act.75 微弱な歪み





なんか体が重いなぁ。

なんて思ったのは帰って来てすぐの事だった。

夕方を通り過ぎてもう時刻は18時を差していた。チラチラと家内の灯りが着き始め、街灯も点灯して街中を照らす。迷いの森で人喰いとポケモンの同士の暴食騒動があった事は瞬く間に町中に知れ渡り、怖いもの見たさの若いトレーナーや噂好きの人間達が浮き足立って迷いの森方面の入口へと歩いて行くのをアヤはぼんやりと見ていた。

「久々にポケモンが人を襲った、食べたって噂だよ」「うっそー!やっば。なになに、どこ?」「迷いの森だって」「えー!?だってあの森のポケモン達、比較的に穏やかじゃんっ」「ねっそうだよね。野生のポケモン同士の共食いも凄いんだって。見て、SNS。ヤバいっしょ」「…………うわ〜激ヤバ…ガチじゃん…」「現場、まだ残ってんのかなぁ」「ワンチャン見れるかもね。行ってみる?」「もち!夕方だし、軽い肝試しみたいな感じだよね」「ね〜死体が動いてたらどうしよう。そんなん見たらおしっこ漏らす自信しかないわ」「あはははは」…………なんて。

どこが面白い話題なのだろう。

たぶん、最近の情報の周りはとても早いから今頃迷いの森の入口は野次馬でごった返しているかもしれない。人間は基本的に、非日常的な話が大好物だ。妄想を膨らませたり目で楽しんだり、聞いて楽しんだり。主に話のネタとしては最高な話が。



「(もう死んでも関わりたくないや……)」



そんな命に関わるような出来事なんか、首を突っ込みたくはなない。
昔はまだ無謀なことも沢山していた。悪人面ってサイコー!とか思って怖いもの見たさに馬鹿みたいなことを思っていた時もあった。けど成長すればやっちゃいけないこと、いくらテンションや気分がハイだからといってやってはいけないことくらいわかるようになる。

いつしか、もう無茶なことをする年齢ではないのだし。もう年相応の立ち振る舞いをしなければ。そう思って。

サザンドラの背中に乗せてもらった二人はライモンシティへ戻りポケモンセンターへ急いで戻れば、アヤ達は真っ先にポケモン治療室へと向かった。レッドとアヤの顔を確認したジョーイは笑顔で「ああ、良かった」と一言。



「大事ありませんよ」

「ほ、本当ですか…?」

「ええ。まずオシャマリは致命的な毒は抜けていましたから。応急処置が良かったのね」

「(お、オシャマリって言うんだ…)」



ライモンシティのジョーイとはレッドもアヤも、既に顔見知りの仲になっている。滞在時間も長い上、利用する回数もなかなか多かったからだ。

特にアヤはゾロアやアシマリを数回預けているから、トレーナーカードも渡している為顔や身バレは勿論のこと、レッド本人のことも情報が筒抜けである。
他地方の有名人が二人、こうして長時間自分の管轄であるポケモンセンターを利用していれば変装なんかしていてもジョーイが彼らを見れば「ああ、あの子達か」と一目見て分かってしまう。

アシマリは進化して姿が変わってしまったが、身体へのダメージは打撲と擦り傷とそんなにないものの、体内へ蓄積された毒が抜け切っていないから今日一日〜数日。毒抜きを要する。そして、肝心のチュリネと言えば。



「チュリネの身体の損傷が激しすぎます。内臓破損、頭の葉っぱや身体の三分の一が損傷しています。………このまま、今夜中に息を引き取ることも視野に入れておいてください」

「……は、い」



やはり危篤状態のようだった。

アヤがそのチュリネを見つけた時は、ペンドラーに踏み付けられていた時だ。他のチュリネをバリバリ捕食しながら、逃げないようにとチュリネの体を踏みつけ、土に押さえていた。そして頭の葉っぱを毟り取られて足を、胴体を食われていたから、最悪もう治療をしても助からないかも、とは思った。



「でも、希望は捨てないで。チュリネは草タイプのポケモンですから」

「え?」

「頭の葉っぱが残っていて良かったわ。あの葉っぱにはね、栄養が多く詰まっているの。元々栄養が葉っぱに流れすぎない為に定期的にチュリネは葉っぱを落として生え変わらせているから。だから葉っぱが食べられようと生命に別状はありませんよ」

