う為に造ったんじゃないんだよぉ。僕ら人間の為に造った、人間の為に歌を歌う人形。

―――お前はねぇ。僕の、ステキなお人形さん」




歌を歌うこと。

神に、じゃない。

人間のために歌うこと。





それが“私”の、存在意義(メゾンデートル)。









存在意義(メゾンデートル)




「お前はねぇ。神様に歌を歌う為に造ったんじゃないんだよぉ。僕ら人間の為に造った、人間の為に歌を歌う人形。

―――お前はねぇ。僕の、ステキなお人形さん」



造られて、生まれてから、“自我”を持って。

言葉を理解し始めた頃。

“ワカナ”を造ったであろう子供のような見た目をした男からそう言われたことがある。


彼女は、呪いそのものだ。

人の手により勝手に作られた呪い。

その異様な熱発は、彼女にも覚えがあった。

“身に覚えがあった”


そしてその熱発の12日間で、アヤの身体が徐々に書き換えられて行く事となる。








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