「そ、そうなんですね」

「ええ。でも、無くした下半身までは再生できるのかは分からないわ。こればっかりはチュリネの生命力に限ってくるけれど…。草タイプのポケモンは人工的に治療するより、自然の日光に当てたりする方が回復効果が見込めるんです。できる限りの治療は施しますが…」

「……お願いします」

「最善を尽くします」



そう言ってジョーイは仕事場へ戻って行った。

部屋へと続く廊下を歩きながらレッドは「あのチュリネはどうした?」と。アヤはそれを聞かれてなんでだっけ?と思い返しながら、「食べられているのを見て、つい、カッとなって……」と思い出しながら答えるが、何でカッとなるほど怒ったんだっけ?……ダメだ。何だかボーッとする。体が重い。自分が思っているより相当疲れているようだ。



「(………早く、寝たい…)」



眠くて眠くて仕方が無い。

アヤのそんな曖昧な言葉をレッドとピカチュウは聞いて、呆れるように溜息を着いた。



「いや、お前な…そこは逃げろよ」

「ピカ…」

「あれだけ野生を喰い散らかしてたならもう他は一緒だ。アシマリが食われそうだったなら話は分かるが、」

「うっ…ご、ごめん…」

「…………いや、怪我がないなら良い。だが、そこら辺しっかり見極めろ。死んでからじゃ遅い」

「はい…」



確かに。軽率な行動をした自覚はある。

けど、何で怒ったんだっけ?何を見てカッとなったんだっけ。
チュリネを見て、怒ったんだっけ…。

それに、どうやってペンドラーからチュリネを奪い返したのか良く覚えてない。



「お前が死んだら俺も迷わず死ぬからな」

「えエッ!?」

「死なせないが」



その目は本気なのか冗談なのか。

ピカチュウは思う。あの目は本気だよ、と。




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風呂入って来い、というレッドの言葉に素直に頷き、着替えを準備して風呂場へ向かった。「夕飯は後でセンターの備え付けにあるバイキングで済ませるか、それかデリバリーで済ませるかどっちか好きな方で考えておくこと」というレッドの言葉に、はーいと返事をしながらアヤは脱衣所で服を脱いでいく。



「……んー」



実はそんなにお腹空いていない。
いつもなら必ずお腹が空くし、今日だってあんなに動いて走ったのだからお腹ペコペコになってもいいはずなのだが。全く空腹感がない。

風呂場の扉を開けて閉めようとすると、ピカチュウが何故か一緒に滑り入って来た。



「ピカ」

「あれ、ピカチュウさん、一緒に入るの?」

「ピー」

「うんうん、じゃあ一緒に入ろうか」



ピカチュウが小さなスポンジを持っているが、午前中に一緒に買ったものだ。
どうやらテレビか動画か何かで見て「あれ使ってみたい」とレッドに直談判したそうな。洗面器にお湯を溜めてピカチュウの前へ置けば、スポンジをお湯に浸してそれをアヤに見せてくる。ピカチュウの言葉は分からないが、彼が何をして欲しいのかピンと察し、その濡れたスポンジにボディソープ(レッドチョイス定価4980円)をワンプッシュ。モコモコになる泡でピカチュウは全身を洗っていた。
何だかアヤも使いたくなって、ピカチュウからスポンジを手に取ったアヤは小さな黄色い背中をスポンジでワシャワシャと洗い始める。

あっという間に泡の達磨になった。

シャワーを出しっぱなしにしていつでもピカチュウが洗い流せるようにすればアヤは今度は自分の頭を洗い始める。シャンプーでワシワシ洗ってコンディショナーをベタベタ付ければ自分のキューティクルが復活したような気がした。



「(…………あっつい……)」



風呂場が暑い。換気扇は入れただろうか。シャワーで頭を洗い流し、体を洗っていると背中にモコ、と何かが擦れるような感覚。ふと見ればピカチュウがアヤの背中をスポンジで一生懸命擦っていた。お返しだろうか。微笑ましく思って「ありがとう」と伝えれば「ピーカ」と返事が後ろから聞こえる。

それにしても、暑い。水飲みたいな、と想える程には喉が乾いていた。

シャワーで全身洗い流し、湯船にふらつきながらも浸かるとどっと体が重くなった。

体が重い。凄く、疲れている気がして。ふぅ、と一息着く。



「(……あの子は、誰だったんだろう)」



森の中で見かけた小さな女の子。

自分の幼い頃にそっくりだった。

喉が痛い。

アヤはさっきから喉が枯れているのを気にして「うぅんッ」と咳払いをした。「喉潰したのか?」と真っ先に気付いたレッドに「森の中で散々叫んだから」と言って。喉が枯れたきっかけは、あのペンドラーとの戦闘だった。スピーカーを作り上げて、アシマリのハイパーボイスの威力を最大限まで引き上げようとした。それで、アシマリがハイパーボイスを使用したら、思った以上の、予想を遥かに越える威力で。
その重低音に釣られるように、自分の喉から何かが出た、ような。

ペンドラーがチュリネを捕食したのを見た時、どうやってチュリネを助け出したのだっけ。

思わずカッとなって何かを叫んだ気がする。



「………何か、思い出したんだっけ」



そしてまたレッドに助けられて。



「……ずっと、助けて貰ってるなぁ」



手間をかけて悪い、といつも思ってる。
実はというと、レッドと居ると何かしら迷惑をかけて手間を取らせている回数があまりにも多い。一人でいる時よりも、そうだ。一人で旅をしていた時よりも、格段に何かに巻き込まれたりする回数が多くなった。何でだろう、とも思わなくもない。

助けられる度に申し訳ない、迷惑かけてごめん、と思うと同時に彼に何度も助けて貰えるその事実に大切にされていると実感できて。

少し、悪い気持ちになる。

心配して貰えるということは自分に興味があるということ。

何かあった時に真っ先に自分の元へ駆け付けて、一番に助けてくれるということは自分が大切だということ。

死にそうになっていた自分を見て、前回の時も今回の時も怒っていたこと。

自分は、彼に愛されているのだということ。

とても、ずる賢こく、悪い気持ちであるということは自覚している。

けれどそうしたことで彼の気持ちを確認できて、とても、それは嬉しい。



「(なんて不謹慎な、)」



レッドは本気でアヤの身を心配して、案じている。
生命の危機に晒されているアヤに対して、その原因への強い怒りとアヤへの加護欲、彼の執着心を感じることがアヤは好きだった。

それはここ最近のレッドの異常な執着心と異様にアヤに尽くす彼の行き過ぎた奉仕でアヤの性癖が僅かに歪められた証拠だった。

こんなこと、思っては絶対にダメだ。

レッドの気持ちを玩具のようにして、手に取るように分かる重い執着と愛情が、アヤには心地良かった。



「(……ボク、……さいてー…)」



愛されることがこんなにも心地良いなんて、今まで経験したことがなかったからだ。

この旅を始めて色んなことがあったけれど、それでもこの旅が嫌だとは思えない。

色んなレッドを知れる。色んな彼の表情や心の内側が見える。



「(……………ねむい)」



いろんなことを、考える。

自分のこの汚い気持ちが知られてしまったらどうしよう、だとか。でも言わなければ大丈夫、だとか。きっとこれから先もレッドは自分の傍にいてくれるだろうという確信がある。自分の隣で、守り続けてくれる。
それにそこまで過保護にならなくてもいいと。そんなふうに守ってもらわなくても大丈夫だと、嫌がっても絶対に受け入れてはくれないだろう。もし自分が彼から逃げてしまった時は、どうなるのか。そんなことを考えて。きっと彼の凄まじいまでの執着心で持って地球の裏までも追ってくるだろうな、と考えて。



「……ふふ」



“アヤ”は笑った。



「(きょうは、つかれた)」



暖かなお湯に微睡みながら、その揺れる水面の奥でアヤに良く似た少女を脳裏で思い出す。

“少女”は笑った。



“疲れたね。眠ろう”



「(ねむたい)」



眠たくて眠たくて、

かくん、と水面に顔面が沈んだ。








微弱な歪み

呼吸はどこからしていたのか。

入り込んでくる水はどこからなのか。

空気はどこから吸っていたのか。

眠くてそれどころじゃなかったから。

眠ろう、という言葉に抵抗もなく意志を傾けて眠ることにした。







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